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連載「つたえること・つたわるもの」(47)

伝える・伝わる、わかる・わからない、記憶をつなぐ・つむぐ。

連載 2018-08-28

 これも、風呂上がりの手足がふやけることは知っていても、なぜふやけるのか、その理由まで深く「考えたことがない」からである。幼い子どもに、「なんで、お空の星は落ちてこないの?」「トンボは飛べるのに、なぜボクは飛べないの?」と質問され、絶句する私たちも同じように、チコちゃんに叱られそうだ。

 「伝えた」ことが「伝わらない」結果を招く最も大きな原因は、相手の「話(言葉)」をただ音声として漠然と聞き流している、つまり「考えて」聴いていないからである。私は大学の授業で「質問を考えながら、講義を聴きなさい」と言っていたが、隠れスマホや私語をしている学生は「いま、どんな話をしたか、話してみなさい」と聞いても答えられなかった。彼らは何も「考えて」聴いていなかったのである。

 山鳥さんはまた、「わかる」ための土台として、「記憶」の重要性を挙げている。

 「記憶」とは、文字通り「憶」(中国の古代文字では、神意を聴する意味がを表す)に「記(しる)す」(インプットする)ことだが、いったん入力(インプット)された記憶の中には、すぐに出力(アウトプット)できるものと、なかなか思い出せない(出力しづらい)ものがある。

 意識に呼び出しやすい記憶とは、別の言葉を使えば、心象化(※イメージ化)出来る記憶です。その多くはうまくゆけば絵や言葉に表現することも可能です。つまり仲間に伝えることが出来ます。この点を強調して陳述性記憶とも呼ばれます。この記憶はさらにふたつに分けて考えられています。ひとつは出来事の記憶です。もうひとつは意味の記憶です。もちろん、このふたつが心のなかで、白と黒のようにくっきり分けられているわけではありません。こちらが勝手に分けるのですが、分けて考えることで少しずつ心の動きが見えやすくなります。

 もう一方の、意識に呼び出しにくい記憶、つまり心象化しにくい記憶は手続き記憶と呼ばれています。簡単に言えば手やからだが覚えている記憶です。どうやるのかをはっきり心象化出来ないのですが、やってみるとできる、というタイプの記憶です。
(同書63~65ページ)


 なぜ、ここで「記憶」の問題を取り上げたかというと、「伝える」側である発信者・Aの経験(個人的な体験の積み重ね)の記憶と、「伝わる」側となる受信者・Bの経験の記憶とがどこかでわずかに重なる、あるいは同じコースをたどろうとしているようなときに、AとBの間で暗黙知(長年の経験や勘に基づく知識)をベースにした、メッセージ(情報・意味、思い・感情)の共有感覚が生まれると考えたからである。

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