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連載「つたえること・つたわるもの」160

3月の風と4月の雨が5月の花(メイフラワー)を咲かせる。

連載 2023-05-09

出版ジャーナリスト 原山建郎
 5月6日午前11時(日本時間午後7時)、イギリス国王(チャールズ三世)の戴冠式がロンドンのウエストミンスター寺院で行われた。戴冠式では、チャールズ国王が誓いを述べると、英国国教会の最高位聖職者・カンタベリー大主教によって、聖油がチャールズ国王の手や頭に塗られ、王冠が授けられた。そして、大司教の「ゴッド・セイブ・ザ・キング(神よ、国王を守り給え)」の発声に合わせて、列席者も国歌を斉唱した。

 昨秋(2022年9月8日)、母である女王、エリザベス二世の死去にともない、同日、国王に即位したチャールズ三世は、UK(ユナイテッド・キングダム=グレートブリテン【イングランド、スコットランド、ウエールズの3つのカントリー】および北アイルランド【1927年に現在のアイルランド共和国が独立。北東部の北アイルランドはUKに残った)連合王国】の国王であると同時に、かつて七つの海(南・北太平洋、南・北大西洋、南極海、北極海)を支配した時代にイギリスの植民地だった、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドおよび王室属領など、それぞれ現在は独立した主権国家である14カ国の英連邦王国(コモンウェルス・レルム)の国王(※形式上の元首。〝君臨すれども統治せず〟)でもある。

 また、チャールズ三世が首長をつとめる英国国教会(イングランド教会ともいう)は、16世紀(ヘンリー八世からエリザベス一世の時代)に、それまでのローマ教皇庁(ローマ・カトリック教会)から離別(宗教改革)して、1534年に英国国教会として独立したが、イングランド国王を教会の首長とし、ローマ教皇庁の教皇権は認めないが、司教(監督)制度はそのまま維持し、現在までその形が続いている。
なぜ、ここで英国国教会の成立(宗教改革)をとり上げたかというと、私が高校時代に世界史の授業で習った「メイフラワー号事件」「清教徒革命」のことを思い出したからである。

「メイフラワー号事件」とは、16世紀後半、英国国教会に残っていたカトリック的要素に不満を持つ、プロテスタント(カルヴァン派)グループの一派、清教徒(ピューリタン)の人たちが、英国国教会を強制するジェームズ一世(エリザベス一世の後継国王)の宗教的迫害から逃れるために、1620年、イギリス南部のサウサンプトンから三本マストの帆船「メイフラワー号」に乗って、北米大陸東海岸のプリマス(現在のマサチューセッツ州ボストンの南)に上陸したことである。そして、彼らはニューイングランドのプリマスに入植し、英国国教会の強制に脅かされない、清教徒のための新天地を手に入れることができたのである。

今回、チャールズ三世の戴冠式では、多様性を尊重するため、ヒンドゥー教、イスラム教、シーク教、ユダヤ教、仏教などの代表者が参加した初めての式典となったが、いまから400年前のイギリスでは、国王が首長をつとめる英国国教会の権威を保つために、国教会からの分離を主張した清教徒を迫害したと考えられる。
「メイフラワー号」の船名であるメイフラワーは、イギリスで5月に花を咲かせるサンザシ(バラ科サンザシ属の落葉低木)が名前の由来だという。イギリスでは「魔除け」の力があるとされるサンザシの花言葉に「希望」「成功を待つ」があり、その名前を船名に冠して、新天地への航海安全を祈ったといわれている。

「メイフラワー(五月の花)」といえば、イギリスの有名なマザーグース(わらべうた)がある。
「三月の風と四月の雨が五月の花を咲かせる(March winds and April showers bring forth May flowers.)」
清教徒たちが英国国教会の強制を逃れ、希望の新天地めざして大西洋を帆船で乗り越え(三月の風と四月の雨が)、たどりついた安住の地(五月の花を咲かせる)……、かれらの苦難の道中を支えたのは、「成功を信じて待つ」固い信念のちからであった。

