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連載コラム「つたえること・つたわるもの」(22)

語り手の思いが聞き手に〈伝わる〉、感動ホルモンのちから。

連載 2017-08-08

出版ジャーナリスト 原山建郎
 二〇〇八~二〇〇一〇年の三年間、京都の龍谷大学文学部で八月初旬と九月初旬(前後五日間)に行った夏期集中授業(情報出版学特殊講義)で、実質三週間の夏休み期間中、「今週の感動」を課題に出した。

 ➀授業でも一分間スピーチ「今週の感動」をやりますが、八月第二~四週の三回分、その週に出会った、あるいは見つけた「小さな感動」を、四〇〇字(ワード文書)にまとめてください。

 ➁人をあっと言わせる「大きな感動」よりも、ともすると見過ごしがちな「小さな感動」に気づく心を養いましょう。「小さな感動」をさがす習慣を身に付けてください。

 これは、身近な感動をまとめた四〇〇字のファイルを、毎週末に電子メールで提出するという課題である。毎週きちんと送ってくる真面目な学生、三週間分をまとめて一回で届ける豪胆な学生もいた。九月の授業では、提出した感動の中から一つ選び、授業のはじめに、何人か順番に一分間スピーチ(ふつうの速さで四〇〇字程度)をしてもらった。スピーチのお題は「今週の感動」である。

 三十人ほどの学生が発表した「今週の感動」では、久しぶりの帰省で癒された実家の温もり、花火大会での恋人同士の語らい、好きな演奏家のライブコンサートでの興奮、アルバイト先の飲食店で利用客にほめられた喜びなど、さまざまなエピソードがあったが、なによりも発表者である学生自身が感動していた。

 四〇〇字で「今週の感動」を書いて〈伝える〉能力、一分間という時間制限の中で話して〈伝える〉能力には、滑舌の善し悪し、書かれた原稿を話しことばで表現する能力には、一人ひとりの個人差がある。ところが、一分間スピーチで語られる「感動」だけは、その学生の〈伝える〉能力の優劣に関係なく、どういうわけか確実に〈伝わる〉。たとえば、大ファンだという演奏家のことはよく知らなくても、その生演奏に「感動した」という発表者の心の高ぶりだけは、聞き手の胸(ハート)にまっすぐ〈伝わって〉くる。

 一九八〇年代後半、博報堂生活総合研究所がとりあげた「感動ホルモン」が、マーケティングの世界で大きな話題になったことがある。すばらしい出来事や人の言動に心から感動した人は、からだの内側からどんどん感動ホルモンが湧いてきて、その感動の波が周囲の人たちに〈伝わり〉、周囲の人々のからだにたくさんの感動ホルモンが誘発されるというものだ。近年、医学分野でも科学的な解明が進んでいる「思いやりホルモン(オキシトシン)」や「幸せホルモン(セロトニン)」が、つまり「感動ホルモン」の正体である。

 この感動ホルモンは「感動」を〈伝える〉本人自身が心から感動しないと、相手に〈伝わる〉のに必要な情動(エネルギー)が湧いてこない。さきの「思いやりホルモン」や「幸せホルモン」の分泌を盛んにするための方法のひとつに、「感動したときは、声を出す」というのがある。そこで、学生による一分間スピーチでは、その感動を〈伝える〉技術(文章作成やプレゼンテーションの能力)よりも、感動が〈伝わる〉戦術として、「アイコンタクト」演習をとり入れた。

 一チーム、十人がイスで円陣を組み、全員がその場で向き合って「立つ」ポジションをとる。

 初回の演習では、発表者は一人ずつ端から順に聞き手の目を見ながら、「今週の感動」のスピーチをする。聞き手は「(発表者が)自分の目を見た」と感じたら、すぐにイスに「座る」。この段階では、スピーチとアイコンタクトの動作が二つ同時に行えず、スピーチが途中でつっかえる者、視線が宙を泳ぐ者など、学生たちはかなり混乱していた。しかし、スピーチしながらのアイコンタクトに慣れてくると、一分(六〇秒)の間にアイコンタクトを二周する強者も出てきた。

 二回目の演習では、アイコンタクトのハードル(条件設定)を、もう一段高くした。

 ちらっと「自分の目を見た」程度では座らずに、「ほんとうに私(自分)に語りかけてきた」と実感できるアイコンタクトで座ることにした。さすがに、アイコンタクト二周の学生も最初は戸惑ったようだが、こんどはしっかり相手の目をのぞき込む、つまり心からの感動が〈伝わる〉ように、さらにいえば、相手の瞳に映る「自分」の目に語りかける気持ちで、十人(一周)のチーム全員に丁寧なアイコンタクトを試みた。

