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連載コラム「つたえること・つたわるもの」(26)

文化庁の「日本語理解力」、文科省の「【じ・ぢ、ず・づ】ご勝手に」。

2017-10-10

出版ジャーナリスト 原山建郎
 文化庁の「日本語理解力」劣化ぶりと、文科省の「【じ・ぢ、ず・づ】ご勝手に」主義を俎上に載せる。

 先月(9月21日)、文化庁が発表した平成28年度「国語に関する世論調査」(16歳以上の男女約2000人の有効回答)を報じたテレビや新聞によると、「(話の)さわり」という日本語の意味について、半数(53.3%)以上が本来の意味ではない「話などの最初の部分」と答え、本来の意味の「話などの要点」と答えた人は全体の約三分の一(36.1%)だったという内容で、総じて「日本語理解力」の低下を嘆く論調であった。

 しかし、まてよ。「さわり」本来の意味は「話などの要点」ではないはずだが……。世論調査では、どんな設問だったのか。文化庁のホームページで該当ファイルを開いて驚いた。「さわり」だけではなかった。ほかの設問「ぞっとしない」、「知恵熱」もまた、文化庁担当者の「日本語理解力」の劣化を疑う内容だった。

 それは「表に挙げた三つの慣用句等について、どちらの意味だと思うか尋ねた。」という三択の設問で、それぞれ(ア)に示された意味が、文化庁の「日本語理解力」においては正解(?)である、と書かれている。

 (1)さわり(例文:話のさわりだけ聞かせる)(ア)話などの要点のこと(36.1%)、(イ)話などの最初の部分(53.3%)、(ウ)(ア)と(イ)の両方、(エ)それ以外の答え、(オ)わからない。

 (2)ぞっとしない(例文:今回の映画は、余りぞっとしないものだった)(ア)面白くない(22.8%)、(イ)恐くない(56.1%)、※(ウ)~(オ)省略

 (3)知恵熱(例文:知恵熱が出た)(ア)乳幼児期に突然起こることのある発熱(45.6%)、(イ)深く考えたり頭を使った後の発熱(40.2%)、※(ウ)~(オ)省略

 ちなみに、紙の国語辞典(『広辞苑』)でそれぞれの意味を調べると、およそ次のように説明されている。

 ◆さわり(サハリ)【触】 ①さわること。ふれること。また、触れた感じ。②(義太夫用語)他の節(ふし)にさわっている意。転じて、曲中で最も聞きどころとされている部分。「くどき」の部分。広く、話などの最も肝心な部分

 ◆ぞっとしない それほど感心したり面白いと思ったりするほどでもない

 ◆ちえねつ【知恵熱】 乳児が知恵づきはじめる頃、不意に出る熱。ちえぼとり。

 文化庁の「さわり=話などの要点のこと」よりも、「話などでいちばんの聞きどころ」のほうが、「さわり」本来のニュアンスが伝わりやすい。設問の出題者は、『広辞苑』の「話などの最も肝心な部分」を「要点」と要約したようだが、慣用句のコンテキスト(文脈)を無視した「要約」のあてはめ方になっている。

 同じように、「ぞっとしない=面白くない」は、「それほど(予想したほど)面白くない」のほうが正確だが、例文では「ぞっとしない」の前に「余り(それほど)」があるので、「面白くない」が立ち往生した。慣用句としては不自然になるが、「今回の映画は、余りぞっとしないものだった」としたほうがわかりやすい。

 また、「知恵熱乳幼児期に突然起こることのある発熱」では、出題者が「突発性発疹」の「発熱」をイメージしたようだが、『広辞苑』にある「乳児が知恵づきはじめる頃」があって初めて理解できる言葉だ。

