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連載「つたえること・つたわるもの」(76)

ナチュラル・ダイイング、自然な〈お迎え〉を阻むもの。その1

連載 2019-10-24

出版ジャーナリスト 原山建郎
 先週から、ナチュラル・ダイイング・プロセス(自然死に至る準備過程)について書かれた『看取り先生の遺言――がんで安らかな最期を迎えるために』(奥野修二著、文藝春秋、2013年)、を読んでいる。

 遺言の主(看取り先生)である、肺がん専門医の岡部健さんは、1997年に在宅緩和ケアを行う岡部医院(宮城県)を開設し、在宅緩和(看護)ケア医として活動していたが、2010年に胃がんを発症し、手術を受けるも肝臓などに転移が見つかる。同年6月、余命10カ月と告知されたあと、ノンフィクション作家・奥野修司さんによるインタビューが始まり、2年あまりのナチュラル・ダイイング・プロセスをへて、2012年9月に亡くなられた。在宅緩和ケア実践を通して、自然死(ナチュラル・ダイイング)によくみられる〈お迎え〉現象――死を間近にした患者がすでに亡くなった家族や親族などの〈お迎え〉を聞いた、見たと穏やかに語るようす――を目の当たりにした岡部医師は、特定の宗派にとらわれない日本版臨床宗教師の育成を提唱し、その思いは東日本大震災直後の2011年3月に設立された「心の相談室」をへて、2012年4月、東北大学大学院文学研究科に開設された「実践宗教学寄附講座」へとつながっていく。

 昨年、私が会頭を務めた第35回日本東方医学会のシンポジウムでは、「クオリティ・オブ・デス(安らかな死)をめざす東方医療」をテーマにとり上げたが、究極の「クオリティ・オブ・デス」であるナチュラル・ダイイング、つまり昔であればそれが当たり前だと受けとめられていた〈自然死〉のありようを、「ナチュラル・ダイイング、自然な〈お迎え〉を阻むもの。その1」として、ターミナル・ケア(終末期医療)において医療側から患者の家族に提案されることが多い医学的な延命措置の意味を、『看取り先生の遺言~』の語り手である岡部医師による〈お迎え〉現象の生理学的な解説をもとに考えてみたい。

 私たちは自然死(ナチュラル・ダイイング)のイメージを、たとえば安らか・穏やか・静かな死、などと表現するが、自分が大切に思う人の死期が近づくと、食べ物の嚥下(飲み込み)ができなくなり、水分を受けつけなくなり、だんだん血圧が下がってくる様子に、私たち自身のこころは安らかでも、穏やかでもなくなる。たとえ一日でも半日でも息をしてほしい、ほんの少しでも栄養を摂らせてほしいと考えるようになり、担当医が患者のQОL(生活の質)のためにと勧める医学的な延命措置、たとえば、胃ろう(胃婁)の造設やIVH(中心静脈栄養)による栄養補給、人工呼吸器装着などに同意してしまうことが多い。

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