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連載「つたえること・つたわるもの」(62)

「死ね!」 相手を許さない、怒りの心、呪いの言葉。

連載 2019-03-26

 「死ね!」という呪いの言葉は、「あいつだけは許せない。地獄に落ちてしまえ!」という心、相手が不幸になることを望む「報復」の心から発する。アメリカの精神科医、エリザベス・キューブラー・ロスが書いた『ライフ・レッスン』(角川文庫、2005年)に、「許しのレッスン」という一文がある。

 許す人生を選ぶか許さない人生を選ぶかは、その人が決める問題である。だれもがそのいずれかを選択することができる。皮肉にも、傷つけた人より傷ついた人にとって重要な問題であり、傷ついた人が癒されるという意味で、許しは自愛的な好意だともいえる。(中略)許さないということは、むかしの傷や怒りにしがみついているということである。恨みの感情に栄養を補給して、過去の不幸な部分を生かしつづけることである。許すことができなければ、自分自身の奴隷になるしかない。

 許しにはさまざまな障害がある。なかでも大きな障害は、許せば自分を傷つけた行為をみとめることになってしまうのではないかという感情である。しかし許しとは、相手に「わたしを傷つけてもいいのよ」ということではない。許しとは、恨みをいだいていると不幸な人生を送ることになると気づいて、自分自身のために、うけた傷を手放すことである。許せないと思っている人は、自分が罰している対象がほかならぬ自分自身であることをおもいだす必要がある。(中略)もうひとつ許しの障害となっているのは、報復してやりたいという欲望である。たとえ報復をとげたとしても、一時的な満足しか得られない。報復という低次元な行為をした自分にたいして、あとで罪悪感をもつことになる。自分を傷つけた人に自分の苦痛をおもい知らせるためにとった攻撃的な行為が、けっきょくはまた自分を傷つける。傷のいい分に耳をかたむけて傷を吟味するのはいいが、傷にしがみついていては自己処罰の方向にむかうだけだ。

(同書319~321ページ)

 文教大学の社会人講座『「やまとことば」でとらえる〈ほとけごころ〉』で、「ゆる(許・赦)す/ゆる(緩・弛)む」という「やまとことば」から、「許せない→許す」について、私は次のように話している。

 「たとえば、絶対許せない人がいるとする。その人のせいで自分がどんなに傷ついたか、それを思い出すだけで怒りがわきあがり、許せない気もちがさらに強くなる。許せないのは自分を傷つけたあの人だ、と思うかもしれないが、本当は、あの人を絶対許さないという自分、または〈そろそろ許そう〉とささやく自分を許さない。つまり許さない本当の相手は、あの人ではなく、あの人を許さない自分自身なのだ」と。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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