 すると、「初回は、相手の目を見ることだけを意識しました。しかし、二回目のスピーチでは相手の心に届ける気持ちで、ゆっくり語りかけました」と、アイコンタクトのクオリティが大きく変化した。

 一分間スピーチの演習では、一人ひとりの所要時間をストップウォッチで計測した。同じ四〇〇字の文字量でも、四〇秒で終わる・早口の学生もいれば、一分二〇秒かかる・ゆっくりペースの学生もいる。この演習では、一分間の時間制限内に意識して〈伝える〉技術だけでなく、その感動が無意識に〈伝わる〉戦術の体得をめざした。そして、四〇秒で終わった学生には「一分間かかる内容を、よく短い四〇秒で伝えられたね。あと一つ、伝えたい情報をさがしてみよう」と励まし、一分二〇秒で超過した学生には「語りきれなかったね。でも、よく考えてみて。あと一つ、削ってもいい情報は何だろう」と、アドバイスした。

 龍谷大学の夏期集中授業では、もうひとつ、「働く喜び、仕事の価値」の取材と発表を課した。

 ➀あなたの周囲にいる【生き生きと働く大人】に、「あなたにとっての働く喜びとは何ですか? 仕事の価値はどのようなものですか?」を取材し、あなたが感じたことを八〇〇字程度にまとめてください。

 ➁インタビューする大人は、両親、祖父母、伯父叔母、兄姉、アルバイト先の店長、学校の先輩、中高時代の恩師、誰でもいい、【生き生きと働く大人】を見つけてください。

 この課題は、まず【生き生きと働く大人】を見つけることから始まった。一足先に社会人になった高校時代の同級生、銀行で働くキャリア五年目の姉、日本の高度経済成長時代を支えた八十歳で元気な祖父など、学生たちは張り切ってインタビューを実行に移した。しかし、思いがけず苦戦を強いられたのが、一家の大黒柱である父や共働きで家計を助ける母だった。「そんなこと考えたことない」、「面と向かって聞かれると、恥ずかしい」など、逃げ腰になる父や母を説得したのは、「これは夏休みの課題だから」の決め台詞だった。そのひと言に、父も母も急に居ずまいを正し、「働く喜び、仕事の価値」について語り始めた。リストラに遭って失業中の父も、その苦しい胸中を正直に明かしてくれたという。

 十二年前、同じ取材と発表を課した武蔵野女子大学(現武蔵野大学)の学生たちも、大きく成長した。

 ○兼業農家に育った学生Aの母親は、夏は午前四時半から田んぼの世話、七時半には会社に出勤する「2ジョブ」の超多忙な毎日だった。もとより農業には一日も休みはないが、農作物にかけた愛情に「応えてもらえる喜び」を電話口で語ってくれたという。

 ○三十歳代のサラリーマンに取材した学生Bは、「仕事はとても辛い」と口では言いながら、辛いはずの仕事を生き生きと語る、彼の表情が輝いているのを見逃さなかった。

 ○ことし七十五歳になる大工の祖父をもつ学生Cは、幼いころからその仕事を見て育った。現場は五年前に引退したが、フリーになったいまのほうが、これまで建てた家の点検・補修で忙しく、職人に定年はないことを実感したと作文に綴っている。

 ○ある父親は演劇界の舞台裏方で働く醍醐味を、またある父親は長男ゆえに家業を継いだ初期の苦労といまの達成感を、そしてある父親は「昔は働いたあとに、ようやく生活があった」という重いひと言に万感の思いが込められていた。

 「お前たちを養う、そのためにだけ働いている。いいか、大学だけはきちんと出ておけ」

 「仕事の喜びは、お給料をもらったとき。これでご飯が食べられる、安心感かな!」

 社会人の仕事は自分の能力を伸ばすチャンス、働くことで社会に貢献できる、ボーナスで海外旅行もできると考えていた学生たちには、予想もしていなかった「思いやりホルモン」の数々だった。ふだんは無口な父、笑顔を絶やさない母が、真顔で語ることばの一つひとつに、ただならぬ気配を感じた学生たちの、いつもとはちがう心の領域に、ほっこりとした「幸せホルモン」の泉が湧き出した。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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