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連載「つたえること・つたわるもの」123

病(やま)いる、生まれる・死ぬ〈いのち〉の臨界点。

連載 2021-10-26

出版ジャーナリスト 原山建郎

 先々週(10月13日夜)、日本アーユルヴェーダ協会の「寺子屋シャーラ静岡」で、オンラインスピーチをする機会があった。「クオリティ・オブ・デス――〈泣いて〉生まれて〈笑って〉死ぬ――」というテーマで、一時間ほど話した。前半のトピックは、前々回のコラム№121でもとりあげた、作家・五木寛之さんの「泣きながら生まれてきた」人間が、「笑いながら死んでゆく」ことは、はたしてできないものなのだろうか、という問いを紹介しながら、「人生は何でもやればできる」というポジティブシンキングだけでなく、「長い人生には、思い通りにならないこともある」と受けとめるマイナス思考、ネガティブシンキングにも目を向けようと呼びかけて、「安らかな死を迎えるまで、笑いながら生きて死ぬ〈生き方〉」について考えてみた。

 スピーチの中ほどは、『往復書簡 いのちのレッスン』(内藤いづみ×米沢慧著、雲母書房、2009年)を引用しながら、連続テレビドラマ『風のガーデン』(2008年、フジテレビ系)が遺作となった俳優、緒形拳さんが、すべての収録が終わった2日後(9月30日)の記者会見で語った「病いる」ということばをとりあげた。

 緒形さんは、2000年に発症した肝炎が2004年ごろ肝臓がんに移行したが、そのことを家族以外にはひと言も口にせず、入院治療もせず、最後まで役者としての人生をみごとに生き切って、2008年10月5日、記者会見のわずか5日後、71歳の人生に幕を閉じたのである。

 このことも、やはり本コラム№121ですでに紹介したところだが、米沢さんが同書のなかで書いているように、「老いる」の意味が「老いをいきる」ことであるならば、同じように、緒方さんが語った「病いる」ということばも「病いをいきる」ことである。そして、究極の「いきる」という意味を、たとえば緒形さんのように「最後まで(役者として)生き切った人生」ととらえれば、私たちもまた「老いの人生を受け止め、ともに生き切る」、そして「病いの人生を受け止め、ともに生き切る」覚悟が求められるのではないだろうか。

 そして、スピーチの後半では、コラム№121ではふれなかった「産まれることと、死ぬこと〈いのちの臨界点〉ということば」について書かれた内容について、米沢さんが同書のもう一人の著者である内藤いづみさんを、「いのちの番人」と表現している一文をとりあげた。

 さて、残しておいた「いのちの番人」についてふれたいとおもいます。この言葉には生命の質ではなく生命の深さに向き合っている姿が見てとれます。すると即座に内藤いづみさん自身のことば「いのちの臨界点」で説明できそうです。いづみさんはある対談で臨界のイメージについてこう語っています。

 「赤ちゃんを産むときには、これが臨界点、これを超えたら出産というのがありますね。それと同じで、ぎりぎりまで生きると、これ以上は生きられないという臨界点があるようにおもいます」
ホスピスケアがいのちのケアにほかならないことをおしえてもらったことばでもあります。生誕と死を同じ場所で起きる異なるいのちの出来事としてみていることです。生まれることと死ぬことが、(いのちの)臨界点ということばで一つになっているのが示唆的ですね。


 赤ん坊は、母の体内で(えら呼吸)九ヶ月、臨界点からオギャーと一声、肺呼吸の世界に産出されて届けられます。母の意思でうまれることはありません。いのちは往きの相でたちあがり、成長期の姿となっていきます。一方、老衰期に向かう還りのいのちもまた「これ以上は生ききれない」という臨界点(寿命)として受けとめられます。終末期とはその不可逆的ないのちのドラマ表現ということになります。

 「いのちの番人」はそのシーンに立ちあっているのです。寄り添っているのです。

 今回の書簡では「患者さんの訴えをトータルペインとして受けとめることが少しできるようになったかもしらない」ということばで伝わってきます。だれもがホスピスケアは全人的ケアだといいますし、そう聞きます。そして、まず、身体的痛みがあって……医療用麻薬(モルヒネ)の投与というように話は続きます。しかし、十五年のキャリアからいづみさんから出たことばはやはりちがいました。

 ●患者さんの気持によりそうとモルヒネの投与量と期間がとても減る。
 ●患者さんと家族の不安を減らすことが痛みを減らすことにつながる。
 ●「二四時間いつもあなたと繋がっています」というバックアップが痛みを減らす。


 これが「いのちの番人」の正体ということです。おもしろいのは、ペインゼロにすることではないこと。「痛みはまあまあです」という患者さんの声が聴ける関係にあることが大事だという指摘です。患者―家族に、いづみさん(在宅医)が三人目の役割として自覚的に係わることで、やさしさとやすらぎが共有されている。私の言葉でいえばファミリー・トライアングルのかたちになっているからだとおもいます。

