連載「つたえること・つたわるもの」(106)
親と子の心をつなぐ〈ことばの卵〉――オノマトペのちから その2
連載 2021-02-09
出版ジャーナリスト 原山建郎
上古代の日本では、オノマトペ(擬態語、擬声語)から生まれた「やまとことば」を、身振り手振りを交えて語る「話しことば」が主なコミュニケーション手段だった。中国から漢字が伝来した5世紀ごろまでは文字のない時代が長く続いた。古今の物語を「話しことば」で伝承する語り部(稗田阿礼)が口述する帝紀(歴代天皇の系譜)や旧辞(各地の伝承)を太安万侶が撰録した古事記(ふることふみ)や、漢字を借りて「やまとことば」を表す万葉仮名で書かれた『萬葉集』が編まれた。
たとえば、額田王(ぬかたのおほきみ)の和歌と原文(万葉仮名と漢字で表記)はこうである。
和歌 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
原文 熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
上記の青い太字表記、たとえば「せむと→世武登」は音仮名(漢字の音を借りた当て字)であり、地名の「にぎたづ」に漢字の「熟田津」を当てたのは、訓仮名(その字の訓を、やまこととばの音節に当てはめて用いた漢字)である。ちなみに中国語を指す「漢字」は、「漢民族の文字」の意味である。
その後、漢字の草体(崩し字)による江戸仮名を経て、現在のひらがなが成立したのは、つい121年前、明治33(1900)年(小學校令施行規則)のことである。ひらがなの「か」は「加」の変体仮名から、カタカナの「カ」も「加」の扁(へん)である「カ」から作られた文字である。オノマトペを表記するとき、「ふらふら・ぶらぶら(不規則に歩くようす)」など動きや状態の擬態語は「ひらがな」で、「カラカラ・ガラガラ(引き戸を開ける音)」など音や声を示す擬声語は「カタカナ」で書かれることが多い。
からだの左右に二つあるものは、畳語といって二度繰り返して言う。幼児はからだのパーツ(部位)を大人が畳語で表現する「おてて・おめめ・おみみ・ほほ・ちち・おはな」などから言葉を覚える。『ひらがなでよめばわかる日本語』(中西進著、新潮文庫、2003年)には、からだの部位は身近な植物と似ているとして、「め(目)」は「芽が出る」の「芽(め)」、「はな(鼻)」は「花が咲く」の「花(はな)」、「は(歯)」は「葉(は)」と同じ音、「みみ(耳)」はどうかというと「実が生る」の「実(み)」が二つ「実実(みみ)」ついていると、国文学者・中西進さんによるオノマトペ(擬態語)的な解説があり、それなりに説得力がある。
しかし、和語(やまとことば)の言語科学者、野村玄良さんの高著、『日本語の意味の構造』(文芸社、2001年)の解説のほうが、もともとは話しことば(音声によるコミュニケーション)である「やまとことば」を形づくったオノマトペ(擬態語・擬声語)の本質的な意味がよくわかる。
☆マ(目・眼) 「マ・目」は「メ」の古形である。
「睫毛・マツゲ」「マナコ」「マナ尻」「マナカヒ・目蓋」「マバユシ」「マガシラ・目頭」などある。「目頭」を辞書には「目の鼻に近いほうの部分」と説明するがこれは間違いであろう。恐らく目が魚の形に似ていることから「目尻(魚の尾にみたてる)」の反対が「目のかしら」と勘違いしたのであろう。目頭の熱くなるところは、目蓋を閉じた眼球の上部で「目のアタマ」のことである。(中略)「メガシラ(目頭)」は新しい表現の言葉で「マブタ・マナブタ・目蓋」のほうが古いと言える。
☆ハナ(鼻) 「ハ」は人体語の「歯」から出た言葉で、原意は「端」の意で「先端部分で仕事をする」ものを表す。つまり「歯・葉・刃・羽」など先端部分の形状が薄っぺらなもので「端で仕事をする・働きをする」のは皆共通している。「刃」は金属製の鋭くてよく切れる個所の意で、「歯」の和語の音が当てられた。「葉」は木の枝の「端」についているし、「羽」は広げると鳥の翼の両端についているものだ。このように「ハ」は「先端・端(ハシ)」の意でもある。(中略)「鼻・ハナ」は「ハ・先端」+「ナ・軟弱」で柔らかなもの・なよやかなものの意で、顔面の先端の軟弱モノだ。この原理からすると「花・ハナ」も茎や枝の先端に取り付いている軟弱なもの・なおやかなものの意であることは疑う余地はない。
☆ミミ(耳) 『見・耳』人体の霊妙な機能を「霊・ミ」と敬うべき霊的な存在として捉えている。「見・水・御・霊・耳」である。耳の機能は「聞き」であるにもかかわらず「ミ・耳」=「見」である。(中略)人間には説明できない不思議で人智の及ばない尊い存在や現象を「ミ」で表したものと考えられる。目を閉じると何も見えない「見」は説明できない不思議な現象で「見事」なことなのである。「ミ」は基本的に「みごと・スバラシイ」の意味を有する語である。
(『日本語の意味の構造』227~228/208~209/236~237ページ)
なるほど、親と子の心をつなぐ〈ことばの卵〉――オノマトペは、単なる動き(状態)や音(声)としての表白(思いをことばにあらわす)だけではなく、一つひとつの音韻(音と響き)、たとえば「あ・い・う・え・お」の一音一音ごとに「かた(硬・堅)さ」や「やわ(柔・軟)らかさ」、「あか(明)るさ」や「しず(静)けさ」の響きがあり、それは言霊(ことだま)、あるいは音魂(おとだま)と呼ばれている。
