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白耳義通信 第85回

「ピースサイン」

連載 2023-10-17

鍵盤楽器奏者 末次 克史

 日本では写真を撮られる時に多くの人がする「ピースサイン」。これまで日本人(アジア人)以外の人と写真を撮った時、欧米諸国の人がピースサインをするのを見たことが無いように思う。なぜ日本人はピースサインをするのか、今流行りのチャット GPT に聞いたところ、カメラの CM の影響で、1970年代頃から写真撮影の定番ポーズとして定着してきたとのこと。

 昔は、ただ顔の前にピースサインを作るだけだったのが、近年では顔の近くで横にピースサインするなど変化が見られることが分かりました。そういうわたしは何だか気恥ずかしくて、写真撮影の際はただ突っ立っているか、手持ち無沙汰の時はピースサインではなく、親指を立てるサムズアップで誤魔化しています。

 さて、この「ピースサイン」ですが、このポーズを発明したのはベルギー人だったのをご存知でしょうか。当初は、ブリュッセル在住のヴィクトール・ドゥ・ラヴレイユ氏 Victor de Laveleye が「平和」を象徴するために目指したことなのだそうです。

 ドゥ・ラヴレイユ氏は、ブリュッセルのサン・ジル Saint-Gilles の議員、自由党党首、法務大臣などを努めた政治家でした。1940年に第二次世界大戦が勃発し、ベルギーはドイツ軍に占領されました。多くのベルギーの政治家同様、ドゥ・ラヴレイユ氏はイギリスへ亡命します。数カ月後、BBC は彼らに放送機器を貸し出すことにしました。それは占領下のベルギーの同胞と連絡を取り合う為です。

 ベルギー人は彼らの放送を毎朝密かに聞くことができました。ドゥ・ラヴレイユ氏がフランス語を担当、同僚のヤン・ムードゥイル氏 Jan Moedwil がオランダ語を担当。1941年1月14日の放送で、強さ、抵抗、そして平和への希望の感情をかき立てるために、後に知られることになるシンボルをリスナーに発表。彼は何故 “V” の字を選んだのでしょうか。それは “V” がフランス語の「勝利」victoire と、オランダ語の「平和」vrede の頭文字だからです。

 簡単なサインなので、やり取りも容易です。そして何よりも人差し指と中指で簡単に文字を作ることができるのが特徴でした。ドゥ・ラヴレイユ氏は、この「ピースサイン」が「勝利」と「平和」の認識マークとなり、このシンボルを使う人々が繋がりを感じられることを望んだのでした。なるほど “V” サインがピースサインと呼ばれる由来がここにあったわけです。

 その後、このシンボルはベルギーだけでなく、ヨーロッパ全土で注目されることになります。第二次世界大戦中にイギリスのウィンストン・チャーチル首相が勝利の印としてそれを使用したことで、その人気はさらに高まりました。チャーチル首相が最初にピースサインを使用したと見なされることがあるようですが、この栄誉はベルギー人に与えられるものなのかも知れません。

 最後になりますが、このベルギー通信もあれよあれよという間に8年目へ突入しました。今後ともお付き合いのほどよろしくお願いします。

【プロフィール】
 末次 克史(すえつぐ かつふみ)

 山口県出身、ベルギー在住。武蔵野音楽大学器楽部ピアノ科卒業後、ベルギーへ渡る。王立モンス音楽院で、チェンバロと室内楽を学ぶ。在学中からベルギーはもとよりヨーロッパ各地、日本に於いてチェンバリスト、通奏低音奏者として活動。現在はピアニストとしても演奏活動の他、後進の指導に当たっている。ベルギー・フランダース政府観光局公認ガイドでもある。

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