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連載「つたえること・つたわるもの」(81)

日本のカルカッタがあるはず! マザー・テレサ〈いのち〉のことば

連載 2020-01-14

出版ジャーナリスト 原山建郎

 昨年末、前回のコラム「中村哲医師、〈いのち〉のことば――100の診療所より1本の用水路。」の末尾に「上医は国をいやす」と題する一文を加えた原稿を、何人かの友人や知人にメールで送った。

☆上医は国をいやす
 西暦454年から473年にかけて書かれた、中国の陳延之の著書『小品方』に「上医医国、中医医民、下医医病(上医は国をいやし、中医は民をいやし、下医は病をいやす)」と書かれている。この言葉は、もともと中国春秋時代を扱った歴史書『国語』晋語八の「上医医国、其次医人」に由来するもので、この「上医は国を医す」という言葉は、すぐれた医者は、国の疾病である戦乱や弊風などを救うのが仕事であって、個人の病気を治すのはその次である、というほどの意味らしい。しかし、中村哲医師が今回、アフガニスタン東部で行った「井戸の掘削、用水路の延伸、取水堰の設置」という〈医療〉行為は、中医(民をいやす)のレベルをはるかに超えて、上医(国をいやす)に価するレベルの〈医療〉ムーブメントであったのではないだろうか。

 鍼灸専門学校で教えていた時代の学生で、現在は鍼灸師として活躍中のTさんは、コラムで紹介した「衣食足って礼節を知るといいますけれども、まずみんなが食えることが大切だ」という中村医師のことばから、東方医学的な治療の観点をふまえて、「喉の乾いた人に 水を持って来てあげる それは一時的な手助け(対処療法)/喉の乾いた人に 水道や井戸の場所を教えてあげる それは長期的な手助け(根本治療)/一時的に痛みを取ってあげる治療などより、日常の生活を見直して痛みの出ない生活にする/その方が 長期的に患者さんの役に立つ」と考えながら読みました、という返信メールを寄せてくれた。

 中医学や日本漢方など東方医学では、痛みなどつらい症状の軽減(対症療法)させる治療を「標治(ひょうち)」、病気の原因をさぐって体質改善(根本療法)をはかる治療を「本治(ほんち)」というが、中村医師はアフガニスタンの人びとの「病い」の治療だけでなく、水と大地から「民(の暮らし)」を呼び戻し、武器を捨てて鍬を手にした人びとの力で「国(農業立国)」を「本治」へといざなう「上医」であった。

 九州大学医学部を中村医師と同年度に卒業したT医師が、「ひそかに、ノーベル平和賞をもらって欲しかった人でした。合掌」と書いてこられたが、ほんとうに残念(※ノーベル賞は死亡している人は授賞対象にならない)である。私たちは中村医師〈いのち〉のことばを、どう受け継いでいけばよいのだろうか? 

 ところが中村医師の死から1カ月後(1月3日)、イラン革命防衛隊司令官が米軍の爆撃で殺害され、イランはその報復としてイラクに駐留するアメリカ軍の拠点を十数発のミサイルで攻撃した。そして、あろうことか、民間の旅客機がイラン革命防衛隊のミサイル誤射で撃墜されるという、未曽有の大惨事を引き起こした。このように米国とイランの軍事的緊張が続く中、河野防衛大臣は1月10日、海上自衛隊に中東への派遣命令を出した。表向きは「日本関係の民間船舶のシーレーン航行の安全を守る」だということらしいが、中東の湾岸諸国は、米国主導の「有志連合」の側面的・間接的なエール(声援)と受け止めるのではないか。日本はこれまでにも、PKO(Peacekeeping Operation:国連平和維持活動)を行ってきたというが、現地の人たちの目に自衛隊の民生支援活動は、どう映っていたのか?

