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連載「つたえること・つたわるもの」(114)

大坂なおみ選手のうつ病、『52ヘルツのクジラたち』

連載 2021-06-08

出版ジャーナリスト 原山建郎
 パリで行われている全仏オープンテニス大会で、5月30日、世界ランク第2位の大坂なおみ選手が1回戦に勝利したあと、コート上でのインタビューには応じたが、その後の記者会見を拒否したことで、1万5000ドルの罰金を科せられた。さらに、四大(全米、全豪、全英、全仏)大会の主催者は連名で「試合の結果に関わらずメディアに関与することは選手としての責任であり、その責任は選手がテニスとファン、そして自分自身のために負うべきものだ」との声明を出し、大坂選手が今後も会見に応じなければ、全仏オープンの失格を含む厳しい処分のほか、今後の四大大会で出場停止処分となる可能性もある、と強く警告した。

 この行動に対して、錦織圭選手は「彼女の真意がどこにあるのかわからないので、何とも言いづらい」とした上で、「嫌なこともあるけど、大会で賞金を貰い、たくさんの人が大会に関わってくれていることを考えると、(記者会見は)しないといけないことだと思う」とコメントし、また男子世界ランク第1位のノバク・ジョコビッチ選手も「彼女はおそらく理由があるのだろう」と前置きしながら、「記者会見がときどき非常に不愉快になることを理解している。特に試合に負けたら、いつも楽しいものではない。しかし、それはスポーツの一部であり、ツアー人生の一部。これは私たちがしなければならないこと。さもなければ罰金が科せられる」と、大坂選手の行動に一定の理解を示しつつも、かなり批判的なコメントを出した。

 そして、大坂選手は6月1日のSNSで、「今回のことは、数日前に投稿した時には想像もしていなく、意図もしていなかった状況です。今は大会、他の選手、そして私自身の健康のためにも、私が辞退し、皆が全仏オープンテニス2021に集中できるようにすることが一番だと思っています。私は皆さんの気を散らす存在になりたいとは思っていませんでしたし、(発表が)理想的なタイミングでは無かったことを認めます」とコメントし、第2回戦以降の棄権を表明するとともに、「実は全米オープンテニス2018以降、長い間、うつ病に苦しみ続け、その対処に本当に苦労してきました。(中略)ここパリでは、すでに弱気になって不安になっていた自分がいたので、(自らの)ケアをするために記者会見を欠席した方がよいと考えました」と、3年前からうつ病にずっと悩まされてきたことを告白したのである。

 全米オープンテニス2018といえば、当時、世界ランク第1位のセリーナ・ウイリアムスをシングルス決勝で破って初優勝を飾った大坂選手が試合後の表彰式で、S・ウイリアムの優勝を期待していた客席のファンから大ブーイングにあったことを思い出す。大坂選手は優勝インタビューで涙を流しながら、「ちょっと質問じゃないことを語ります。みんな彼女(S・ウィリアムズ)を応援していたのを知っている。こんな終わり方ですみません。ただ試合を見てくれてありがとうございます。本当にありがとう、それは(プレッシャーからの)不安を和らげるためにしていることが多いです」と語り、S・ウィリアムズにお辞儀をして「プレーしてくれてありがとう」と感謝を述べた。すると、客席からのブーイングの嵐が、一瞬、止んだという。

 大坂選手は、おそらく全米オープンテニス2018で受けたS・ウィリアムズの熱狂的なファンたちのブーイングというトラウマ体験が、いつまでも消えないPTSD(心的外傷後ストレス障害)として心の奥底でくすぶり続けていたにちがいない。その後の大坂選手は、はためには「タフ」なテニスプレイヤーとして、また「ストレス耐性」に強いワンダー・ウーマンとして、世界ランク第1位・第2位の座をずっとキープし続けてきたのだが、それは内面の壊れやすさ(フラジリティ)が大きければ大きいほど、記者会見で自ら「裸のこころ」をさらけ出す不安や恐怖の度合いがどんどん増大していったのかもしれない。

