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連載「つたえること・つたわるもの」(54)

クオリティ・オブ・デス、リビング・ウイルを考える――その1

連載 2018-12-11

出版ジャーナリスト 原山建郎

 先週、文教大学越谷校舎オープンユニバーシティ(生涯学習講座)で行った「からだをゆるめ、こころをほぐす」健康講座の第5回(最終回)は、〈からだ・いのち・たましいを考える〉がテーマだった。

 この講座は、いわゆる「健康寿命(あまり他人の世話にならず、自立して生活できる生存期間)を延ばす」ための健康法を学ぶ場ではなく、ほとんどの人が望んでいる「クオリティ・オブ・デス(安らかな死)」を迎えるための手がかりを知る講座である。第1回の冒頭では、「この世でいちばん確かなことは、人間の死亡率は100%、人間はいつか必ず死にます」という厳粛な事実と、「もう一つ確かなこと、それはだれでも死ぬまでは生きています」という明白な現実を示したうえで、「それでは、私たちがいつか死ぬ、その日までどう生きるか、楽しく生きたいか、いやいや生きたいか、それを考えましょう」と提案した。

 72歳の私と同い年の男性受講者が手を挙げて、「リビング・ウイルもやりますか?」と聞かれた。「はい、第5回講座でとりあげる予定です」と答えたが、その質問には、リビング・ウイルの考え方だけでなく、「終末期医療における事前指示書」の具体的な文例も含まれていた。そこで、急遽、第5回講座に向けて、新たな配布資料「一人称の死(わたしの尊厳死・平穏死・自然死)を考える」を作成した。

 近年、医療機関や介護施設では、終末期を迎えようとする人の「死の迎え方」について、カンファランス(今後についての話し合い)が行われることが多くなった。まれに患者自身が参加することもあるが、ベッドで寝たきりの状態の場合には、患者の家族と医師、看護師、栄養士(介護士、ケアマネージャー)が参加して、きたるべき「死の迎え方」について話し合われる。正確に言うと、医療(介護)側から、現在の患者の容体について医学的な説明があり、「延命を目的とした医療処置」について家族側が選択を迫られる。ところが、難しい専門用語がよくわからない家族が「それをしないと、死んでしまうのですか?」と質問すると、「はい、その通りです」という答えが返ってくるので、半ばパニック状態になっている家族は「それでは(延命治療や生命維持装置使用を)お願いします」と返事してしまうケースが少なくない。

 ほとんどの場合、延命を目的とした医療処置とは何かが、家族側に正確に伝わっていない。医療側は「こんなことは、すでにインターネットや医療関連書籍で知っているでしょう」的な感覚で、かつ官僚的なルーチン(型通りの手順)にしたがって、必要な項目チェックを行う場合が多い。人生の最終章を迎えようとしている人に対する、医療側の「レスペクト(敬意を払う)」がほとんど感じられない。

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