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連載「つたえること・つたわるもの」148

リハビリテーションは、新しい人生をつくることなんです。

連載 2022-11-08

出版ジャーナリスト 原山建郎

 前回は、日本的身体論の名著『野口体操 からだに貞く』(野口三千三著、柏樹社、1977年)にあった問い、「自分のからだが本当にゆるされて動いているかな」を手がかりに、自分の「からだ」をゆるさない「こころ」をゆるめ・ほぐすエクササイズのひとつ、原山流「瞬間脱力法(呼吸と連動した脱力動作)」を紹介した。

 そして今回は、病気や怪我でハンデを負った「からだ」の機能を回復させるためには、「苦しい・痛い・つらい訓練」も必要だというイメージが強い、医学的リハビリテーションが抱える問題について考えてみたい。メインテーマは「回生」、キーワードは「歩く稽古、稽古、又、稽古」、「目的指向的アプローチ」である。

 学芸総合季刊誌、『環』(vol.7、藤原書店、2001年)の特集企画、〈シンポジウム〉「生命のリズム――倒れてのちに思想を語る」に、次のようなリード文(前書き)がある。

 突然の脳出血で倒れてから三年半――一度は「再び歩くことはできない」と医師に宣告されながら、画期的なリハビリテーションとの出会いにより見事な「回生」を果たした鶴見和子さんが、京大会館の聴衆の前に和服姿で立った。(中略)幼少期から「うた」と「おどり」を続けてきたことが、心身の「回生」の鍵となったと語る鶴見さんに応えて、「こころ」と「からだ」と「いのち」をめぐる興味深い議論が展開された当日(※1999年4月30日、於・京大会館)の記録をお届けする。(『環』編集部)  
 (『環』〈シンポジウム〉「生命のリズム」218ページ)

 シンポジストは、鶴見和子(社会学者)、上田敏(医師・リハビリテーション医学)、道浦母都子(歌人)、西川千麗(創作舞踏家)、高橋千鶴子(土人形作家)、中村桂子(生命科学者)の6人だが、今回は鶴見さん、上田さん、お二人の基調講演をもとに、メインテーマである「回生」について考えてみよう。

 1918年生まれの社会学者、鶴見和子さんは、1995年12月、77歳のときに突然の脳出血で倒れ、すぐに救急病院に搬送された。その後、リハビリテーション専門病院に入院し、6カ月間リハビリ治療を受けたが、主治医から「あなたは歩けません。いくらリハビリをやっても駄目です」と宣告され、介護付き有料老人ホームに移って車椅子での生活が始まった。しかし、その後、とても幸いなことに、リハビリテーション医学の専門医、上田敏さんの「目標指向的・積極的リハビリテーション」プログラムに出会って、再び歩けるようになった。新しい人生が開かれた喜びのことばが、「私の回生」と題する基調講演で語られた。

講演の冒頭、鶴見さんは「回生」の社会学的な定義について、次のように述べている。

回生とは、一旦死んで命甦(いのちよみがえ)る。それから魂を活性化する。そしてその活性化された魂によって、新しい人生を切り開く。」回生は回復ではない(※太字表記は原山。以下同)のです。元へ戻れないのです。私の体は元に戻らないのです。だから前に向って進むより、もう致し方ないんですよ、ということです。(中略)回生には季節がある。(中略)枯れた枝から新芽が吹き出す。甦りの春です。それから活動の夏に向います。そして首尾よく活動が行われれば、稔の秋を迎えます。そして再び冬枯れていくのです。これが本当の意味での回生だと思います。(中略)それから回生では、それまでの人生でしてきたことが、新しい意味を持ってすべて役に立ちます。私はその中で、とりわけ歌(※短歌)と踊り(※日本舞踊)と着物(※和服)の効用、これをお話したいと思います。

(『環』「私の回生」220ページ)

 1997年1月元旦、上田敏医師から「一度診てあげよう」と声がかかり、茨城県の会田記念病院で上田医師と大川弥生医師の診察を受けた。そして、この日から「目標指向的・積極的リハビリテーション」プログラムがスタートしたのである。

