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連載「海から考えるカーボンニュートラル」⑤

海の森の危機「磯焼け」

連載 2024-08-20

一般社団法人 豊かな海の森創り 専務理事 桑原 靖
 前回で陸上の森林に比べて非常に少ない面積で、地球上の生物の貯留する炭素のほぼ半分を担う海の森「ブルーカーボン」生態系、それを育む海に気候変動と密接に結び付く影響が発生している事を説明しました。今回は気候変動が海の森ブルーカーボン生態系をどの様に脅かしているか、それを維持・再生するためにどの様な取り組みが行われているのかをみていきたいと思います。

 陸域生態系の光合成を行う一次生産者は、ほとんどが緑色植物(コケ、シダ、裸子植物、被子植物などの陸上植物)ですが、海域生態系はさまざまな系統群に属する「微細藻類※1」や「海藻」、「海草」など多様な光合成生物によって構成されています。「海藻」は紅藻(アマノリ類、テングサ類など)、褐藻(モズク類、コンブ類、ホンダワラ類など)、緑藻(アオサ類、イチイズタ類など)の3つの系統的に異なる生物群の総称であり、これらは別々の系統の微細藻類が、独立して多細胞化、大形化して進化したものです。海藻のうち、褐藻の一部は10メートルを超えるきわめて大形の藻体を作り、それらが繁茂することで藻場(もば)と呼ばれる、陸上の森林に似た景観や機能を持った生態系が成立します。藻場はその生態系の主要な構成種によって、コンブ場(コンブ類、チガイソ類など)、ガラモ場(ホンダワラ類)、アラメ・カジメ場(アラメ、カジメ、クロメなど)、アマモ場(アマモ、コアマモなど)、スガモ場(スガモ、エビアマモなど)とさまざまな名称で呼ばれていますが、いずれの藻場も陸上の森林と同様に、直接または間接的にさまざまな動物の餌や隠れ場となるほか、着生場所や産卵場所の提供、水質・底質の保持や波浪影響の低減、炭素の隔離・貯蓄などの役割を果たしています。海草は海に進出した被子植物で、根から栄養塩を吸収して成長します。このうち、アマモ、コアマモなどは干潟などの砂泥質の海底を好んで生育し、密生する植物体の根元に泥などの浮遊物が堆積しやすく、そこに海草自体だけでなく海藻やプランクトンの死骸などが埋没し、貯留されることで面積当たり熱帯雨林の10倍を超える、炭素固定能を持つことが報告されています。
※1微細藻類:水中の藻類には,水中に漂って生育する浮遊藻(植物プランクトン)と岩や石またはその他の基物について生育する底生藻がある。

 日本は亜熱帯から冷帯に及ぶ長い海岸線を持ち、その多くは岩礁になっています。2018年度から2020年度までの3年間の衛星画像解析などを元に推定された海藻藻場(約1230平方km)とスガモ場(約90平方km)をあわせた面積は、アマモ場(約330平方km)の3~4倍程度になっています。(図1)一方、「ブルーカーボン」の報告書(Nellemann et al. 2009)でその役割が強調されていたマングローブの、日本沿岸での面積は、約6~7平方kmときわめて限られています。日本沿岸の海藻草類の藻場は高度経済成長期の水質悪化、埋め立て、護岸工事などによって、大きく減少してきました。このうち、海草藻場が発達する場所である干潟の面積は全国的に過去数十年で40%程度減少しており、瀬戸内海ではアマモ場は70%近く減少しています。海藻藻場については、以前の藻場面積についての情報が乏しいため、充分な比較が行えませんが、アマモ場同様、大きな減少があったと考えられています。

 さらに、近年は、広い範囲でいわゆる「磯焼け※2」による藻場の衰退が報告されており、特に本州中部以西の太平洋沿岸では、温暖化または黒潮の大蛇行の影響による高水温によって植食性魚類の接触圧が高まり、藻場の衰退・消失が進んでいます。磯焼けが発生すると、藻場の回復に長い年月を要し、磯根資源の減少や成長不良を招き、沿岸漁業に大きな影響を及ぼします。磯焼けの発生原因、景観、影響、回復までの期間などは、各海域の地形、海洋学的特性、生物の種組成、沿岸利用・開発の歴史・現状などによって複雑になっています。
※2磯焼け:浅海の岩礁・転石域において、海藻の群落(藻場)が季節的消長や多少の経年変化の範囲を超えて著しく衰退または消失して貧植生状態となる現象

