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連載「つたえること・つたわるもの」(83)

遠藤周作の遺言――『日本の「良医」に訴える』 〈教育講演〉その1

連載 2020-02-12

 講演の前半では、1982年『中央公論』7月号の『日本の「良医」に訴える』にある「6つの願い」をとりあげた。中盤では、1986年秋に改訂された東大病院(東京大学医学部附属病院)の「入院案内」の文章に反映された遠藤さんのアドバイス(やさしいことばの魔法)の数々を検証した。そして、後半では遠藤さんの呼びかけで始まった「遠藤ボランティアグループ」の誕生、遠藤さんのやさしい「ひと言」に触発された女性医師(大腸肛門病専門医、在宅ホスピス医)と看護師(プロナース)を紹介した。今回は〈その1〉『日本の「良医」に訴える』にある「6つの願い」を、次回は〈その2〉『東大病院の「入院案内」が変わった』を、次々回は〈その3〉『令和の〈えんどう豆〉どんどん発芽・成育中!』について書く予定である。

 さて、讀賣新聞夕刊の連載エッセイ「患者からのささやかな願い」に読者から200通あまりの手紙が寄せられました。その手紙に目を通した遠藤さんは、『中央公論』 7月号に 『日本の「良医」に訴える ――私がもらった二百通の手紙から』を寄稿した。そこには「心あたたかな病院がほしい」という遠藤さんの願いが、6つの項目にまとめられている。『中央公論』7月号からの引用(128~137ページ)+私のコメントというかたちで、学会での教育講演のあらましを紹介しよう。

① 医師は診察の折、患者の病気の背景にはその人生を考えてほしい
 一人の患者がおずおずと医師の前に腰かけ、病状を訴える時、彼は医師にたいしある病気の持主としてだけではなく、仕事や家族をかかえた一人の人間として向いあっているのだ。そして彼の病気もこうした彼の人生と決して無関係どころか、切っても切れぬ関連を持っている。言いかえれば患者は病気と共にその病気が彼に与えた心の悩み、苦しみ、不安、孤独感、自分が病床につかねばならなくなった時の家族への配慮、仕事の断絶――そういった全部を背おって医師と向きあっているのである。(中略)医学とは臨床に関する限り、人間を相手にする人間学でもあるのだ。医師と患者とには人間関係があるのだということを絶対に忘れないでほしい。そしてその人間関係は医師と一人の苦しむ者との関係であるから、愛が基調にあってほしいと思うのは私だけではないだろう。


 2016年12月、市民公開講座の「パソコンで見る医学から、つながりを診る医療へ」という講演で、私は「患者のからだに触れることもなく、パソコン画面に写る検査値の変化を重視する医師がふえている。からだを部分に分けて見る現代医学は、すぐ隣とのつながりを見落としやすい」と訴えたことがある。

② 患者は普通の心理状態にないことを知ってほしい
 入院する患者の心理を一寸だけでも考えてみよう。彼は今から見知らぬ世界に入っていくのである。彼の社会生活を支えていたすべてのものは病院では通用しない。彼は他の患者とおなじようにパジャマを着て、自分の病気や死の不安と向き合う。
(中略)たとえば長期患者や重症患者、あるいは老人の患者はしばしば不眠症に悩むことがある。彼がそれを医師に訴えると、医師や看護婦はその訴えを「不眠」という症状だけで受けとめ、軽いトランキライザーや眠り薬を与えようとする。だがおそらく、その時、「この患者はなぜ眠れないのか」という心理面にまで思いをはせないであろう。

 スピリチュアルペインという言葉がある。直訳は「霊的な痛み」だが、日本人には「人生の痛み」としたほうが理解しやすいと思います。スピリチュアルな痛みとは、傷が痛む、お腹が痛いなど、身体が直接感じるフィジカルペイン(肉体的な痛み)ではなく、患者の仕事(社会的役割)や家族・友人(心のつながり)に関わる心の悩み・苦しみが投影された「人生の痛み」のことである。

③ 無意味な屈辱や苦痛を患者に与えてくださるな
 私の知っている女性で骨髄癌にかかり、医師はあと二ケ月の生命とはっきり言ったにかかわらず、その二ケ月間、いろいろな検査が彼女に行われた。(中略)二ケ月の生命しかない患者になぜ辛い検査を行うのか。それが治療のためでない(なぜなら二ケ月以上の延命が至難なことは当の医師たちがよく知っているからである)とするならば、この苦痛は一体なんのために患者に加えられるのか。


