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連載「つたえること・つたわるもの」(128)

成長と分配の好循環、人新世の「脱成長」について考える。

連載 2022-01-12

出版ジャーナリスト 原山建郎

 2020年秋に出版された『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著、集英社新書)が、いまも好調な売れ行きを続けている。そこで昨年末、図書館のHPで蔵書検索したところ、所蔵数11冊に対して予約件数112件。予想外の人気ぶりに驚いて、正月早々、近くの書店に行き、ベストセラーコーナーにあった同書を購入した。「2021新書大賞第1位」の文字が躍る表紙カバーには、「気候変動、コロナ禍…。文明崩壊の危機。唯一の解決策は潤沢な脱成長経済だ」のコピーとともに、「人新世【ひと・しんせい】人類が地球を破壊しつくす時代」とある。前書きには【SDGsは「大衆のアヘン」である!】と書かれている。いまでは小中学生たちも授業で学んでいるSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)について、「大衆のアヘン」と断ずる斎藤さんの主張には、いったいどのような理由や根拠があるのか。その背景について考えてみよう。

 この正月休みに日経新聞が報じた二つの記事、【令和4年 年頭所感(岸田文雄首相)】、【CO2貯留「30年までに」(羽生田光一経済産業相)】を参照しながら、この「大衆のアヘン」について検証してみよう。

 ○岸田首相は、【令和4年 年頭所感】のなかで、その看板政策である「(持続可能な社会における経済)成長と(公正な)分配の好循環」を柱とする「新しい資本主義」について、次のように述べている。

 新型コロナとの闘いに打ち克ったならば、その先に目指すべきは、日本経済再生の要である「新しい資本主義」の実現です。市場に過度に依存し過ぎたことで生じた、格差や貧困の拡大。自然に負荷をかけ過ぎたことで深刻化した気候変動問題。こうした、資本主義の弊害に対応し、持続可能な経済を作り上げていく。国家資本主義とも呼べる(※中国などの)経済体制からの強力な挑戦に対抗し、これまで以上の力強い成長を実現させていく。こうした問題意識は、米国・欧州など、多くの先進国共通のものです。

 「新しい資本主義」においては、全てを市場や競争に任せるのではなく、官と民が今後の経済社会の変革の全体像を共有しながら、共に役割を果たすことが大切です。成長については、「デジタル化」「気候変動」「経済安全保障」「イノベーション・科学技術」などの社会課題を成長のエンジンにします。分配については、格差に向き合い、「企業による賃上げ」や、「人的投資の強化」による分配を、次の成長につなげます。 こうした取組により「成長と分配の好循環」を生むことで、経済の持続可能性を追求するのが、私が掲げる「新しい資本主義」です。

(首相官邸HP 、2022年1月1日から一部引用)

 ○羽生田経済産業相は、日本経済新聞(1月8日)のインタビュー【CO2貯留「30年までに」)】で、二酸化炭素(CO2)を回収して地下に埋める技術(CCS)について「2030年までの導入にとり組む」とした上で、電力の安定供給に「火力発電は一定程度必要だ」と述べるとともに、原子力発電については、「地元の理解をいただきながら安全性を最優先した再稼働を私の時代に進めることが必要だ」と語っている。

 (羽生田経済産業相は)二酸化炭素(CO2)を回収して地下に埋める技術について「2030年までの導入にとり組む」と述べた。電力の安定供給に「火力発電は一定程度必要だ」と話し、地下貯留などでCO2を減らしながら国内の火力発電を維持する考えを示した。(中略)原発に関しては、「地元の理解をいただきながら安全性を最優先した再稼働を私の時代に進めることが必要だ」と話した。(中略)「カーボンニュートラルをめざす以上はベース電源として避けて通れない」と話し、温暖化ガスの排出量を実質ゼロにする50年に向けて原発を使い続ける考えをにじませた。
(日本経済新聞 、2022年1月8日掲載の記事から一部引用)

 今回のコラムは、もとより岸田政権の「新しい資本主義」を批判することが目的ではない。いまや世界的なコンセンサスとなっているSDGs(持続可能な開発目標)が到達可能なのかどうか、『人新世の「資本論」』をもとに考えてみたいからである。今回は、同書の「脱成長(経済)」という提言を紹介するが、ラディカルにもみえるその指摘の中に、地球全体の気候変動が加速するいま、私たちが直面している重要な課題がある。

●「気候変動(地球温暖化)」をもたらした原因の鍵を握るのは、「資本主義」である

 なぜなら二酸化炭素の排出量が大きく増え始めたのは、産業革命以降、つまり資本主義が本格的に指導して以来のことだからだ。
(『人新世の「資本論」』6ページ)

