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連載「つたえること・つたわるもの」(56)

おせち料理は〈神人共食〉、お年玉の由来は〈年魂〉。

連載 2019-01-08

 私たち日本人のほとんどが、仏教徒であれキリスト教徒であれ無宗教の人であっても、毎年、正月がくると初詣として氏神さまを祀った神社に参拝し、お賽銭を賽銭箱に入れ、パンパンと柏手を打つ。もちろん、現代の神社は大きさに関係なくそのほとんどが宗教法人○○神社だが、これをいわゆる神道という民俗宗教(習俗)ととらえれば、私たちは昔からの日本の習わしをいまも受け継いでいることになる。

 ここは、日本の正月にまつわる行事を〈日本神話〉、または〈日本昔話〉と考えてみたらどうだろうか。

 正月の「来訪神」は、歳神(としがみ)さまである。正月の飾り物は、すべて歳神を迎えるためのものだ。たとえば「門松」は山から下りてきた歳神さまが人間世界を来訪するための依代(よりしろ=本来は姿を見せない神が、この世界で依りつく対象物)であり、「鏡餅」は歳神への供え物(これも依代)である。

 また、元日に家族そろって食べる「おせち料理」も、本来は歳神さまへの供え物であるが、歳神さま来訪の初日であるこの日に人間と一緒にご馳走を食する「神人共食」の儀式である。たとえば、その年の五穀豊穣(農作物の収穫)に感謝する秋祭りでも、やはり神前に供えたご馳走や酒を豊穣神(穀物の神さま)とともに「神人共食」するのだが、この場合にはその年の五穀豊穣に感謝しお祝いするとともに、翌年の五穀豊穣にも予め(あらかじめ)感謝しお祝いする「与祝」の行事でもある。

 毎年1月15日を中心に行われる小正月の予祝行事に、繭玉(繭玉を模した餅の団子)を柳や桑の枝に結びつけて飾るのは、あらかじめ期待する結果を模擬的に表現して、その通りの結果が得られるという農業信仰(予祝儀礼)に基づいており、この時期は養蚕業や麦踏みなど、農耕開始の儀礼となっている。

 予め祝う「与祝」の考え方からすれば、神前で手を合わせるときにも、「○○大学に合格しますように!」と神さまにお願いするのではなく、「すでに合格は成就しました。ありがとうございました」と願った通りの結果が得られたとして、予め神さまにその成就を感謝する「与祝」の言葉を念じたいものだ。たとえば、駅のトイレの貼紙には「トイレを汚さないでください」という要望・禁止ではなく、「いつもきれいに使っていただき、ありがとうございます」という感謝が書かれているが、これも「与祝」のひとつである。

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