イギリスから北米大陸に渡った清教徒は、イギリスの植民地への文字どおり「入植」者だが、やはりローマ教皇庁(ローマ・カトリック教会)による宗教的迫害から逃れるために、17世紀から18世紀に                                                                                                                                                                              かけてドイツ南西部から北米大陸東海岸(ペンシルバニア・ダッチ・カントリー)に「移住(開拓移民)」した人々の中に、保守的なキリスト教(プロテスタントの一派)を信仰するアーミッシュの人たちがいる。1985年に公開され、第58回アカデミー賞で5部門ノミネート、そのうち2部門を受賞した、ハリソン・フォード主演の映画『刑事ジョン・ブック 目撃者』は、アーミッシュの村(ダッチ・カントリー)がその舞台である。

 1982年に来日し、手焼きクッキーの店(アントステラ――ステラおばさんのクッキー)を日本全国に展開したジョセフ・リー・ダンクルさんは、自著『ペンシルバニア・ダッチ・カントリー アーミッシュの贈り物』(主婦の友社、1995年)の中で、ペンシルバニア・ダッチ・カントリーの歴史にふれている。

 ニューヨーク州の南に位置するペンシルバニア州。「ペンシルバニア」の名はこの地の最初の入植者、ウイリアム・ペンの名にちなんでつけられました。「ペンの森(シルヴィ)」の意のとおり、豊かな大地と森林、流れる小川、いくつもの湖沼をはぐくんだ、雄大な自然が遠くかなたまで続いています。(中略)

 ペンシルバニア州東部の都市、フィラデルフィアの西にあるレンガ造りの家々と街路樹の古い町並みが美しいランカスター。この街を中心にした田園地帯であるペンシルバニア・ダッチ・カントリーは穏やかな美しさをたたえた、人と自然が調和しているところです。

 いまから約二五〇年前、ウイリアム・ペンの招きによりドイツ・ライン川流域に住んでいた、ドイツ語を母国語とする人々が宗教的迫害から逃れて、開拓移民としてこの地にやってきました。「ダッチ」〝Dutch〟とはもともと英語でオランダ人の意味ですが、ダッチ・カントリーでは、このドイツ語を母国語とする人々のことを意味します。移民たちが自分たちのことを「ドイッチェ」〝Deutsch〟(ドイツの)と呼んでいたのを「ダッチ」と聞き違えたことから、こう呼ばれるようになりました。

 ここには、ごく普通に現代生活を営む人々の暮らしとともに、時代に逆らうように、今も三〇〇年前と同じ日々の素朴な生活を守り続ける「アーミッシュ」〝Amish〟と呼ばれる人たちの暮らしがあります。新しい文明を拒否し、いまだに電化製品や文明の利器を使わず、古き良き手作りの生活を送りながら神を敬い、自然を慈しみ、人々の心のふれあいを大切に生きるアーミッシュの人々。

(『ペンシルバニア・ダッチ・カントリー アーミッシュの贈り物』7~8ページ)

 彼らドイツ系移民(ゲルマン系ドイツ系アメリカ人)の不屈の精神もまた、イギリスから「メイフラワー号」で新大陸への入植をめざした清教徒と同じように、やはり「メイフラワー(サンザシ)」の花言葉があらわす「成功を信じて待つ」固い信念のちからに支えられていたと思う。

 さて、今月14日、5月の第二日曜日は「母の日」だが、その誕生の舞台となったのは、19世紀初めのペンシルバニア州(フィラデルフィア)だった。地元の教会で日曜学校の教師だった、アンナ・ジェイビスの母親が、生前、子どもたちの親に対する尊敬の気持ちが薄れていることを嘆いて、「母親たちを讃える日をつくるべきだ」と主張していた。母の死後、アンナがその遺志を継いで、「母の日」の設立を提唱したという。

 これも『ペンシルバニア・ダッチ・カントリー アーミッシュの贈り物』に載っている「母の日」制定のいきさつと、とても素敵な人生クッキング・レシピ「お母さんに捧げる愛情ケーキ」を紹介しよう。

 母の死から二年後、アンナは幼少のころを過ごしたウエスト・バージニアの教会で、ある日曜日の礼拝を母のための追悼ミサとしてもらうことを願い出て、ミサのときに母親が好きだった白いカーネーションを会衆に配りました。こうしてカーネーションが「母の日」と結びつくようになったのです。
一九一〇年、ウエスト・バージニア州の知事によって「母の日」が提唱され、一九一二年には「母の日」国際協会が設立されました。そして一九一四年、時の大統領、ウイルソンによって、五月の第二日曜日を「母の日」とすることが定められました。

