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連載コラム「つたえること・つたわるもの」(21)

琉球方言、東北方言という「フルコト」、もの・かたり文化。

連載 2017-07-25

出版ジャーナリスト 原山建郎

 文教大学の生涯学習講座『「ひらがなの魅力をさぐる」やまとことば講座』の中で、「やまとことば」とは、まだ文字をもたなかった上古代の日本人が、情報伝達や愛情表現に用いた「話しことば」で、その昔、九州から東征してきた大和族(やまとことば話者)と山陰(島根)に拠点をもつ出雲族(いづもことば話者)の間で抗争があり、戦いを制した大和族の「やまとことば」がメインの国語として関西を中心に広がり、サブの地方語となった出雲族の「いづもことば」は北陸・東北の日本海側を北上して、現在の東北方言(東北弁)になった、と説明した。そのヒントは、東北(山形県)出身の作家、井上ひさしさんの『日本語教室』(新潮新書、2011年)に書かれていた「東北弁は標準語だった¡?」という一文にあった。

 同書の井上説によれば、原初の日本語(原縄文語)は、前期九州縄文語を起点に九州全域に広まると後期縄文語→九州方言に、南下して琉球縄文語→琉球諸方言(沖縄・奄美諸島)に、東へ向かった一つは表日本ルート縄文語→山陽・東海方言を経て関東方言に入り、もう一つは裏日本ルート縄文語→北陸・東北方言を経てやはり関東方言に影響を与えた、四つの流れがあるという。ここで注目すべきは、中央からはるかに遠い、琉球諸方言と東北方言、そして出雲方言に「原縄文語」が色濃く残っていることである。

 東北と出雲と沖縄にいわゆるズーズー弁が残っています。「ち」と「ず」と言い分けることができないわけですね。いまでは訛っているということになりますが、縄文時代には、そういう意識はもちろんありません。(中略)「ち」と「ず」が一緒でかまわないという、そういう音韻体系を持っていたのです。

 柳田国男の『蝸牛考』という有名な論文、みなさんお読みになったことがあると思います。ある勢力の強い中心があると、言葉というものは絶えずその中心から生産されていって、かたつむりみたいに、渦巻きのように、ずーっと広がっていく。中央の言葉は絶えず生まれますから、また追っかけて、広がっていく。そうすると、一番古い形が一番奥、中心から遠いところに残るという、有名な理論です。
(『日本語教室』76~77ページ)

 なるほど、と思ったので、出雲方言→東北方言仮説を紹介したのだが、受講生の一人が参考にしてほしいと、『全国アホ・バカ分布考』(松本修著、太田出版、1993年)を持ってきてくれた。同書は、1988年に始まったテレビ番組『探偵! ナイトスクープ』のプロデューサー(松本さん)が、それまで常識とされていた「アホは関西、バカは関東」を、「九州もバカと言う」「アホとバカの境界線が、西にもある」などの情報をもとに、視聴者からのハガキ情報と現地取材の結果を446ページの本にまとめたものである。

 関西の「アホ」が、東西の「バカ」にはさまれている。「アホ」はまた、北陸と山陰の「ダラ(ズ)」、さらにまた岡山と志摩半島の「アンゴ(ウ)」にもはさまれている。どうしてこんな奇妙な分布が成立し得たのか。(中略)昔、京の都でひとつの魅力的な表現が流行すると、やがてそれは地方に向けてじわじわと広がっていった。つまり「言葉は旅をした」のである。(中略)言葉もまた都から同心円の輪を広げながら、遠く遠くへと伝わっていった。人が移住して言葉が広まったのではなく、人から人へ口伝てに都言葉が伝播していったのである。     (『全国アホ・バカ分布考』64~65ページ)

 「古語は辺境(外縁)に残る」という。柳田国男の『蝸牛考』によれば、東北と九州にはとくに古い言葉が残され、さらに琉球(沖縄・奄美)諸島には、まだ古代日本が統一される以前の、いちばん古い日本の言葉、日本祖語(※井上説では原縄文語)のシーズ(種子)が貯えられている。

 たとえば、カタツムリは近畿地方を中心に「デデムシ(デンデンムシ)」、その東西の地域、東海地方や福岡県では「マイマイ」、さらにその東西では「カタツムリ」や「ツブリ」、都から遠く離れた東北と九州の一部では「ナメクジ」と呼ばれていたのだが、これをやはり柳田民俗学では「デンデンムシ」が一番新しく、「ナメクジ」が一番古い都の言葉であったと解釈している。

 ところで、突然、現代の話題になるが、インターネットの情報サイトで「エスカレーターの立ち位置」の地域別データ(Jタウンネット2014年調査)を見つけた。私はこれまで、「関西は右側に立ち、関東は左側に立つ」と思い込んでいたのだが、同調査では、関東(左70.0%、右12.4%)に対して、関西(左20.1%、右57.7%)だったが、南の九州・沖縄(左65.4%、右13.1%)、北の北海道(左78.8%、右3.0%)では、「左側に立つ」が圧倒的に優位を占めていた。もちろん、飛行機や新幹線もなく、テレビやスマホもなかった平安時代とは単純に比較はできないが、ここはグローバル民俗学(?)の出番が待たれるところだ。

 閑話休題。すでに、「やまとことば・いづもことば」の伝播ルート、原縄文語から九州方言・琉球諸方言・東北方言・関東方言が生まれたとする井上説、関西の「アホ」が、東西の「バカ」にはさまれているというテレビ調査を紹介したが、これら日本語のルーツをたどる研究の目的は、上古代日本人(ご先祖さま)の生活感覚、死生観にまつわる手がかり、おそらくは「フルコト(古言・古事)」をさぐる試みなのだろう。

 『にほんとニッポン』(松岡正剛著、工作舎、2014年)から、「フルコト」の解説を紹介しよう。

 結局、フルコトというのがわからなくなったということなんです。フルコトというのは古い言葉、古い事のことです。『古事記(※フルコトフミ)』という名称もフルコトをまとめたものという意味がこめられている。もともと日本語のコトという言葉には、「」と「」の両方の意味があります。「そりゃ、おおごとだ」「どういうこと?」というのは、出来事と言葉がつながっているんですね。それからモノという言葉は「」と「」との両方をあらわしている。「ものすごい」とか「ものさびしい」とか「ものがなしい」というときの「もの」は、スピリチュアルなモノと、物質的なモノの両方の意味が入っています。そもそも「ものがたり」というのも、「もの・かたり」ですから、その両方の意味をまたいでいるんですね。               (『にほんとニッポン』208~209ページ)

 「やまとことば(いづもことば)」で21世紀の「いま」を語り継ぐ、私たちの「もの・かたり」文化。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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