 そうしましたら、即座に先生が「あなたは歩く潜在能力があります。」と仰ったんです。「ません」と、「ます」は反対ですね。だから、「ません」と「ます」の二つの烙印を私は押されて、私は「ます」のほうに飛びついたんです。
その翌日から上田先生と大川先生がご指導下さいまして、PT
(※理学療法士)とOT(※作業療法士)の、これもいままでになかったことなんですけれども、チームなんです。それが一緒のチームを組んで、私のリハビリテーションを始めて下さいました。これは上田先生の目標指向的・積極的リハビリテーション・プログラムです。そして四ヶ月その病院で、私はそれまではリハビリテーションは訓練と呼んでいたんですけれども、会田記念病院でのリハビリテーションは、歩くお稽古というふうに位置づけるようになりました。
(『環』「私の回生」221ページ)
 私はリハビリテーションと踊りというのは、すごい親近性があると思っているんです。と言うのは、稽古、稽古、又、稽古なんです。同じことをやってるんじゃない。毎日違う。そして出来ないと思っていたことが、やっているうちにぱっとできて、自分の型が出来るんです。それこそ創造なんです。だから稽古、稽古、又、稽古で毎日楽しく私は一本足の舞を舞っております。
今度は、そうすると何が起こるかというと、人間は歩く動物です。
(中略)毎日歩いていると魂が活性化してくるの。生き生きしてくるの。それでその目標指向的・積極的リハビリテーション・プログラムという上田敏先生の、このリハビリテーションの歩く稽古のお陰をもちまして、私は『鶴見和子曼荼羅』という著作集、日本語版で全九巻を、今年の一月に完結することができました。(※リハビリテーションで回生し、著作集を完結させたことが、特集企画の副題「倒れてのちに思想を語る」を意味している)これが出来るようになったのは、自分の魂が活性化されたことなんです。それはリハビリテーションの歩く稽古のお陰なんです。
(『環』「私の回生」222~223ページ)

「あなたは歩けません。いくらリハビリをやっても駄目です」と言われたころのリハビリテーション(運動療法)を「訓練」と呼んだのは、おそらく、その日のルーチーン・ワーク(決められた運動の目標量=今日は○○の運動を△△時間行う)という感覚だったのだろう。それが、上田・大川医師チームの「目標指向的・積極的リハビリテーション・プログラム」を受けたことで、それは単なるルーチーン・ワーク(与えられた運動目標)ではない、同じことをやっているようだが毎日違う所作を繰り返し、ある日、ぱっと自分の型ができるおどりの稽古、それがリハビリテーションなのだ、新しい創造(回生)なのだと思うようになった。

 「(医学的)リハビリテーション」の意味を、『広辞苑』(第三版、1983年)で引くと、「治療段階を終えた疾病・外傷による身体障害者に対して、医学的・心理学的な指導や職業訓練を施し、機能回復・社会復帰をはかること。更生指導」と説明されている。脳卒中(脳血管の出血・詰まり)の治療後に起こりやすい後遺症には、感覚麻痺(左右どちらかがしびれ、感覚が鈍くなる)、運動麻痺(左右いずれかの脚や手が動かなくなる)や失語症(言葉は理解できるが、話すのが困難になる)などの症状があり、医学的リハビリテーションでは、さまざまな機能回復訓練(運動療法、作業療法、言語聴覚療法、認知機能改善療法)を組合せて行う。

 脳卒中後遺症の機能回復訓練では、左または右半身の片麻痺の機能回復をめざす運動療法(関節可動域の増大、筋力の増強、寝返り・起き上がり・起立・歩行などの練習・指導)では、あくまでも無理をさせない範囲内での運動負荷を与えるとしながら、実際には患者にかなりの痛みやつらさをがまんさせることが多い。あるいは患者本人が「痛みに耐える運動療法であればあるほど、発病前の機能レベルに回復する」と考えて、むしろ自分から「痛くてもつらくても、もっと頑張ります」と申し出るケースも少なくない。

 たとえば、〈痛い・つらい・苦しい〉が大嫌いな「からだ」に、リハビリテーションの名を借りた〈痛い・つらい・苦しい〉訓練を強いるとどうなるか。自著『野口体操 おもさに貞(き)く』(柏樹社、1979年)で、肥満児の減量訓練や身体障害者の機能回復訓練が、「からだを動かすことは苦しいことであり、辛いことである」ということを徹底的に教え込むという結果になってはいないかと、野口さんは警鐘を鳴らしている。

 身障者のからだの機能増進を目的にする訓練は、いうまでもなく身障者が生きて行く上でよりよい生き方ができるようにするためのものである。肥満児の訓練は、肥満はよくないことであるという前提で、肥満の度合いを減らして瘦せさせようとするものである。

 しかし、身障者の訓練を実際にみると、健全者に近づけさせることがいいことだと思いこんでいるように思われる。身障者には、その身障者の一人一人にとって最もよい独特の在り方があり、それを探ることが大切であろう。外見にとらわれて、動きの外形を無理矢理に健全者に近づけようとすることは、根本的に誤りである。

 肥満児の訓練において、その体重に逆らってそれに抵抗する筋力をつけさせようとしているとしか思われない方法が一般に多く行われている。歯をくいしばり、したたる汗をぬぐいもせず、涙ぐましい努力、必死の形相……といったやり方である。このような訓練方法では、指導者・監督者がいなかったら、本人自身だけで続けるはずはない。一時は体重を減らすことができても、すぐ元に戻ってしまう。残ったものは、からだを動かすことは「辛いこと苦しいこと嫌なこと」という感覚だけであり、それがからだの奥深くまでしみついている、ということになる。訓練種目の選び方や、その動き方の基礎の考え方が、全く逆だからである。

