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連載コラム「つたえること・つたわるもの」⑦

〈病院の日常〉、〈患者の日常〉、心あたたかな〈日常の風〉。

連載 2016-12-27

出版ジャーナリスト 原山建郎

 先ごろ、ドナルド・マクドナルド・ハウス誕生15周年記念「ボランティアフォーラム」が、東京・世田谷の国立成育医療研究センター講堂で開催された。同センター構内には、2001年12月、第1号のドナルド・マクドナルド・ハウス〔病気と闘う20歳未満の子どもとその家族のための滞在施設〕としてオープンした「せたがやハウス」(23部屋)がある。フォーラム終了後、同施設を見学させてもらったが、1日の利用料は1000円+リネン料、受付業務やアメニティ管理などはすべて地域のボランティアが担っている。

 かつて健康雑誌の記者だった1982年4月、作家の遠藤周作さんが讀賣新聞に寄稿した「患者からのささやかな願い」から生まれた〈遠藤ボランティアグループ〉(病院ボランティア)の創設時、遠藤さんから顧問を命ぜられ、現在では同代表を務める私は、メモ帳を片手に「ボランティアフォーラム」に参加した。

 パネルディスカッションでは、マギーズ東京センター長・Aさん(看護師)、もみじの家〔在宅で医療ケアを受けている小児患者と家族が、短期間くつろいで滞在できる施設〕ハウスマネージャー・Uさん(元アナウンサー)、S病院ボランティアコーディネーター・Tさん(看護師)、公益財団法人ドナルド・マクドナルド・ハウス理事・Nさん(元大学病院医局長)の四人がパネリストとして登壇し、それぞれ専門家ならではの鋭い視点と幅広い提言が披露された。しかし、私たちボランティアに参加する一般市民からすると、少し気になる言葉もいくつかあった。パネルディスカッションに登壇された皆さんは、もちろん「患者ファースト」の方々であるが、そのことを十分理解した上で、私が感じた言葉をいくつか挙げてみよう。

 たとえば、〈マギーズ東京〉は〔ガンになった人とその家族の悩み相談に応じるボランティア施設〕だが、司会者の紹介の中に「がんを宣告された患者さんが……」という文言があった。このような場合、健康雑誌であれば「告知された」という表現を用いる。直線的で鋭い宣告(判決を言い渡す)より、曲線的で柔らかな告知(病名や内容を説明する)のほうが望ましい。さすがに、センター長のAさんは「ガンの告知を受けて動揺している患者とその家族の相談」という言葉を適切に用いておられた。近年では、インフォームド・コンセント(説明と同意)、病名の告知など、患者の疑問や不安軽減に配慮した言葉が使われている。

 また、40年の歴史を持つS病院ボランティアコーディネーターのTさんは、看護職退職後にボランティアコーディネーターに就任し、これまで20年以上にわたってボランティアスタッフの募集・採用・教育を担当された方だが、施設管理者や医療専門職ではない私たちには、「ちょっと」気になるフレーズがあった。

●ボランティアの人たちは素人なので、病院スタッフの下請け、補助、メッセンジャーをお願いしている。
●これまでの「ただ使われる」ボランティアでなく、「もっと考える」ボランティアであってほしい。

 二つのフレーズは、患者の治療・回復・心身保護のためには、もちろん「当然のこと」である。長年、医療専門職にあったTさんは愛にあふれた方であり、その言葉も愛と善意から発している。つねに〈病院の日常〉を念頭に考えるべき立場では、病院のボランティア活動が「病院の診療活動に迷惑をかけてはならない」という安全管理のベクトルが働くのは、これもまた「当然のこと」である。しかし、「素人なので」という文脈からは、「ただ使われる」→「もっと考える」という、ボランティアのあるべき姿は見えにくい。

 ボランティアに参加する私たち自身も、ふだんは〈病院の日常〉ではなく、いわば〈患者の日常〉で暮らしている。急な病気で入院した患者は、突然放りこまれた〈病院の日常〉に戸惑い、その不安を募らせる。

 〈病院の日常〉〈患者の日常〉を考える手がかりに、遠藤周作さんのエピソードを二つ紹介しよう。

★神山復生病院の長い廊下で
 施設の長い廊下を歩いている時、(※遠藤さんを案内する看護婦さんが)ある患者さんを呼び止め、病気(※ハンセン病)で変形しているその手を自分の手でマッサージしながら、「○○さんは、この手でいろいろ手伝って下さっているのですよ」と私に紹介した。その時、当の年配の患者さんの顔にふと目をやった私は、その何とも言えずつらそうな目の色にはっとして、悪いことをしたなと感じた。(中略)

 「人間とは悲しいものだな」と思った。彼女は患者に対する愛情からそうしたに過ぎないかも知れないが、患者がその時受ける屈辱感、つらさにこの看護婦さんは気付いていない。(中略)

 愛していればすべて正しいと信じている。しかし、善意や愛情をかけられたりする者の苦しみもあることを、かける方は気づいてやらないといけないと思う。
 (『日本歯科東洋医学会』vol.8、47ページに掲載された遠藤さんの講演原稿)

★病院の日常、患者の日常
 あるとき、遠藤さんが入院中お世話になった外科の看護婦さん三人を、お礼の食事に招待しました。レストランに向かう途中、タクシーがネコを轢いたのを見た一人が「キャーッ」と悲鳴を上げて、思わず顔をおおいました。遠藤さんが、「あなたは手術場の看護婦さんで、血を見ても平気なはずでしょう」と言うと、「手術場は病院ですが、ここは病院じゃないんですもの」と答えたのだそうです。

 つまり、日常的な神経と病院の中での神経とでは、そのときの立ち位置、役割によって感覚が異なるわけで、たとえば〈病院の日常〉感覚で接していると、医療スタッフが気づかぬうちに、〈患者の日常〉感覚に無用の苦痛や屈辱を与えていることも、案外多いのではないか、というのです。
 (拙著『からだのメッセージを聴く』153ページ掲載のエピソードを要約)

 フォーラムの最後に登壇した国立成育医療研究センター・五十嵐隆理事長が、その講演『ボランティアが医療に与える影響』で「病院スタッフ以外に支えてくれる人が、病院にいてくれることが(患者とその家族の)心の支えになっている」と、病院ボランティアを大きく評価されたことは、私にはとても嬉しかった。

 パネルディスカッションでは、何人もの方が「ボランティアは病院の中に〈社会の風〉をもたらす」と発言されていた。私たち遠藤ボランティアグループは、ある日突然、〈患者の日常〉から切り離され、いまも〈病院の日常〉で暮らす患者とその家族に、心あたたかな〈日常の風〉をお届けしたいと思っている。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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