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連載「つたえること・つたわるもの」(61)

3・11。原発供養、祈りのこころ。歌に詠む、物語に語り継ぐ。

連載 2019-03-12

出版ジャーナリスト 原山建郎

 東日本大震災と福島第一原発事故が同時に起こった「3・11」から、早くも8年の歳月が流れた。

 そのころ私は、「トランネット通信」というメールマガジンに、毎月の連載コラム「編集長の目」を寄稿していたので、2011年5月から13回に渡って、3・11に関する事柄について書くことにした。

 「3・11の記憶を風化させるな」という言葉はよく耳にするが、その当時もいまも、テレビや新聞、雑誌など大マスコミがとり上げようとしなかった原発供養から、そのコラムを書き始めた。すでに8年も前に書いたコラムであるが、まだ8年しか経っていないともいえる。とくに「福島第一原発事故・その後」を考える手がかりに、当時のコラム(記憶)の一部を再録しながら、今回のコラムを書き進めてみたい。

 「3・11」の2カ月後から書き始めた連載コラム「編集長の目」No.141のタイトルは、『原発に向かって祈るこころ、「原発供養」というソリューション』である。

 この三月に神戸女学院大学教授を退官した内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』で、四月八日にアップされた「原発供養」の一文に、はっと胸を衝かれた。

 そのなかで、内田さんは精神科医・名越康文さん、作家・橋口いくよさんとの鼎談のなかで、橋口さんが震災からあとずっと「原発に向かって祈っている」という逸話を紹介している。

 40年間、耐用年数を10年過ぎてまで酷使され、ろくな手当もされず、安全管理も手抜きされたあげくに地震と津波で機能不全に陥った原発に対して、日本中がまるで「原子怪獣」に向けるような嫌悪と恐怖のまなざしをむけている。

 それでは原発が気の毒だ、と橋口さんは言った。

 誰かが「40年働いてくれて、ありがとう」と言わなければ、原発だって浮かばれない、と。

 橋口さんがその「原発供養」の祈りを捧げているとブログに書いたら、テキサス在住の日本人女性からも「私も祈っています」というメールが来たそうである。(中略)

 私はこの宗教的態度を日本人としてきわめて「伝統的」なものだと思う。ばかばかしいと嗤(わら)う人は嗤えばいい。けれども、触れたら穢れる汚物に触れるように原発に向かうのと、「成仏せえよ」と遥拝しながら原発に向かうのとでは、現場の人々のマインドセットが違う。

 「供養」しつつ廃炉の作業にかかわる方が、みんなが厭がる「汚物処理」を押し付けられて取り組むよりも、どう考えても、作業効率が高く、ミスが少なく、高いモラルが維持されるはずである。(中略)

 今日本人がまずなすべきなのは「原発供養」である。

 すでに「あのお方」がなされているとは思うが。

 【『内田樹の研究室』「原発供養」/2011年4月8日】

 
 当時、武蔵野大学の授業(マスコミキャリア概論)の中で、私はこの「原発供養」のことを紹介した。

 ひとりの学生は、「原発についての話を聞いて、はっとした。原発による被害者からの視点、考えが蔓延している中、〝原発供養〟という考え方は貴重だと思う」という意味の感想を寄せてくれた。

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