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連載「つたえること・つたわるもの」(36)

なにかしてあげる≦いっしょにいてあげる≦その人のために祈る

連載 2018-03-13

出版ジャーナリスト 原山建郎

 おととい(3月11日)、あの東日本大震災「3・11」から、もう7年の歳月が経過した。

 あの日、私は家で雑誌の原稿を書いていた。最初、ぐらっときて、家じゅうがミシミシ音を立て、大きな揺れが何回もつづいた。壁掛け時計が落下して、時間が止まった。幸い、「つっぱり棒」を取りつけた家具は無事、本棚の本が何冊か落ちた程度ですんだ。しかし、すぐに点けたテレビの緊急地震速報も、震源地は? 震度は? 被害の規模は? どこの局も情報が交錯して要領を得ない。わが家の愛犬ルル(ヨークシャーテリア)は、ブルブル震えて声も出ない。

 その日は家内が、朝から横浜の磁器陶絵付スクールに出かけていた。すぐに携帯電話(ガラケー)に連絡を入れると、「電車は全く動かない、スクール仲間の車に同乗して、これから東京に向かう」と言う。携帯電話の電池切れを避けるために、直接の会話はできるだけ控え、おもに電子メールで連絡をとり合うことにした。夕方になって、「国道246まで出た。これから渋谷に向かう。道路は大渋滞でのろのろ運転」とメールが入った。私は車で市川市の自宅を、午後6時ごろ出発。途中でコンビニ弁当とミネラルウォーターを買う。

 自宅から約18キロメートル、国道14号線の亀戸あたりで午後11時、時速3.6キロメートルの大渋滞を進む。11時半ごろ、「渋谷に着いた。JR線は止まっている。地下鉄が動き出したので、神保町駅まで乗る」と電子メールが届いた。最終的には、神保町駅から千葉方面に歩きだした家内と、超のろのろ運転の私が出会ったのは、日付が変わった12時半ごろ、亀戸から6キロメートル、岩本町付近だった。すぐにUターンして自宅に向かう。道路渋滞はさらに激しくなり、やっと家にたどり着いたときは、朝の7時過ぎだった。

 あの日の携帯電話、短い会話と電子メール、ガラケー糸電話から伝わる、目に見えない不安と恐怖……。その不安はさらに、巨大津波による福島第一原発のメルトダウンという、最悪の事態へと広がっていく。

 あれから7年が経ち、被災地の一部地域では避難指示が解除されたいまもなお、仮住まいを余儀なくされている人が2万9,639人(そのうちプレハブの仮設住宅で暮らす人は1万3,584人)もおられるという。

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