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連載「つたえること・つたわるもの」(167)

ビッグモーター問題、日大アメフト部事件――空気の支配に「水」を差す。

連載 2023-08-22

出版ジャーナリスト 原山建郎

 先週(8月15日)、新聞、テレビなどマスコミが「終戦の日(戦没者を追悼し平和を祈念する日)」をめぐるさまざまな特集・特番を組んでいたが、そのなかで「旧軍隊の悪しき体質が現代の日本社会にもまだ残っているのではないか」という指摘が気になった。なるほど、過去の忌まわしい出来事として「旧軍隊の悪しき体質」だけに責任を押しつけるわけにはいかない。
 そのような「悪しき体質」がどのようにして醸成されたのか、どうしてそのとき「そうせざるを得なかった」のか、そして、78年後の現在もまた、「悪しき体質」による二つの事件、①ビッグモーターの保険金不正請求問題、②日大アメフト部の違法薬物事件が相次いで起こっている。
 今回は『空気の研究』(山本七平著、文春文庫、1983年)を手がかりに、あらゆる論理や主張を超えて、人びとを拘束する「空気の支配」、あるいは「同調圧力(集団のなかで、少数意見を持つ人に対して、周囲の多くの人と同じように考え、行動するよう、暗黙のうちに強制すること)」について考えてみたい。
 
① 中古車販売会社の最大手・ビッグモーターの保険金不正請求問題
 ビッグモーターのHP(7月18日・インフォメーション)に掲載されている「調査報告書」(外部の弁護士による特別調査委員会による報告)PDF(全文)の一部を紹介する。【】内は、原山による報告書の要約。

第8 不適切な保険金請求が行われた原因の分析
1 不合理な目標値設定 【◆車両修理案件1件あたりの工賃と部品粗利という、営業努力では上下できない部分について「@(アット)」を指標とする不合理な目標値によるプレッシャーがあった。】/2 内部統制体制の不備とコンプライアンス(※法令順守、倫理観や公序良俗など社会的な規範に従い、公正・公平に業務を行うべきこと)意識の鈍磨 【◆コンプライアンス担当取締役さえ指定されておらず、最終責任者である社長に対する重要事項の報告も必ずしも万全であったとはいい難いなど、業務上の問題を適時適切に把握できる体制なっていなかった。◆損害保険会社から要請されている保険金の不正請求の内容と対応について、特別調査委員会から指摘されるまで、社長、副社長も知らなかった。◆日ごろから就業規則を無視した降格処分が頻発されていた。◆その結果、法令、社内規範、企業倫理等を遵守するという、経営陣・従業員全体のコンプライアンス意識が鈍磨していた。】/3 経営陣に盲従し、忖度する歪な企業風土 【◆ある日突然、降格人事が下されるような異常な人事が常態化している中で、経営陣の指示に盲従、忖度する歪な企業風土が醸成された。◆そのためBP(板金塗装)工場従業員らは、設定された「@」の数値(営業ノルマ達成)は経営陣の意向と捉えていた。】/4 現場の声を拾い上げようとする意識の欠如 【◆従業員172名が保険金不正請求に関与していると答えているのに、経営陣がまったく気づかず、長期間にわたって一連の不適切な保険金請求が脈々と継続することを許す要因となった。】/5 人材の育成不足 【◆工場設置数は急増するも見合う人材が育成されていなかったこともまた、保険金不正請求の継続・拡大の要因の一つとなった。】

 中古車販売会社の最大手・ビッグモーター(年商6,500億円、従業員6,000名、店舗数300以上)には、保険金不正請求以外にも、店舗前の街路樹を強力な除草剤で枯らすなどの問題も出ている。誰が考えても「不正・理不尽」な会社の指示に対して、ほとんどの従業員が「そうせざるを得なかった」という会社全体の空気(社風)は、上記の「調査報告書」からも読みとることができる。

② 日本最大のマンモス大学・日大アメフト部の違法薬物騒動
 8月9日の讀賣新聞朝刊(社会面)に、『日大の林真理子理事長「スポーツは遠慮すべき分野だった」と吐露…改革は「無念だが後ずさり」』というタイトルの記事が掲載された。

 「危険タックル問題」や元理事長の脱税事件で揺れた日大の改革を託されて昨年7月に就任した林理事長らの記者会見は約2時間15分に及んだ。会場には約180人の報道陣が集まった。植物片などの発見から通報までの「空白の12日間」の対応について、林理事長は「適切だった」と強調。警視庁による寮の捜索から記者会見までにも5日間を要したが、「隠蔽と言われることは非常に遺憾。きちんと対応するには期間が必要だった」と弁明した。会見が進むと、「スポーツは私にとってちょっと遠慮すべき分野だった」と吐露。「スポーツの方は副学長、学長に聞く立場だった。一番重たい問題を抱えていたのはスポーツだったと認識した」と話した。先月行われた就任1年の記者会見で、改革の現状を「6合目」としていた林理事長。この日の会見の最後には、「本当に無念だが、かなり後ずさりしてしまった」と力なく語った。
(2023年8月9日、讀賣新聞朝刊、社会面記事より抜粋)