 健全な藻場においても、 海藻は多少とも食われ、枯れ、芽生えには変動があり、海が荒れれば岩から剥がされたりちぎれたりします。従って、これらの作用が度を超えた場合、持続する場合、回復を妨げる要因がある場合に磯焼けとなります。このような状況は、海の草食動物であるウニや小型巻貝、これらに水温が高めに推移して摂餌活動が盛んになった植食性魚類の食害の影響、高水温(一般海域では貧栄養を伴う)や低塩分が続き生理障害が回復しない場合に発生します。これに加えて、近年では温暖化に伴い暴風雨が激化している為、降水量が増加すれば、土壌の浸食や洪水の機会も増え、海中でも浮遊物質や堆積物が増加し、波浪の影響の増大による海藻の流失も盛んになっています。この様に図2にある要因の上位にはすべて気候変動による影響と考えられるものが占めており、そのいずれか、もしくはこれらの組み合わせにより磯焼けは発生しています。

 水産庁は、磯焼けに関するこれまでの研究成果等を活用し、地方公共団体の研究機関の担当者と協力して、磯焼け対策の具体的な対応策を系統的にまとめた「磯焼け対策ガイドライン」(2007年2月)を策定したり、水産基本計画や漁港漁場整備長期計画に沿って水産生物の成育環境を整えるため藻場が継続的に減少していく現状を改善することで、藻場の維持・回復を目指しています。近年ではCO₂の固定先としてブルーカーボン生態系が注目を集め、藻場にもその役割が期待されています。漁業者のみならずNPO、ボランティア等の地域の協力を得て、海域ごとに藻場の詳細な衰退要因等を把握し、対策を検討・実行する取り組みをしています。(図3) 


 この様な活動の結果、2020 年に全国の岩礁性藻場の衰退状況について、沿海39都道府県にアンケートを行った結果、2013年頃に比べて藻場の衰退件数は減り、衰退がないと回答したところが増えてきました。(図4)しかし、相変わらず衰退している都道府県は8割近くと高い傾向にあり、前回から変わって、衰退がないと回答した県でも、藻場の回復が小規模であったり、一時的に藻場が回復した後に再び磯焼け状態に戻ったりといったことも多く、一旦回復した藻場の維持拡大もこれからの課題と言えます。このような課題の原因として、磯焼け対策を持続的に実施するための体制づくりの問題や、近年の海域環境の変化によって藻場の回復阻害要因が複雑化したことなどが考えられます。例えば、 海水温の上昇によって従来の藻場構成種が消失したり、植食動物の分布拡大によって従来の磯焼け対策だけでは効果が上がらなくなることが考えられます。こういった場合は、主たる藻場の回復阻害要因が変化した、または複数に増えた可能性があるため、改めて現状を把握し、状況によっては複数の対策技術を効果的に組み合わせることが藻場回復へと繋がります。

 この様に気候変動の影響を大きく受けて、海の森「ブルーカーボン」生態系は磯焼けという問題に直面し、水産庁をはじめとした行政は漁業者のみならずNPO、ボランティア等の地域の協力を得てその対策を実施しています。次回はこれらの具体的取り組みをその対策の研究も含めてみていきたいと思います。

【プロフィール】
一般社団法人 豊かな海の森創り 専務理事 桑原 靖

 1984年に山口大学経済学部卒業後、㈱三菱電機に入社。主に半導体の海外営業営業に携わる。
2003年に㈱日立製作所と両社の半導体部門を会社分割して設立した、新会社ルネサステクノロジに転籍する。転籍後は、主に会社統合のプロジェクト(基幹システム=ERP)を担当。2010年にNECエレクトロニクス㈱を経営統合して設立されたルネサスエレクトロニクス㈱では、統合プロジェクトや中国半導体販売会社の経営企画なども担当。㈱三菱電機でのドイツ駐在、ルネサスエレクトロニクス㈱での中国駐在を含め、米国及びインドでの長期滞在等の多くの海外経験を持つ。2022年4月末でルネサスエレクトロニクス㈱を退職。

2023年年10月から一般社団法人豊かな海の森創り 専務理事就任。
同年11月には㈱JBPの取締役営業部長に就任。

一般社団法人 豊かな海の森創りホームページ:https://productive-sea-forest-creation.com/
TEL:03-6281-0223

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