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連載「つたえること・つたわるもの」(54)

クオリティ・オブ・デス、リビング・ウイルを考える――その1

連載 2018-12-11

 作家・遠藤周作さんは、1982年に「心あたたかな医療」運動を提唱し、1996年に亡くなった。順子夫人のエッセイ『再会――夫の宿題 それから』(PHP文庫、2002年)の第二章「お医者様におねがいしたいこと。」の中に、「人工呼吸器をはずしたあとは五分しかいない」と題する一文がある。

 遠藤周作さんは大学病院に入院中、原因不明の熱と抗生物質の投与との追っかけっこで、急速に体力が落ちていたところへ、食べ物の誤飲から重篤な肺炎を引き起こしてしまう。そして……。

 バタバタと医者や看護婦が歩き回る中で、「奥さんは部屋から出てください」と言われて部屋から出されました。

 その後、主治医から「自発呼吸がまだありますが、それだけでは不十分なので人工呼吸器をとりつけました」と事後承諾的な説明を受けました。そして、部屋に入った時はもうゴウゴウという機械の音で、私の声など聞こえる状態ではありませんでした。人工呼吸器なるものを見たのもその時がはじめてでした。

 それでも医学的な知識のない私は、人工呼吸器で息が楽にできるようになって明日か明後日になれば状態がよくなって、この人工呼吸器ははずされるものと思っていたのです。

 ターミナル期を迎えたご家族をお持ちの方々に申しあげます。人工呼吸器をつける必要が生じた場合は、必ず事前にそのことの可否を家族に尋ねてほしい旨を前もって医療側に念を入れ、数回申し入れをしておくべきだと思います。(中略)

 そのまま臨終を迎える場合は、人工呼吸器を一度とりつけてしまうと、スイッチを切ってから亡くなられるまでは、たった五分ほどしかないことを覚えておかれるほうがいいと思います。

 主人の臨終のあの時、スイッチが切られたあと、体に入っているすべての管をとりのぞいてもらうことを、よくぞ思いついたと思います。神様のお恵みと主人からの強い意志を、テレパシーで感じることができたおかげだと今でも思っています。

 「ご臨終ですからどうぞお入りください」と言われて部屋に入ってから、わずか五分というのは非常にきびしい条件ですが、それでも人工呼吸器に附随している管をとりのぞいてもらえば、亡くなっていく人からのメッセージは、最愛の方々には何らかの形で必ず伝わると思います。私の場合はそうでした。どうかそのことを覚えていらっしゃってください。(中略)

 日野原先生は亡くなっていく人が、家族から励ましや感謝や安らぎを伝えられて心から癒され、また亡くなっていく人のそのような姿を見て家族も癒されていくことで、はじめて安らかな死は成就すると言っておられます。
(同書86~88ページ)


 いきなり病室から追い出され、勝手に人工呼吸器をとりつけられ、臨終を告げられた順子夫人の悲鳴だ。十年ひと昔というが、22年前の大学病院でも、治療にあたる医師の判断で人工呼吸器をとりつけ、心肺蘇生措置を施し、それでも回復する見込みがなくなったときに初めて、家族は「人工呼吸器を外しますか?」と聞かれる。人工呼吸器をはずすことは、家族(妻)の手で(愛する夫の)死を選択することである。

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