 8月10日の産經新聞朝刊(オピニオン欄)では、沢田康広副学長(元検事)の対応にもふれている。

 日大の信用回復の切り札として令和4年に理事長に就任した作家、林真理子氏は会見で「スポーツの機構やシステムが分からず遠慮があり少し後回しになった」と述べた。元理事長(※田中英壽)の脱税事件はアメフト部など体育会OBらによる伏魔殿が舞台となった。体育会を放置して、日大改革はあり得ない。
 大学側の任意の調査で、寮内から植物片と錠剤を発見しながら、警視庁への報告は12日後となった。競技スポーツ担当の沢田康広副学長は、植物片が大麻であると推認しながら「学生が反省するなら自首させたい」と考えた処置なのだという。証拠隠滅や犯人隠避に問われかねない行為である。沢田氏は元検事であり、「われわれは捜査機関ではなく教育機関」との言い訳には納得しがたい。

(2023年8月10日、産經新聞朝刊・オピニオン欄より抜粋)

 かつて日大のドンと呼ばれた田中英壽前理事長に代わって、昨年7月、「母校の改革」を掲げて新理事長に就任した林真理子さんが、8月8日の記者会見で思わず洩らした「スポーツは私にとってちょっと遠慮すべき分野だった」というひと言でわかるように、2018年に起こった「危険タックル」事件と同じように、今回もまた証拠隠滅や犯人隠避は当然と考える「空気」という名の「同調圧力」に阻まれてしまった。

 『空気の研究』の冒頭で、ある集団のなかで人びとを拘束する、目には見えない無色透明の「精神的な空気」、あるいは一切の反論を許さない「同調圧力」のことを、山本さんは次のように述べている。

 「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会議の空気では……」「議場のあのときの空気からいって……」「あのころの社会全般の空気も知らずに批判されても……」「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」「その場の空気は私が予想したものと全く違っていた」等々、至るところで人びとは、何かの最終決定者は「人でなく空気」である、と言っている」
(『空気の研究』「空気の研究 一」15ページ)

 今回のビッグモーター(会社ぐるみの不正)問題も、日大アメフト部(違法薬物の隠蔽)事件も、集団の絶対的な「空気」支配のもとで起こった。『空気の研究』を執筆した山本七平さんのプロフィール(おもに軍歴)を、評論家・日下公人さんの「解説」をもとに補足説明を加えながら紹介しよう。

 山本七平氏は大正十(1921)年東京に生まれ、昭和十七(1942)年青山学院大学卒業と同時に陸軍に第二乙種合格(※旧日本軍隊の徴兵検査で身体検査の結果、現役は免除されるが補充兵として登録)で招集され、近衛野砲兵連隊に入営したのち、甲種幹部候補生(※予備役将校、つまり平時は一般社会で生活する軍隊在籍者となる教育を受ける)試験に合格して豊橋第一陸軍予備士官学校に入学した。そこで砲兵将校としての教育を受けたのち、昭和十九(1944)年五月門司を出港してマッカーサー(※アメリカ陸軍元帥・連合国最高司令官が率いる)軍の上陸間近い比島(※フィリピン諸島)へ送られる。比島では第一〇三師団砲兵隊本部付の少尉として地獄の比島戦(※日本占領時期の1944年から1945年にかけて、フィリピン奪回を目指す連合国軍と、防衛する日本軍との間で行われた戦闘)を経験し、九死に一生を得て(※フィリピン北部のルソン島で終戦を迎える。その後、マニラの捕虜収容所に移送されるも、最後の復員船で)昭和二十二年に帰国した。(中略)軍隊生活の五年間、山本七平氏は多分精神的にも肉体的にも殺されかけていた。その中で“内なる自由”だけを必死で守ったことが、生命の根源的なエネルギーの発露としての頭脳活動をひき出すことになったのだろう。氏にとって、軍隊は“戸塚ヨットスクール(※1979年~1982年にかけて起きた、戸塚宏校長やコーチらによる訓練生への暴行死事件)”だったのかも知れない。
(『空気の研究』「解説」231~233ページ)

