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連載「つたえること・つたわるもの」(90)

令和のニューノーマル=必要なものを・必要なときに・必要なだけ。

連載 2020-05-26

 次に、『食の原理 農の原理』(農山漁村文化協会、1997年)を書いた、原田津さんの言葉だ。

 「作って食べて余ったら分ける」というのが農の営みの原理であります。余る部分がいくら多くなっても原理は変わりません。また、「分ける」でなくて「売る」であっても原理は変わりません。商業は仕入れたもので生活することはできない。それを売ることによって金を得て、それで食うものを買う。工業はむろん生産物の自まかないで生活するわけにはいきません。(※自賄い:工業は生産物をそのまま売るのでなく、加工して売るという意味)サラリーマンというのは労働を売って月給を得る。農家は? 労働を生産物に込めるのです。労働とは生活です。労働と生産が切れていない。生活することによって生産し、生産することによって生活している。労働を売るのでなく、労働して育てた物を食べて生活する。余った生産物は金に換えて、テレビがほしければテレビを買う。
(同書12ページ)

 「農業で稼ぐというのは、まず自分で食べる物を、できるだけ自分で作ることなのだ」という守田さんの考え方は、原田さんの「農業の基本」とも通底しているが、彼が用いる「農家」ということばは、単に「農業を生業する人」だけを意味しない、と私は思う。私たちの祖先が、はるか遠い昔、木の実や魚などを追う移動型の「狩猟・採取生活」から、種を蒔いて育て、農作物を収穫する定住型の「農耕(牧畜)生活」へと生活のスタイルを変化させていく過程で、すべての人々が「農家」であったことを思い起こす必要がある。縄文・弥生時代の初期「農業」は、原田さんがいう「育てて、食べて、余ったら売る」であったはずである。そして、同じ集落に暮らす人々が相互扶助の「むら」を作っていた。日本は本来、農業の国なのである。

 20世紀後半の「大量生産」技術が可能にした「大量消費」時代の大波は、バブル景気に代表される高度経済成長に大きく貢献した。そして、その最終到達地点である「大量廃棄」という名のブラックボックスは、近代経済を支える「大量消費」の火を消さないために「エコロジー」「リサイクル」などのキーワードでシュガーコーティングされているかに見える。農林水産省・環境省「平成28年度推計」によると、わが国の食品ロスは643万トン(外食産業の食べ残し・食品製造業の売れ残りなど「事業系食品ロス」が352万トン、家庭の食べ残し・直接廃棄・過剰除去など「家庭系食品ロス」が291万トン)にのぼっているという。

 今回の新型コロナウイルス禍を奇貨として、そろそろ、「必要なものを・必要なときに・必要なだけ」という21世紀の〈小欲知足〉をスタンダード(標準)に、令和の「ニューノーマル」を生きたいものだ。

 『にんげんだもの――こころの暦』(相田みつを著、三和技研、1999年)で見つけた「ことば」。

 うばい合えば足らぬ/わけ合えばあまる

 うばい合えば憎しみ/わけ合えば安らぎ

(同書「日めくり」30日のことば)

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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