 医師だからといって医療の科学的な力(たとえば、モルヒネ)を最大の武器にしないで、むしろ二次的に利用することで、心が通い合う人間関係(これをコミュニケーションといっては誤りです)を紡ぎこんでいくということでしょう。だから、ここで「痛み」とは生きる上でだれもがかかえている痛みのことで特別な痛みではない。つまり、痛みの共感は他者と理解し合う際の大事な作用でもあるということ。だからでしょうか、痛みをゼロにすることではなく、「(痛みは)まあまあです」ということばで生のたしかさが受けとめられている。そんなふうにおもいます。
(『往復書簡 いのちのレッスン』第9信「いのちの番人」217~219ページ)

 この一文から、15年ほど前、私が雑誌の取材で内藤さんからうかがった話を思い出した。「在宅で診ているがん患者さんの〈いのち〉が、きょうあすにも臨界点を迎えるという日は、洋服を着たまま寝ます。電話(連絡)が入れば、すぐ起きて車で駆けつけます」と語った内藤さんの微笑みには、ファミリー・トライアングルの三人目、〈いのち〉の臨界点に立ち合う、在宅ホスピス医としての覚悟が感じられた。

 米沢さんが「ある対談で……」と書いていたのは、おそらく内藤さんの対談集『「いのち」の話がしたい』(佼成出版社、2007年)ではないかと思われる。作家の曽野綾子さんとの対談には、まさに「いのちの番人」を彷彿とさせる発言が出てくる。曽野さんの「モルヒネや、麻薬なども上手に使っていいのですね」という問いに、内藤さんは「(終末期の)痛みをとる」ことの是非や、「痛み」の意味について述べている。たとえば、ターミナルケアの担当医師のなかには、痛みをとることにのみのめりこんでしまうように思えるときがある。最期のときのスピリチュアルな痛みというのは底なしの沼に引き込まれる重苦しさだと言われるが、その痛みまでとろうとしても、医療的な処置ではとることができないのだという。

 ということは、つまり「ペイン・フリー(無痛)」がターミナルケアにおける究極のゴール(目標)なのではなく、米沢さんがさきに指摘した【痛みをゼロにすることではなく、「(痛みは)まあまあです」ということばで生のたしかさが受けとめられている。】という観点が、より重要なポイントとなってくる。

 たぶんそれは、「誕生」の苦しみとは逆の、「死」に行く道のりでの苦しみ、いわば、次のトンネルに入っていくための苦しみだと思います。ちょうど誕生の句漆身として陣痛があるようなものです。無痛分娩と同じように無痛死にしてしまっていいの? と、心のなかで問いかけることがあります。産む力も、生まれる力も、死にゆく力も、本来、人には備わっているのではないかと感じるのです。(中略)
 緩和ケア病棟(ホスピス)で死を迎える患者さんは、無痛分娩の時のように眠らされてしまうことが多いという印象があります。そうすると、眠っている患者さんは「痛い」とはいいませんから、一見平和で、魂の痛みはとれて完全にペイン・フリーな状態になったと周りは思うわけです。(中略)
 最期の患者さんの苦しみに寄り添うことは、ご家族と私たちの看取りのなかで、できるはずだと思うのです。「それは怖いことではありませんよ。昔はみんなできたことなのですよ。と。私たちがご家族をはげますことが大切だと感じます。それが私の考える看取りのあり方です。これまで私は二百人近い人たちを在宅で看取ったのですが、最期の時には一人も人工的に眠らせていません。
(『「いのち」の話がしたい』第3章「自分を失わずに生きる」172~174ページ)

 また、次の発言は、わが家で最期を迎えたいと願う患者とその家族に対する、在宅ホスピス医として看取りケアのあり方を述べたものだが、そのまなざしのあたたかさが伝わってくる。

 最期の看取りをする家庭に、幼いお孫さんなどがいることがあります。おじいさんやおばあさんといっしょに暮してきて、苦しい時には「苦しい」という声を聞き、ぎりぎりまで生きる姿を見て、そして、お別れの時を迎える。その時、私は、子どもたちを部屋から追い出さないでくださいと頼みます。

 病院で息を引き取り、ご遺体となり、死後硬直して戻ってきた人ではないのですから、子供は絶対怖がったりしません。大丈夫なのです。たとえ二歳の子どもでもちゃんとわかります。「おばあちゃんにさよならしようね」といいますと、六歳くらいの子なら、おばあちゃんの絵を描いて、「ありがとう、さよなら」と文字も書きます。そういう姿を見ていますと、この子たちは、いつかこの日のことを忘れても、最期のいのちに触れたことだけは、魂の奥のどこかに残してくれていると思うのです。
(『「いのち」の話がしたい』第3章「自分を失わずに生きる」186ページ)

 「いのちの番人」ということばには、たとえば臨終という死を迎える、そのときに、トライアングルの三人目として〈いのち〉の臨界点に立ち会う人という意味だけでなく、終末期のがん患者がわが家で亡くなるまでの間、在宅ホスピス医が看護師や薬剤師などのケアチームとともに丁寧に診てきたことの結果、そのプロセスのなかで、家族や身近な人たちが〈いのち〉を看取れる力を得ていく、そして、やさしさとやすらぎを共有するトライアングルのなかで、扇のかなめをになう「いのちの応援団長」という意味もこめられている。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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