 78年前(1945年)春、敗色濃厚となった太平洋戦争末期、沖縄本島の海岸に戦艦大和を伸し上げ、(艦砲射撃の)砲台としてアメリカ軍を迎え撃つ「海上特攻」という作戦があった。すでに沖縄周辺の制空権や制海権はアメリカ軍によって握られており、4月1日にはついに沖縄本島への上陸が開始され、これに対して日本軍は効果的な抵抗ができずにいた。誰が見ても戦艦大和の「海上特攻」は無謀な作戦であった。

 驚いたことに、「文藝春秋」昭和五十年八月号の『戦艦大和』(吉田満監修構成)でも、「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」(軍令部次長・小沢治三郎中将)という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性は専ら「空気」なのである。従ってここでも、あらゆる議論は最後には「空気」できめられる。最終決定を下し、「そうせざるを得なくしている」力をもっているのは一に「空気」であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。というのは、おそらくわれわれのすべてを、あらゆる議論や主張を超えて拘束している「何か」があるという証拠であって、その「何か」は、大問題から日常の問題、あるいは不意に当面した突発事故への対処に至るまで、われわれを支配している何らかの基準のはずだからである。
(『空気の研究』「空気の研究 一」17~18ページ)

 「そうせざるを得なかった」とは、自分が所属する集団(※海軍)の「空気」に「強制された」からであって、自分の意志ではないから責任は問われない。どれほど「海上特攻」を無謀とする「データ(根拠)」があっても、いかに無謀な「特攻出撃」であろうとも、それを是とする「空気」が勝ってしまう。

 このことを明確に表しているのが、三上参謀と伊藤長官の会話であろう。伊藤長官はその「空気」を知らないから、当然にこの作戦は納得できない。第一、説明している三上参謀自身が「いかなる状況にあろうとも、(※戦闘機による掩護がない)裸の艦隊を敵機動部隊が跳梁する外海に突入させるということは、作戦として形を為さない。それは明白な事実である」と思っているから、その人間の説明を、伊藤長官が納得するはずはない。だが、「陸軍の総攻撃に呼応し、敵上陸地点に切りこみ、ノシあげて陸兵になるところまでお考えいただきたい」といわれれば、ベテランであるだけ余計に、この一言の意味するところがわかり、それがもう議論の対象にならぬ空気の決定だとわかる。そこで彼は反論も不審の究明もやめ「それならば何をかいわんや。よく了解した」と答えた。この「了解」の意味は、もちろん、相手の説明が論理的に納得できたの意味ではない。それが不可能のことは、サイパンで論証ずみ(※サイパン陥落時にも同様の作戦が提案されたが、戦艦大和が無傷で到達することはできないなどの理由でしりぞけた)のはずである。従って彼は、「空気の決定であることを、了解した」のであり、そうならば、もう何を言っても無駄、従って「それならば何をかいわんや」とならざるを得ない。
(『空気の研究』「空気の研究 一」18ページ)

 集団による「空気の支配」を解くカギは、その場の空気に「水を差す」ひと言にある、と山本さんは言う。それを口にすることで、「空気に支配」されていた人びとを現実に引きもどすことができるのだと……。

 「空気支配」の歴史は、いつごろから始まったのであろうか? もちろんその根は臨在感的把握(※ある対象への感情移入が強力になり、それが感情移入だと考えられないほど絶対化してしまう状態)そのものにあったのだが、猛威を振るいだしたのはおそらく近代化進行期で、徳川時代と明治初期には、少なくとも指導者には「空気」に支配されることを「恥」とする一面があったと思われる。「いやしくも男子たるものが、その場の空気に支配されて軽挙妄動するとは……」といった言葉に表れているように、人間とは「空気」に支配されてはならない存在であっても「いまの空気では仕方がない」と言ってよい状態ではなかったはずである。ところが昭和期に入るとともに「空気」の拘束力はしだいに強くなり、いつしか「その場の空気」「あの時代の空気」を、一種の不可抗力的拘束と考えるようになり、同時にそれに拘束されたことの証明が、個人の責任を免除するとさえ考えられるに至った。
(『空気の研究』「あとがき」221~222ページ)

 さて、兼重宏行前社長(71歳)が1976年、25歳で創業した兼重オートセンター(現ビッグモーター)の悪しき「空気」に、和泉伸二新社長(54歳)は新しい「水」を差すことができるのか……。はたまた、日大アメフト部の危険タックル問題や今回の証拠隠滅や犯人隠避疑惑に揺れる「日大」のコンプライアンス意識、内部統制のあり方について、林真理子理事長は目に見える形で「水」を差すことができるのか……。
 ビッグモーターと日大の再生のために、お二人には明るく元気な「空気」の醸成に努めていただきたい。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員
 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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