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とある市場の天然ゴム先物 31

有事における天然ゴム価格の動き

連載 2022-03-01

大阪取引所 デリバティブ市場営業部 矢頭 憲介

 2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻し、世界中に大きな衝撃を与えました。筆者もウクライナの証券市場で仕事をしていたこともあり、強く心を痛めているところです。

 このように不幸なことが起こっている最中で心苦しくはありますが、今回は過去の紛争と天然ゴム価格との関係について取り上げたいと思います。

戦後の地域紛争

 戦後となる1950年初の天然ゴム相場(シンガポールFOB、RSS1号期近)は1ポンドあたり50シンガポールセントとなっていました。

 これが1950年の春以降になると、インドネシアの政情不安、マレー半島やベトナムでの共産軍によるゴム園焼き討ち事件、米ソ両国政府による天然ゴム備蓄増加などにより、天然ゴム相場は6月には95 3/4セントまで上昇します。

 このような状況下、1950年6月25日未明に朝鮮戦争が勃発します。国際的な思惑買いの殺到、米国の非常事態宣言および米国一般調達局(GSA)による戦時備蓄ゴムの大量買い付けなどにより、天然ゴム価格は急騰を続け、翌年1951年2月には25年来の高値水準である239セントまで達することとなりました。

 ところがこの相場高騰は長続きせず、1951年4月にマッカーサー元帥の連合軍最高司令官解任が発表されると、天然ゴム価格は一気に崩れることとなり、1952年5月には100セントを割り、10月には70セント台を記録。結局のところ、休戦協定が成立した1953年10月は54セントと、朝鮮戦争前の水準に戻っていました。

 なお、東京ゴム取引所の取引開始はこのような相場暴落のタイミングでした。結果として、1952年12月の取引開始時の期先終値239.0円(キロ建)は天井となってしまい、以降も朝鮮戦争の休戦による需要減少の見通しを受けて下げ続けることとなります。

 1950年代半ばから後半では、東京の天然ゴム先物価格は安値169.8円(1958年5月)から高値363.5円(1955年9月)の範囲で、高騰や下落が繰り返されることとなります。

 この間、1956年7月よりスエズ動乱が勃発し、10月にはイスラエル軍がエジプト侵入し、イギリス=フランス軍もスエズ運河に進撃してエジプト爆撃を始めたことで国際商品相場が急騰し、天然ゴム先物価格も280.6円まで反発します。とはいえ、このときのゴム相場の急騰も一時的で、長続きすることはありませんでした。

取引開始後のRSS3先物の値動き(1952年~1960年)

出所:JPX

 戦後の天然ゴムは軍需物資として見られていたことから、朝鮮戦争や地域紛争に敏感に反応しています。また関連して米国の備蓄ゴム政策を巡る噂や動向も直接的に相場に影響を与えていました。

供給過剰下におけるベトナム戦争

 1960年以降の天然ゴムは、恒常的な供給過剰により長期低迷を続けます。これは1950年からの10年間で天然ゴム価格が高水準で維持され、それにより天然ゴム産出国の生産意欲が高まったこと、先進諸国による合成ゴムの増産が促進されたこと、さらには100万トンをこえる米国の戦略的備蓄ゴムの放出が続いたことなどが背景でした。

1960年代のRSS3先物(月次)の値動き(1961年~1971年)

出所:JPX

 この期間に1964年8月の北ベトナムによる米駆逐艦攻撃(トンキン湾事件)、1965年2月の米国による北ベトナムのドンホイ攻撃(北爆開始)が起こるなど、ベトナム戦争が本格化しましたが、供給過剰による下げ相場を反転させるほどのインパクトはありませんでした。

 1968年8月、ソ連が社会主義体制の改革を試みていたチェコスロバキアに侵攻し、全土を占領下に置くこととなります(チェコ事件)。また1969年4月の朝鮮における米軍機撃墜、フランスのド・ゴール大統領の辞任を契機とする仏フラン下落、それに続く英ポンド下落による通貨不安の再燃により、天然ゴム価格は一時的に反発します。

 しかしこうした反発も一時的なものであり、やはり供給過剰による価格下落という大きな流れを押し留めることはできませんでした。

中東における紛争と二度の石油危機

 天然ゴム価格は長期的な価格下落に苦しんだ1960年代を経て、1970年代に入ると状況が一変します。

1970年代のRSS3先物(月次)の値動き(1972年~1983年)

出所:JPX

 1960年代の価格下落トレンドは1972年10月にようやく底を打ち、翌73年2月に米ドル平価切下げや円の変動相場制への移行といった国際通貨の不安定化により、換物買いなどが入って続伸します。

 さらに1973年10月6日、第三次中東戦争でイスラエルに占領された領土(シナイ半島など)の奪回を目指し、エジプト・シリア両軍がイスラエル軍に対して攻撃を開始し、第四次中東戦争が勃発します。

 これに合わせ、OPECはイスラエル支援国に対するアラブ産原油の販売停止、制限という戦略をとり、11月には生産制限から世界的な石油危機(第1次)が起こります。この石油危機の与えたインパクトは非常に大きく、天然ゴム先物価格は1974年1月に約20年ぶりの水準である336.4円まで急騰することとなります。

 その後、石油危機の影響で世界経済が後退局面に入ったことから、天然ゴム相場も急速に高値是正が進みますが、1970年代末にはこの状況が再び一変します。

 1978年12月、OPECが原油価格14.5%引き上げを発表して二度目の石油危機が発生します。続いて1979年に入り中国軍のベトナム北部侵攻やイラン革命、合成ゴムの値上げなどの強気材料が相次ぎ、更には1979年12月のソ連軍のアフガニスタン侵攻により一段高となり、1980年2月には高値388.9円を記録することになりました。

 ただし、行き過ぎた高値への警戒感と第2次石油危機による景気後退により、この相場急騰も次第に落ち着いていくことになります。

 このように1970年代の中東を中心とした紛争では、地政学的なリスクの高まりが原油価格に影響し、その結果として天然ゴム価格も高騰した、といった構図であったことが分かります。

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