 その理由として、遠藤さんは二つの推測を挙げている。一つは「病院経営のために収入につながる検査を、治る見込みのない患者にも行うのではないか」というイヤな推測。もう一つは「今後の治療に役立つ学問的データを集めるために、治療に関係ない検査が行われたのではないか」という希望的な推測。しかし、後者が正しかったとしても、【それが患者には治療と関係のない苦痛を強いるのであれば、やはり考えこまざるをえない。多くの良心的な医師もこの矛盾にきっとぶつかっている筈である。】と、遠藤さんは悩むのだ。

④ 患者の夜の心理をもっと考慮してほしい
 長期患者や重症患者が死の不安や孤独、自分の人生を考えこむのはこの夜の時間である。痛みは闇のなかで倍加するように思われる。そして不安のあまり眠れなくなる時もある。夜ほど患者にとって誰かにつき添ってもらいたい、と思う時はない。
(中略)そしてそんな夜、看護婦室へのベルをたびたび押す患者はたいてい叱られる。「少しは我慢しなさい」「甘えちゃ駄目ですよ」(中略)しかし病院側は患者の夜の心理をもう少し考慮してほしい。夜が長期患者や重症患者にとって不安で苦しい時間だということを、患者心理の視点から見なおしてほしい。

 かつて、肺結核で三度の大手術、長期入院を余儀なくされた遠藤さんが、夜になって術後の痛みがはげしくなり、看護婦さんに助けを求めた。看護婦さんは、「おつらいでしょうね」と言って、そっと手を握ってくれた。すると、その痛みが少し薄らいだのです。「痛みを一人で耐えるのではない。痛みを共有してくれる人がそばにいてくれる、その安堵感がからだの痛みをやわらげてくれた」というエピソードを思い出した。

⑤ 患者の家族の宿泊所や休息所がほしい
 原則として日本の大病院は米国から戦後に直輸入された完全看護制を実施しているため、患者の家族が泊れる宿舎や部屋などはない。家族が患者の看護のために宿泊できるのはたいてい看護婦さんの好意や黙認によってだと言ってよい。しかし家族関係のつよい日本人患者には「家族にみとられたい」という願望が、欧米人よりはるかに強い。完全看護という原則は必ずしも日本人にはむいていない。
(中略)かいこ棚式のベッド、キャンバスベッドさえあれば、それでさえもいいと私は思っている。こういう一寸した設備があるだけでも看護の合間に待合室の長椅子にわずかな休息をとる家族はよほど体が休まるだろう。

 患者に付き添う家族の宿泊所については、雑誌で病院長と対談する機会をとらえて、遠藤さんがとくに強調した要望である。当時は、患者のベッドの脇(病室の床)に、家族が直接せんべい布団を敷いて寝る光景も珍しくなく、本来なら入院規則の違反行為なのだが、ときに心やさしい医師や看護師による黙認というかたちで、例外的に許されていた時代だった。そして、現在の状況を調べると、病院を受診するために事前宿泊が必要な患者、付き添いが必要な患者の家族のための宿泊所として、公益財団法人ドナルド・マクドナルド・ハウスが運営する「東大ハウス」(東京大学附属病院:1泊1180円)、「春日丘ハウス:」(大阪大学附属病院:1泊3500円)、NPO法人青森地域再生コモンズが運営する「ファミリーハウスあおもり」(青森中央病院:1泊2500円)、一般財団法人恵愛団が運営する「森の家」(九州大学附属病院)などが見つかった。いずれも1人1泊1180円~3500円で、このような宿泊施設があることは、すばらしいことである。

⑥ 心療科の医師をスタッフに加えてほしい
 私は外国の病院に入院したことがあるが、そこには小さいながらチャペルがあったり、小ホールが設けられていた。チャペルでは患者や患者の家族だけでなく、医師や看護婦が患者と共に祈る姿をみた。私はその時、医師と患者とのなんとも言えぬ人間的な結びつきを感じたものである。
(中略)これからの病院が巨大化されると同時に、医師の専門が細分化され、診断も機械化されるにつれて、患者はますます孤独になっていくだろう。そして今までよりも、長期患者や重症患者の心的な不安が起きてくるだろう。その時、心療家がスタッフに加わることが必要になるような気がしてならない。

 病院は患者の人生を振り返る所、すなわち新しい教会でもある。「病院はチャペルである」という遠藤さんのことばを、「心あたたかな医療」キャンペーンのキーワードとして、もう一度、改めて考えてみたい。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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