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連載「つたえること・つたわるもの」(77)

ナチュラル・ダイイング、自然な〈お迎え〉を阻むもの。その2

連載 2019-11-12

 さて、『「お迎え」されて人は逝く――終末期医療と看取りのいま』(ポプラ新書、2015年)の著者である奥野滋子医師は、金沢医科大学卒業後、順天堂大学医学部麻酔科で麻酔・痛み治療に従事したが、2000年から緩和ケア医に転身し、現在は湘南中央病院在宅診療部長として在宅での緩和ケアに携わっている。

 奥野さんは、長らく医療の現場では〈お迎え〉現象は脳の機能不全によって生じる意識障害、いわゆる「せん妄」と診断され、治療の対象とされることが多かったことに疑問を感じて、病院での診療・看取りだけでなく、在宅での診療・看取りを通して、日本人の「お迎え」現象の意味を考えるようになった。

 同書には、〈お迎え〉現象を「せん妄」と診断され、抗精神薬(幻聴や妄想などの症状を抑える薬)を病院で処方された女性(99歳)、Nさんのケースが紹介されている。奥野さんが訪問診療でケアしていたNさんは、自宅ではベッドから手を伸ばせば届くところに仏壇を置き、ときどきご先祖との会話らしき言葉を発することもあったらしい。認知機能はほぼ正常で、自分の意思をきちんと伝えることができていた。

 ところが、たまたま圧迫骨折を起こして受診した病院に、痛みがやわらぐまで入院することになったNさんが、見舞に来る人に「こんなに動けないんじゃ人間終わりだ。もう死にたい。終わりにしたい。死なせてほしい」と訴える様子に驚いた病院スタッフが、「自殺の恐れあり」と判断して、精神科専門医の診察を受けさせた。そして、「うつ」という診断が下され、抗うつ剤と抗精神薬(死にたいという気持ちを落ち着かせる薬)による治療が開始されると、一日中、ぼうっとしてすごすようになった。いつも口にしていた「死にたい」という言葉を周囲が聞くこともなくなり、その後はご先祖との会話を耳にすることもなくなり、Nさんはそのまま亡くなったという。

 死が間近に迫った患者が通常では説明しづらい行動をとり始めたときに、それを「お迎え」現象ととらえるのか、せん妄と診断するかによって、旅立ちまでの過ごし方が大きく違ってきます。

 「本人が怖くないと言うのなら、夜中でも起きてしゃべっていようがいいじゃない」となれば、たぶんその人は誰かとの会話を続けることができるでしょう。

 でも、意識障害と判断してすぐに薬剤治療をして眠った状態にしてしまうと、もうそうしたチャンスが奪われてしまうのです。

 そもそも医療者自身が「お迎え」現象を理解していなければ、すべてが病気扱いになってしまいますし、患者本人や家族も「お迎え」の情報がなければ、「頭が変になったみたい」と思い込んでしまいます。

 「お迎え」現象を知っている医療者でも、「お迎え」か「せん妄」か、診断の際に意見が分かれることが往々にしてあります。

 私はそうした場合はとにかく、その患者と対話をすることにしています。たとえば、飛行機が飛ぶ音が聞こえると、誰かの名前を叫びながら蒲団にもぐって隠れようとした高齢の女性がいました。「誰かの名前を呼んでいたけど、どうしたの?」とまずは尋ねてみるのです。単に意味もなく叫んだり逃げようとしているのなら、「せん妄」かもしれませんが、「空襲のときに一緒に防空壕に隠れていた○○さんが今ここにいた」といった、何らかの意味づけができれば、「お迎え」の可能性もあります。

 目の前の現象だけで判断したり、すぐに薬剤治療に踏み切ろうとしたりせずに、本人に身体的な苦痛がなく、危険な行為に至らないようなら、見守って様子を見るように心がけています。

(『「お迎え」されて人は逝く』82~83ページ)

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