 ここで、2008年の参議院外交防衛委員会における中村医師(参考人)の発言を読み直してみたい。質問者は自由民主党所属の佐藤正久氏。自衛隊出身の参議院議員で、イラク戦争初期、2004年の自衛隊イラク派遣では第一次復興業務支援隊長を務めた経験がある。

 ○佐藤正久君 PKOについては、国連の第二代総長のハマーショルドさんが、PKOは軍人の仕事ではないけれども、軍人でなければできない仕事だというふうなことを言われました。(中略)昨年末に民主党の方々が提案されたテロ根絶法案(※2007年10月17日に衆議院に提出された与党の新テロ対策措置法への対案として、2008年1月11日の参議院本会議に民主党が提出したアフガニスタン復興支援特別措置法案。当時の与党、自民党と公明党がアフガン本土は危険地帯ということで反対したが、わずか2票差で可決された。その後、第170回臨時国会において2日間の審議を経て衆議院で否決され2008年10月21日に廃案となった)という中でも、そういう発想の下に、自衛隊が活動するという場合もあるという前提で自衛隊をアフガニスタン本土で民生支援を行うということも踏まえた法案を出されたと思います。そこで、中村参考人にお伺いしますけれども、(中略)自衛隊が治安維持ではなく民生支援という形で現地に入るということについて、どういう要領であれば非常に現地の方々とマッチングするのか、絶対マッチングしないとお思いなのか、その辺りをお聞かせ願いたいと思います。

 ○参考人(中村哲君) お答えします。自衛隊派遣によって治安はかえって悪化するということは断言したいと思います。これは、米軍、NATO軍も治安改善ということを標榜いたしましてこの六年間活動を続けた結末が今だ。これ以上日本が、軍服を着た自衛隊が中に入っていくと、これは日本国民にとってためにならないことが起こるであろうというのは、私は予言者ではありませんけれども断言いたします。敵意が日本に向いて、復興、せっかくのJICA(Japan International Cooperation Agency:日本国際協力機構)の人々がこれだけ危険な中で活動していることがかえって駄目になっていくということは言えると思います。
 してはならないということは、これは国連がしようとアメリカがしようとNATOがしようと、人殺しをしてはいけない、人殺し部隊を送ってはいけない、軍隊と名前の付くものを送ってはいけない、これが復興のかなめの一つではないかと私は信じております。そのことは変わりません。

(参議院会議録情報 第170回国会 外交防衛委員会第4号 2008年11月5日)

 いま、私たちに求められているほんとうの支援とはなんだろうか? 私たちは中村医師のアフガニスタンでの献身的な活動に心を打たれるが、アフガニスタンで同じ活動をすることは、たぶんできないだろう。

 しかし、インドのコルカタ(旧カルカッタ)で、飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く「神の愛の宣教者会」の活動、ヒンズー教の廃寺院を譲り受けて開設した「死を待つ人々の家」のホスピス活動が認められ、1979年にノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは、かつて来日した折、上智大学で行った講演で、教員と学生たちに「日本にも日本のカルカッタがあるはずです」と呼びかけた。

 作家の故遠藤周作夫人でエッセイストの遠藤順子夫人は、自著『再会 夫の宿題 それから』(PHP文庫、2002年)第四章「日本人の心に届くキリスト」の中で、このときのエピソードを紹介している。

 マザー・テレサの話に感激した学生たちが、「自分もカルカッタへ行って働きたい」と申し出たそうです。その時マザーは、その申し出に感謝しつつも、「そう言ってくださるのはありがたいけれど、おそらく日本にも日本のカルカッタがあるはずです。カルカッタまで来なくても、そのような気持ちのある方はどうか日本のカルカッタで働いてください」とおっしゃったそうです。
 マザーの志をほんのちょっぴりでも自分なりに活かしたいと思えば、まず自分にとってのカルカッタは何かと考えることだと思い至りました。皆がそれぞれの立場で「これこそ私に課せられたカルカッタだ」と思うことについて、懸命に努力をつづければいいじゃないか、在家でカルカッタ修道院を作りましょう、と思いました。
 修道女は私一人。誓いも規則も何もありません。ただ「これこそ自分にとってのカルカッタだ」と思うことのために、できる限りの努力をするということだけが唯一の規則です。

(『再会 夫の宿題 それから』145~146ページ)

 いま、私たちに与えられた場所で、精いっぱいできること! マザー・テレサ〈いのち〉のことば。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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