「動きの主動力は自分自身のからだの重さと思いである」という自然の理法によって行えば、体重が大きいということは動きにとって負担にはならない。「体重があるからこそ楽に動けるのだ」という世界に導くことが何よりも大切なことである。筋肉を極限量まで使わなければ効果がない、と思いこんでいて、エネルギー消費量が少なくとも、合自然的な動きによって体重は減る、という生きものだけにある原理を知らない人が多い。すべての動物が本来持っている動くことの楽しさ気持よさを味わったら、指導者・監督者はいなくとも、自ら進んで動くようになって行く。

(『野口体操・おもさに貞く』「体重があるからこそ楽にうごけるのだ」45~46ページ)

 もうひとつ、医学的リハビリテーション分野の専門医、上田敏さんの基調講演「回生を助けるリハビリテーション」を紹介しよう。講演の中で、鶴見和子さんをみごとに「回生」させた「目標指向的・積極的リハビリテーション」について、上田さんは次のように述べている。

 まず目標指向というのは、(中略)リハビリテーションの大きな目標をまず決めるということです。よく皆さんはリハビリテーションと言いますと、悪い体を良くすることだ、元の体に戻すことだ、というふうにお考えになります。つまり動かない体を元に戻すことだ、というふうにお思いになる。それは全くの間違いではありませんけれども、それだけでは間違いなんですね。むしろ将来何をするのか、という目標を定めることが大事です。何をするかというのは、歩くとか、手を動かすとかということではなくて、社会人として何をするか、社会的な活動として、何をするのかという、目標をはっきり定めて、逆にそこから、その為にはこのような行為の能力をつけるんだ、というふうにやっていくことなんです。

 鶴見さんのリハビリテーションをお引き受けするにあたって、私たちは幾つかの目標を立てたわけです。先ずこの目標を達成して、次にこれにいって、次にこれにいく。
(中略)まず歩くこと、その次に、着物を着ること、その次に、講演をすることと申し上げました。しかし鶴見さんもはじめは講演なんて、とんでもないって仰った。ところが今日、(中略)皆さんの前で講演をするという目標が達成されたわけです。
(『環』「回生を助けるリハビリテーション」224ページ)

 そして、目標指向的リハビリテーションをプログラム(計画・立案)するにあたって大事なことは、下から積み上げる方式ではなく、先ず目標をもって上から引っ張り上げる方式でなければいけない、さらに、もうひとつ、「主目標」と「副目標」をじょうずに組み合わせることの効用についても述べている。

「皆さんの前で講演する」という大目標が決まった。それに付随するものとして、どうせなら立って挨拶をしたい。立って一分でもいいから挨拶をしたいということが、それを〝副目標〟と私たちは言っています。講演をすることが〝主目標〟で、副目標として、立って挨拶をするということがそこから出てきて、その為に練習をやると、ちゃんとできるようになるわけです。何でもいいから、立ってお辞儀をする練習をしなさいと言っても、しませんよ、誰も。する気になりませんよ。ですから、大事なことはこれができたら、今度はもっと長時間立って講演ができるということが目標になります。そのためにはもっと一時間でも、二時間でも、講演をするという機会を作っちゃうことなんです。鶴見さんのためにね。
(『環』「回生を助けるリハビリテーション」225ページ)

 上田さんがめざすリハビリテーションは、昔の人生を回復することではない、新しい人生をつくること、また、マイナスを減らす(機能回復)だけでなく、プラス(埋蔵資源)を引き出すことだという。

 リハビリテーションは、人生を回復することなんです。回復といっても、昔の人生をそのまま回復することではない。むしろ新しい人生を作ることなんです。傷害をもった条件において、新しい人生を築くこと。そのお手伝いをするのが、我々リハビリテーションの専門家の仕事なんです。
(『環』「回生を助けるリハビリテーション」226~227ページ)

 リハビリテーションがやることは何かっていうと、マイナスを減らすだけではない。むしろプラスを増やすものです。この両方がリハビリテーションなんです。実はプラスを増やすことのほうが、やれることが沢山あるんですね。それこそ埋蔵資源が、人間には沢山ある。それを引き出す技術を、私たちは科学的にいろいろ工夫して(中略)きています。(中略)そのプログラムの工夫の到達点が、目標指向的プログラムということで、そのもっとも基本とするところは、一人一人違った目標を立ててということです。
(『環』「回生を助けるリハビリテーション」228ページ)

 その昔、よく用いられた医学用語に、「ムンテラ(Mund Therapie)」がある。ドイツ語「ムント・テラピー」の略語だが、英語(日本語)に直訳すると「マウス(口=ことば)・セラピー(治療)」となる。
真の良医のホリスティック(全人的)なセラピー(治療)には、患者の「こころ」に生きる勇気を引き出す「ことば」を用いて、孤独で不安な患者の「からだ」をゆるめ・ほぐす「魔法のちから」がある。

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