 二〇一八年にノーベル経済学賞を受賞したイェール大学のウィリアム・ノードハウスの専門分野は、気候変動の経済学である。(中略)ノードハウスはいち早く、気候変動の問題を経済学に取り込んだ。そして、経済学者らしく、炭素税を導入することを提唱し、最適な二酸化炭素削減率を決めるためのモデルを構築しようとしたのである。(中略)だが、問題はそこで引き出された最適解だ。あまりにも高い削減目標を設定すれば、経済成長を阻害してしまう。だから重要なのは「バランス」だ、と彼は言う。ところが、ノードハウスが設定した「バランス」は、経済成長の側にあまりにも傾き過ぎていたのだ。ノードハウスによれば、私たちは、気候変動を心配しすぎるよりも今のままの経済成長を続けた方が良い。経済成長によって、世界は豊かになり、豊かさは新しい技術を生む。経済成長と新技術があれば、現在と同じ水準の自然環境を将来世代のために残しておく必要はない、と彼は主張したのである。ところが、彼の提唱した二酸化炭素削減率では、地球の平均気温は、二一〇〇年までになんと三・五度℃も上がってしまう。これは、実質的になにも気候変動対策をしないことが、経済学にとっての最適解だということを意味している。
(『人新世の「資本論」』16~17ページ)

 これは、第6波の新型コロナ感染拡大のなかで、「成長と分配の好循環」をめざす「新資本主義」が、緊急事態宣言(感染拡大防止策)による日本経済の停滞・後退リスクと、新規感染者・重症者・死者数を抑制する効果との「バランス」をとらざるを得ない、現在の日本が置かれた状況とよく似ている。

 まさに、岸田首相が年頭所感で述べた提言は、文字通り「背に腹は代えられない」政治的選択を示している。やはり、羽生田経済産業相が述べた「CO2貯留」という気候変動対策もまた、今後も経済成長を維持するための新技術の一つである。農林水産省HPに掲載されているSDGs(持続可能な17項目の開発目標)の12番目と13番目の開発目標の抽象的な説明文には、いまひとつ私たちの心にズシンと響くものがない。

 12 持続可能な生産消費形態を確保する つくる責任、つかう責任

 この目標は、環境に害を及ぼす物質の管理に関する具体的な政策や国際協定などの措置を通じ、持続可能な消費と生産のパターンを推進することを目指しています。

 13 気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる 気候変動に具体的な対策を

 気候変動は開発にとって最大の脅威であり、その広範な未曽有の影響は、最貧層と最も脆弱な立場にある人々に不当に重くのしかかっています。気候変動とその影響に対処するだけでなく、気候関連の危険や自然災害に対応できるレジリエンス
(※回復力、しなやかさ)を構築するためにも、緊急の対策が必要です。
(農林水産省HPより)

 しかし、斎藤さんは指摘する。「そもそも、気候変動対策は、経済成長にとっての手段ではない。気候変動を止めることが目的そのものなはずだ。その場合、今以上に経済成長を目指さない方が、目的達成の可能性がそれだけ高まる」と。同書の「経済成長から脱成長(経済)へ」という提言は、破局につながる経済成長ではなく、経済のスケールダウン(縮小)とスローダウン(減速)であるという。それは、たとえば……、

 その際の変化の目安としてしばしばいわれるのは、生活の規模を一九七〇年代後半のレベルまで落とすことである。その場合、日本人は、ニューヨークで三日間過ごすためだけに飛行機に乗ることはできない。解禁の日に空輸したボジョレーヌーボーを飲むこともできなくなる。だが、それが実際にどれほどの影響をもたらすというのだろうか。そう、地球の平均気温が三℃上がることに比べれば、些細な変化にすぎない。三℃上がれば、フランスのワインは生産不可能になり、永遠に飲めなくなるのだから。
(『人新世の「資本論」』98ページ)

 環境危機という言葉を知って、私たちが免罪符的に行うことは、エコバッグを「買う」ことだろう。だが、そのエコバッグすらも、新しいデザインのものが次々と発売される。宣伝に刺激され、また次のものを買ってしまう。そして、免罪符がもたらす満足感のせいで、そのエコバッグが作られる際の遠くの地での人間や自然への暴力には、ますます無関心になる。資本が謀るグリーン・ウォッシュ(※うわべだけ環境保護に熱心にみせること)に取り込まれるとはそういうことだ。
(『人新世の「資本論」』34ページ)

 折しも、昨日(11日)の日本経済新聞に斎藤さんが寄稿した一文で、コロナ禍で落ち込んだ経済をどう立て直すべきかという課題について、短期的視点から論ずるべきではないと述べている。コロナ禍は最後の危機でも最悪の危機でもない、すぐそこに未曾有の気候危機が迫ってきていると、警鐘を鳴らしている。ある日、予告なしにパンデミックをもたらすコロナ禍との違いは、この気候危機は必ずやってくることが明確であり、科学的予測が可能である点である。「大衆のアヘン」の正体は、エコロジカルな「免罪符」の中にある。

 さて、私たちはどのような行動を起こすべきか?もう一度『人新世の「資本論」』を読み直してみよう。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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