野口三千三さん(東京藝術大学教授)は、名著『野口体操 からだに貞(き)く』(春秋社、2002年)の中で、【「あ」という音。この音はいちばん開かれる音です。からだを縮めて「あ」とは言いにくい】と、「あ」がからだを通るときの「感じ方」を説明している。また、五十音図のア行からワ行まで、一つひとつの行に特有の響き、感じ方があるとして、その身体的なアプローチ(からだ感覚)を野口さんは、たとえば、「このむ(好む)」」と「すき(好き)」と「ほれる(惚れる)」の最初の音=こ〔ko〕・す〔su〕・ほ〔ho〕、それぞれの「感じ方」の違いについて、次のように書いている。(※下線と太字表記は原山)
「このむ」の「こ」はカ行です。カ行には非常にまとまりのいい感じがあるけれど、その中でも特にこの「こ」はまとまりがいい。要するに主体性がはっきりしていて、必ずしも相手に夢中になっていない。相手をある程度客観視することができる状態の関係です。それに対して「すき」というのはどうか。「す」というのはサ行です。サ行の「さ・し・す・せ・そ」は、どの音をとっても、すじみちがはっきりしている。すっきり、さわやか、すぐ、すーっと、など、みんなすじみちがついている。だから「すき」という場合には、対象と自分とがよく結びついているわけです。つきはなしていないで、つながっているんです。すじみちがはっきりしているということは、夢中じゃない。第三者の存在もある程度分かっている。
それでは、「このむ」「すき」「ほれる」はどう違うのか。(中略)「ほれる」の「ほ」は気体的で、境目がはっきりしない。対象と自分との関係が、いっしょくたになっている。それでもう、自分と相手との関係さえもはっきりしない。まして第三者の存在なんて、まるで分からなくなっている。そういう状態が「ほれる」という状態です。
これらはまさに、からだの状態そのままだと言ってもいいし、心の状態だと言ってもいい。こうして音をたどっていくと、からだと心とは分けられないものだということがすぐに分かってきます。(中略)
人間が、土や植物などの自然と一体であるというのと同じで、人間にとってのコトバというのは、書かれた文字とか、単なる音とかいうものじゃなくて、まさに生き物じゃないだろうか。からだそのものじゃないだろうか、とそんなふうに感じられるわけです。私にはコトバの一つ一つの音が、一人一人の人間のように思えてくるのです。
(『野口体操 からだに貞)く』104~105ページ)
さらに、「カ行」について、野口さんは次のように解説している。
「か・き・く・け・こ」は固体的な感じがしませんか。と同時に均質的でもある。均質的ですきまはないけれど、何となく澄んでいる。澄んでいるとはいっても、透きとおった感じじゃなくて、純粋に近い感じがある。そして、固体ですから、かたち(りんかく)がはっきりしていて、ある種の明快さと力強さがある。しかし、水分がちょっと少ない感じがする、というような具合です。
(『野口体操 からだに貞)く』93ページ)
かつて、「子どもの心身症」のテーマで、沖縄の小児科医、大宜見義夫さんを取材した際、「きちんと病」「けじめの母」という言葉を初めて聞いた。前者は「(後片付けは)きちんとしなさい」、後者は「(何事にも)けじめをつけなさい」など、子どものしつけに厳しい母親の性格を表した言葉だが、遊び盛りの子どもたちの中には「きちんと・けじめ」に追い立てられ、過食症(超肥満)や拒食症になるケースがあるという。
「きちんと」の「き」も、「けじめ」の「け」も、四角く妥協を許さぬ、冷静かつ固体的な響きをもった「カ行」のグループである。「きちんと病、けじめの母」の場合も、しつけに厳しい母親――実は母親自身も幼少期に厳しくしつけられたことがあんなにいやだったのに、いざ自分が子どもをもつと、厳しくしつけることが母親の仕事だと自分に言い聞かせる――負のスパイラル(連鎖的悪循環)に陥ってしまうケースが多い。
そういえば、「きちんと病、けじめの母」がよく用いる「さっさとしなさい」の「さ」や「しっかりしなさい」の「し」を含む「サ行」もまた、野口さん命名になる「すじみち」の行であり、気をつけて使わないと「子どもの心身症」のトリガー(引き金)になりやすい。
私たち大人は、オノマトペから生まれた〈ことばの卵〉を、やがて子どもたちが美しい「やまとことば」に紡いでいけるように、ひらがなやカタカナで語られる「オノマトペのちから」を大切にしたい。
【プロフィール】
原山 建郎(はらやま たつろう)
出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員
1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。
2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。
おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。
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