 うつ病告白後も、後出しじゃんけんのような「うつ病であったのなら、記者会見に応じない意向を示す前提として、そのことを説明すべきだった」という批判や、「試合後の記者会見を拒否すると言いながら、なぜコート上のインタビューには応じたのか。おかしい。矛盾する」という非難の声が多く聞かれた。

 航空貨物などに貼られるシールに「FRAGILE(こわれもの)」がある。外箱の包装からはわからない荷物の中身を保護するための注意書きだが、世界的な「強さ」を誇るワンダー・ウーマン・大坂選手の内面に隠されたうつ病という「弱さ」を理解する手がかりに、『フラジャイル 弱さからの出発』(松岡正剛著、ちくま学芸文庫、2005年)から、「強さ・弱さ」、そして壊れやすさ(フラジリティ)を考えてみたい。

 弱さには自分でおもいこむ弱さもあれば、他者や社会がしむけてくる弱さもある。強いとおもえていたものがからっきし弱いこともあり、弱いとみえたものがめっぽう強いばあいもある。また、金属の弱さや動物の弱さや体力の弱さのように、その内部の組織が弱くてもろいということもある。また、人間の心理的な弱みもあるし、地域的に露呈した弱さや、世間によって閉じこめられてしまった弱さもある。(中略)きっとわれわれの周囲には「強さ」があるぶんだけ、「弱さ」というものがたくさん想定されてきた。しかも、こうした「弱さ」は、これまではしばしば敗北や欠損や劣悪の原因とされてきた。勝った者はつねに強くて、負けた者がかならず弱いとされてきた。(中略)私は「弱さ」を「強さ」からの一方的な撤退だとか、尻尾をまいた敗走だとはおもっていない。むしろ弱々しいことそれ自体の中に、なにか特別な、とうてい無視しがたい消息(※人や物事の、そのときどきのありさまや事情)が隠れているとおもっている。(中略)(『フラジャイル 弱さからの出発』Ⅰ「弱さの多様性」15~16ページ)

 たとえば、「贔屓の引き倒し」とは「贔屓をし過ぎると周囲の反感を買い、かえってその人の迷惑になる」ことを意味するのだが、「贔屓(気に入った人を特に可愛がり、引き立てたてる)」の主な理由はその人の「強さ(優秀さ)」であり、「弱い」人のほうはたいてい目もかけられず、冷遇されることが多い。

 松岡さんは、「強さ」神話の刷りこみ、熱烈なファン心理、マスメディアの報道に苦言を呈している。

 これまで本書でのべてきたことは、一見、弱々しくみえる事態や弱々しい感情のなかには、とんでもなく重要なことがいっぱいふくまれているということだった。それなのにわれわれは、「弱さ」から何かをとりだしてみようとはしなかった。(中略)では、われわれはなぜ「弱さ」を無視したり軽視したりするようになってしまったのだろうか。私の見方ははっきりしている。われわれはいつかどこかで「強さ」の神話を刷りこまれすぎたのである。(中略)このことはスポーツ選手にたいする見方にもあらわれる。

 スポーツ選手のスターを完全な強者に仕立てあげたいという見方である。まるでレプリカント(※限りなく人間に似せたロボット)扱いなのだ。これが裏返ってしまうと、ときどき私も気がめいるのだが、スポーツ選手のスランプやドーピングや反社会的な行動にたいするマスメディアの容赦ない鉄槌になる。これは、スポーツ選手をまるで優生学的な意味での優等生のように扱ってしまったせいだった。こういうときは、ファン心理もマスメディアに引きずられて同じような反応になる。これはいささかやりきれない。
(『フラジャイル 弱さからの出発』Ⅵ「フラジャイルな反撃」432~444ページ)

 ところで、先月末、2021年の本屋大賞に輝いた『52ヘルツのクジラたち』(町田そのこ著、中央公論新社、2021年)を読んだ。ずっしり重たいテーマの小説で、ぜひ読んでいただきたい一冊である。今回はあえてその内容には触れないが、帯にある二つの情報(52ヘルツのクジラ、小説の概要)を紹介しておこう。