 このような設問を作った、文化庁担当者の「日本語理解力」における、知的劣化を憂うるものである。

 もう一つ、【じ・ぢ、ず・づ】(四つ仮名)に関する、文科省(旧文部省)の無関心、「ゆるさ」がある。

 先日、小学校の運動会で校舎の壁に掲げられたスローガンの中に、「きずな(絆)」「いなづま(稲妻)」という仮名遣いを見つけた。「いなづま(稲妻)」には異存はないが、「きずな(絆)」はあきらかに「きづな(絆)」の誤りである。『広辞苑』には、「きずな(キヅナ)【絆・紲】①馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱(つな)。」とあり、その隣に「きずな【生砂】川・海岸などの珪石に富んだ砂」が出ている。大相撲の白鵬関や日馬富士関は天下の「よこづな(横綱)」であって、「よこずな(横砂)」であるはずがないのだ。

 ところが、「きずな(絆)」という仮名遣いは、明らかな誤りであるのに、文科省的にはOKなのである。「学校教育における「現代仮名遣い」の取扱いについて」(昭和61年7月/文部省初等中等教育局長通知)では、「じ、ぢ」「ず、づ」の使い分けのうち、現代語の意識では二語に分解しにくい語 (「せかいじゅう」「いなずま」など)は、「じ」「ず」を用いる(昭和31年国語審議会報告「正書法について」)とされており、「じ」「ず」を用いて書くことを本則とするが、「ぢ」「づ」を用いることも許容する、つまり漢字「絆」の読み方は「きずな」でも「きづな」でもどっちでも構わない、という意味の表現が用いられている。

 その根拠とされる「正書法」は、「語の正しい書き表し方、つまり音声言語を文字言語にうつしかえるための、社会的規範として認められている決まり」のことだが、この「正しい」とは「社会的規範として認められている」という意味なのだ。つまり、文科省は「誤用の定着」を原則的に認める姿勢をとっている。

 たとえば、「四つ仮名」の使い分けでは、①同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」【ちぢむ(縮む)、つづく(続く)、つづみ(鼓)など】、②二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」【はなぢ(鼻+血)、そこぢから(底+ちから)、たけづつ(竹+筒)、みちづれ(道+連れ)など】という例外のほかは、原則として「じ」「ず」を用いることになっている。

 したがって、以下に挙げる「四つ仮名」では、原則として「じ」「ず」を用いるが、「ぢ」「づ」を用いることも許容する。文科省のスタンスは「お好きなように(as you like)」「ご勝手に(freely)」なのである。

 ★「じ・ぢ」:味(あじ/あぢ)、鯨(くじら/くぢら)、麹(こうじ/こうぢ)、身近(みじか/みぢか)、螺子(ねじ/ねぢ)、恥(はじ/はぢ)、草鞋(わらじ/わらぢ)、爺(じじ/ぢぢ)

 ★「ず・づ」:合図(あいず/あいづ)、地図(ちず/ちづ)、小豆(あずき/あづき)、泉(いずみ/いづみ)、出雲(いずも/いづも)、絆(きずな/きづな)、貧しい(まずしい/まづしい)、図々(ずうずう/づうづう)しい、頭痛(ずつう/づつう)、僅か(わずか/わづか)

 ワード文書のローマ字変換では「じ(ji)・ぢ(di)」「ず(zu)・づ(du)」と入力するのだが、「ぢ(di)」と「づ(du)」のローマ字変換が可能なのは、「わづか(僅か)」に「身近・泉・出雲」のみであった。

 「人は、国に住むのではない。国語に住むのだ。『国語』こそが、我々の『祖国』だ」と言ったのは、ルーマニアの思想家、エミール・シオランだが、日本人が何千年も前から住みつづけてきた『日本語(国語)』という名の『祖国』は、いまガラガラと音を立てて崩れ始めている。

 何千年も前から「伝わって」きた日本文化(この中には、『日本語』も含まれる)を守るべき文化庁も、初等教育で正しい仮名遣いを「伝える」べき文科省も、ともに「ゆとり教育」や「ゆるキャラの陰に隠れて、その規範を自ら示そうともせず、ひたすら「時代の流れ」という現状を追認する形でしか動こうとしない。

 「もり・かけ(森友・加計)」や「北朝鮮の核兵器開発」よりも、遥かに深刻な国難が密かに進行している。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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