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連載コラム「つたえること・つたわるもの」⑳

60兆個の細胞同士の会話、〈いのち〉のコミュニケーション。

2017-07-11

出版ジャーナリスト 原山建郎
 2013年・2014年の2年間、東京・新大久保にある東洋鍼灸専門学校で「社会学」の授業を担当した。
そもそも社会学(sociology)とは「人間の行動に作用する社会現象のメカニズムを、実証主義(経験した事実による証明)の手法で研究する」学問だが、そのなかに「病気と健康(保健)に関する人類学研究分野」である医療人類学(医療社会学の一分野)がある。最初のレジュメに、次のような一文を記した。

 この授業では、これまでの医療社会学(medical sociology)、医療人類学(medical anthropology)だけでなく、生命科学(life science)や生命倫理(bioethics)のフィールドにも踏み込んで、とくに肉眼では見えない〈いのち〉からの視点、身心医学的な「いのち・こころ・からだ・たましい」へのアプローチ、あるいは相関連動・相関相補のメカニズムを重視する古くて新しい社会学への試み、勝手な造語をお許しいただけるならば「生命社会学(bio-sociology)」と呼べるような授業をめざします。(中略)私たちの〈からだ〉は、つねに新陳代謝(細胞の分裂・分化=リモデリング)を繰り返し、平均すると約3年ですべて新しい細胞に入れ替わるといわれています。しかし、細胞が入れ替わっても、なお〈わたし〉でありつづける〈いのち〉のアイデンティティ(自己同一性)を担保しているのは、生まれる前から、そして死んだ後も〈わたし〉でありつづける〈たましい〉(spirit・soul)なのでしょうか。

 「〈生命〉社会学」は「いのち(生命)とからだ(身体)の社会学」であり、多細胞生物である私たちの〈からだ〉のなかで、約60兆個の体細胞の一つひとつが、どのような細胞同士の会話によって〈いのち〉のコミュニケーションを図っているのか、〈からだ〉の内側から〈いのち〉をさぐる授業をめざした。

 前期の最後(9月30日)に、番外編で「オートファジー(自らタンパク質などを分解し、再利用する「細胞の自食作用」)」をとり上げた。その4日後(10月3日)、東京工業大学栄誉教授・大隅良典さんが「オートファジーの仕組みの解明」により、ノーベル生理学・医学賞の受賞決定というニュースが流れた。

 オートファジーとは、たくさんの種類があるアミノ酸(部品)の組み合わせによって、何千種類ものタンパク質(製品)が合成されたあと、その「製品」が細胞レベルで「材料」に再分解される現象をいう。つまり、食べ物に含まれるタンパク質は胃と腸でアミノ酸(部品)に分解され、そのアミノ酸を使って人間自身のタンパク質(製品)に再合成される、という流れが間断なく繰り返される。

 たとえば、からだが必要とする体タンパク質は1日に200gだが、同時に、1日70gのタンパク質が尿や便の排泄で毎日失われている。ところが、1日に食べ物からとるべきタンパク質の所要量(栄養必要量)、正確にはタンパク質を作る材料であるアミノ酸の摂取量は、成人男子で70g(女子は55g)といわれる。ということは、食べ物からとった70gのアミノ酸で作るタンパク質だけでは、排泄量の70gでそっくり消えてしまう。それでは、不足する1日当たり200gのタンパク質は、どうやってまかなわれているのだろうか。

 その答えは、古くなった細胞のタンパク質(200g)をアミノ酸に分解し、食べ物からとったアミノ酸(70g)を加えた、合計270gのアミノ酸を材料にして、270gの体タンパク質(そのうち70gは排泄)を合成する、である。古くなった細胞を消去して、新しい細胞と置き換える現象を、リモデリング(新旧細胞の入れ替わり)、または新陳代謝というが、オートファジーの現場でも60兆個の細胞社会における、細胞同士のコミュニケーション(分解と再合成)が行われているのだ。

 もう少し詳しく言うと、食べ物から摂る70gのタンパク質だけでは、必要な量のタンパク質を作れない。そこで、私たちは自らの細胞を食べ(分解し)て、タンパク質の不足分を補っている。1日に合成するタンパク質の量が200gであるなら、分解する量も200gと考えなければならない。細胞生物学者・永田和宏さん著『細胞内のリサイクル』の「胎内タンパク質の出納帳」に示された、「アミノ酸プール(部品/材料置き場)」と「体タンパク質(製品/生産現場)」における細胞同士のコミュニケーション(分解と再合成)の図解がわかりやすい。図1の「↓(合成)↑(分解)」が、60兆個の細胞同士の会話に相当する。

図1 体内タンパク質の出納帳
食餌からの摂取―――→ アミノ酸プール:部品/材料置き場 ―――→排泄(70g)
   (70g)     合成  ↓↑  分解    尿中窒素(60g)便(10g)皮膚など
           (180g) ↓↑ (180g)  
           体タンパク質(約7~10kg):製品/生産現場

 
出所:『細胞内のリサイクル』(『考える人』2014年秋号221ページ)に一部加筆

 通常、私たちが健康な生活を送っているときは、古くなった細胞(中古品)のタンパク質がアミノ酸に分解され、いったんアミノ酸プールに送られたあと、新たな体タンパク質の再合成の材料として使われる。

 しかし、数日~1週間の遭難などで飢餓状態が続き、生命の危機が危ぶまれる場合には、「古くなった細胞のタンパク質」から順に分解していたのでは間に合わない。からだじゅう(60兆個)の細胞のタンパク質を手あたり次第、片っ端からアミノ酸に分解して、アミノ酸プールにタンパク質(新品)再合成用の材料を送り込むことで、必要最小限のタンパク質の確保、生命活動の維持を図ることができる。

 これは、「タンパク質が足りないから、からだの細胞を総動員してタンパク質を分解せよ」と遭難者自身のあたま(頭脳)で考え、からだ(身体)の細胞に指令するのではない。60兆個の細胞同士がつねに会話を交わしながら、不測の事態に対処する現場判断を行い、それを瞬時に「生産現場」に指示しているのだ。

また、たとえば、新生児の娩出(出産)前後、ヘソの緒から供給されていた栄養(母親の血液)が、授乳で栄養を補給するまでの間、一時的に断たれる。この間の胎児・新生児は、いわば飢餓状態にあるわけだが、このときもオートファジーが働いて、胎児あるいは新生児の〈いのち〉をしっかり守っている。

〈からだ〉のなかのことは、目をこらしても、耳をそばだてても、頭で考えても、よく分からない。
しかし、60兆個の細胞間で交わされる会話は、1日24時間、1年365日、ほんの一瞬たりとも、途切れることがない。眼の網膜に映らない、耳の鼓膜に届かない、かすかな〈いのち〉のメッセージを聴く。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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