お母さんに捧げる愛情ケーキ(A LOVE CAKE FOR MOTHER)
[材料] 「従順」…1缶/「愛情」…数ポンド
(※1ポンド=約453.6g)/「きちんとすること」…1パイント(※約500ml)/「びっくりさせること」(休暇や誕生日、または日々の)…少々/「使い走り」(銘柄――〝喜んでやる〟)…1缶/「起きなければならない時にすぐ起きる粉」…1箱/「一日中ごきげん」…1びん/「心からの思いやり」…1缶
[作り方]これらをよく混ぜ、心地よくあたためたオーブンで焼き、お母さんに毎日プレゼントしておあげなさい。きっと、お母さんはたくさん食べること請け合いです。
「アーミッシュのクックブック」より

(『ペンシルバニア・ダッチ・カントリー アーミッシュの贈り物』55~57ページ)

 やはりアメリカではじまった「父の日」の由来も書かれている。紹介されている雑誌記事もおもしろい。

 一九一〇年、アメリカ人ジョン・ブルース・トッド夫人によって提唱された「父の日」は一九二四年、時の大統領、クーリッジによって六月の第三日曜日とすることに決められました。「母の日」が制定されてから、ちょうど一〇年後のことでした。「父の日」は、トッド夫人が亡き父の墓前にバラの花を供えたところから、バラの花を贈るのが習わしとなった時期もあったようです。
アメリカの雑誌にこんなおもしろい記事が載っていました。

 父親像 ○4歳のとき…ぼくのお父さんはなんでもできるんだ。/○7歳のとき…ぼくのお父さんはぜーんぶ知っている。/○8歳のとき…ぼくのお父さんは何でも知っているわけではない。/○12歳のとき…当たり前。父さんなんかに分からないよ。/○14歳のとき…父さん? 彼は絶望的にオールド・ファッション。/○21歳のとき…彼はもしかしたら少しは知っているかもしれない。/○35歳のとき…われわれが決める前にオヤジさんの意見も聞いてみよう。/○60歳のとき…父さんだったらどう考えたんだろう。/○65歳のとき…もう一度、父さんと話しあえたらなあ……。

(『ペンシルバニア・ダッチ・カントリー アーミッシュの贈り物』55~56ページ)

 いま、わが家の小さな庭は、アメリカハナミズキをはじめ、大小さまざま、色とりどりの五月の花が、どれも楽しく咲きそろい、「希望」と「成功を待つ」意のメイフラワーたちの艶やかな競演がとても楽しい。
本コラム№154でも紹介した『英語の語源Ⅰ』(太田垣正義著、創元社、1978年)に載っている「月の名前」の続きになるが、5月(May)の語源と由来は、これ……。

 Mayはラテン語Maiumに由来し「Maiaにささげられた月」のことです。MaiaはMercuryの母であり、美しい春の女神、花の女神のことです。5月1日はMay Dayで、これは日本では労働者たちのお祭りの代名詞みたいですが、高い緯度に位置している関係で冬が長く厳しいイギリスではこの日、本格的な春の到来を喜んで若者たちは夜明け前から野に出て踊ったり、町の辻や広場に立てられるMaypoleを飾るためにさんざし(hawthorn)の早咲きの花を折って帰る習慣がありました。このhawthornはまたMay-flower(アメリカ移民の際の船の名ですね)とも呼ばれるそうです。また村一番の美しい操行正しい乙女を選び、彼女をMay-queenとして花の冠をかぶせたり、山車(だし)にのせてねり歩いたりしました。
(『英語の語源Ⅰ』「第2章 時間・曜日・月」32~33ページ)

 私が『主婦の友』の新前記者時代、原稿とりにうかがったある日、サトウ ハチローさんがくださった『詩集 ちいさい秋みつけた』(みすず書房、1968年)40ページにある、五月とMayを詠んだ詩が、これ……。

この世の中で一番短い歌
山羊が
五月をよんでます
メェーイ……


【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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