 52ヘルツのクジラとは――他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラ。たくさんの仲間がいるはずなのに何も届かない、何も届けられない。そのため、世界で一番孤独だと言われている。

 自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年。孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会い、新たな魂の物語が生まれる――。

(『52ヘルツのクジラたち』カバー帯)

 小説のモチーフとなった「52ヘルツの鯨」について、Web情報をもとに要約してご紹介しよう。

 52ヘルツの鯨はウッズホール海洋研究所 (WHOI) のチームにより発見された。その呼び声は1989年に初めて聴取され、2004年以降は毎年、対潜水艦水中マイクで聴取されているが、その姿を見た者はいない。52ヘルツの周波数はチューバの最も低い音よりわずかに高い。その呼び声のパターンはシロナガスクジラともナガスクジラとも似ておらず、ずっと高周波数で、短く、より頻繁である。シロナガスクジラは、普通10~39ヘルツで鳴く。ナガスクジラは20ヘルツである。この鯨の呼び声は、毎年8月から12月のいずれかに太平洋において聴取されるのだが、1月か2月になると水中マイクの観測範囲の外に去ってしまう。

 帯の一文に「他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴く」とあるのは、10~39ヘルツ(シロナガスクジラ)や20ヘルツ(ナガスクジラ)よりも相対的に高い呼び声の、52ヘルツのクジラのことを指している。

 「声(音)」といえば、作曲家で尺八演奏家の中村明一さんが、その著書『倍音 音・ことば・身体の文化誌』(春秋社、2010年)で、人間が発する声は一つの音として聞こえる場合でも、さまざまな周波数の音を含んでおり、それら複数の音(振動)が構成する複合音になっている、と解説している。(※緑字は原山)

 音を定義すると、「ある媒質における圧力変化が聴覚によってとらえられたもの」となります。日常的な言葉に置き換えれば、「空気などの圧力の変化が人間の耳などに伝わったとき、それが音として知覚される」ということです。「ある媒質」は空気だけでなく、水やその他の物質の場合もあり得ます。そして、耳で聞くだけでなく、皮膚などでとらえられる場合もあります。圧力の変化が振動となり、それが周期を持った場合に、音の高さとして知覚されます。その周期的変動の単位時間あたりの数を周波数と呼びます。音の周波数は通常、一秒間に何回振動したかによって表され、「ヘルツ(Hz)」という単位が用いられます。

 (中略)では、「倍音」とは、いったい何を指す言葉なのでしょうか。(中略)一般的に、音は、ひとつの音として聞こえる場合でも、複数の音による複合音からなっている、ということです。「ひとつの音」と思って聞いている中に、さまざまな音が含まれているのです。それらのさまざまな音がどのように含まれているか、によって、音色(おんしょく)はつくられます。音色(音質)をつくっているのが「倍音」なのです。

(『倍音 音・ことば・身体の文化誌』第2章「倍音とは何か」7~9ページ)

 今回、なぜ『52ヘルツのクジラたち』をとりあげたかというと、全米オープンテニス2018で受けたPTSDを3年間ずっと内面に抱えていた大坂選手の、声にならない声に向き合いたいと思ったからだ。52ヘルツのクジラのように、大坂選手が発したかすかな悲鳴(呼び声)は、バッシングを受けてたじろいだ大阪選手がうつ病を告白するまでは誰の耳にも届いていなかったことを、知るべきだと考えたからである。

 つまり「52ヘルツのクジラたち」とは、大坂選手のように自分の心の声を聞いてもらえない人たちのことである。大坂選手へのインタビューやSNSでのコメントに込められた、かすかな悲鳴(呼び声)、壊れやすさ(フラジリティ)と向き合うには、左右にある二つの耳(聴覚)だけでなく、さらに全身の皮膚感覚でとらえる「第三の耳」を開くためのホリスティック(霊性的)な努力が、いま、私たちに求められている。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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