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連載「つたえること・つたわるもの」161

ターミナル・ヒーリング――患者とその家族から「つたわるもの」。

連載 2023-05-23

出版ジャーナリスト 原山建郎
 あさって(5月25日)の文教大学(越谷校舎)オープン・ユニバーシティ(社会人向け教養講座)『遠藤周作の遺言――「心あたたかな病院」がほしい その1』第3回講座では、肺結核や腎臓病などで長く苦しい闘病生活を経験した遠藤さんの切実な思い「患者をこれ以上苦しめないでください」をとりあげる。

 遠藤さんはまた、1982年4月、読売新聞夕刊の連載エッセイ『患者からのささやかな願い』の①(第1回)に、『病気の「治療」だけでなく、患者に「心のなぐさめ」も』と題する一文を寄稿している。

 最近、御存知のように日本にも随分立派な病院がたちました。巨大な建物や完備した医療設備。それを見学したことも何度かありますが、私は、そのたびごとに感心しながらも「何かが欠けている」――そんな気がいつもするのでした。何が欠けているのだろう。こんな立派な病院に来て、なぜ、何かが足りないと思うのだろう。すぐに思いあたりました。

 それはここでは病気を治そうと試みているが、病気にかかった人の孤独感や苦しみを慰める点ではほとんど神経を使っていない。つまり医者や看護婦さんの努力や善意にかかわらず、日本の病院そのものは重症患者の孤独感や絶望感にはあまり心をくだいていない気がするのです。
(『患者からのささやかな願い』①、讀賣新聞1982年4月1日夕刊)

 その2カ月後、こんどは『中央公論』1982年7月号(中央公論社)にエッセイ『日本の「良医」に訴える ――私がもらった二百通の手紙から』を寄稿し、その訴えのひとつに「心療科の医師をスタッフに加えてほしい」と書いた。患者の「心のなぐさめ」がほしいという、遠藤さんの強い「願い」が感じられる。

 私は外国の病院に入院したことがあるが、そこには小さいながらチャペルがあったり、小ホールが設けられていた。チャペルでは患者や患者の家族だけでなく、医師や看護婦が患者と共に祈る姿をみた。私はその時、医師と患者とのなんとも言えぬ人間的な結びつきを感じたものである。

 (中略)これからの病院が巨大化されると同時に、医師の専門が細分化され、診断も機械化されるにつれて、患者はますます孤独になっていくだろう。そして今までよりも、長期患者や重症患者の心的な不安が起きてくるだろう。その時、心療科がスタッフに加わることが必要になるような気がしてならない。
(『中央公論』1982年7月号、137ページ)

 文教大学(越谷校舎)オープン・ユニバーシティで配布する「追加資料」を作成する中で、やはり遠藤さんの『日本の病院に、教会にあるようなチャペルや「瞑想室」がほしい』の願いを叶えた「日本の良医(グッド・ドクター)」がいる病院のひとつ、鳥取市にある野の花診療所(徳永進院長)を紹介することにした。

 それまでは鳥取赤十字病院内科部長だった徳永さんが、2001年、大借金をして開設した二階建ての有床診療所には、「瞑想室」が一階と二階にあり、ホームページの説明文には「二つあり。1階に茶室風、2階に牢屋風。いずれも自分の日々、人生をふり返り、祈り、感謝し、謝(あやま)る。」と書かれている。 

 やはり、同じホームページの自己紹介で「死ぬのはつらいだろうなー。だったらその時、その横に立っていて、手を握ってあげる仕事をしよう、と思ったのが高校2年生の時でした」と語る徳永医師は、心あたたかな「良医」である。『野の花診療所まえ』(徳永進著、講談社、2002年)の内容紹介(講談社webサイト)に、野の花診療所を開設するまでの期待と不安が記されている。

 野に咲く花のように自分らしく生き、自分らしく死ねる。/そんな願いを実現したくて、診療所をひらくまでの日々。/胸の奥があったかくなって、きっと心が楽になる!/どんな食堂ができ、どんな料理つくってくれるんかなあ、/どんな看護婦さんがやってきてくれて、どんなケアをしてくれるんだろう、/瞑想室の光はどこから射し込むんかいなあ、/図書室にはどんな本が並び、夜中でも本読んでいる人がいるんかなあ、/職員の給料、ちゃんと払えるんかいなあ~、/それより何より、日常の診療の腕上げんといけんぞう。
……(『野の花診療所まえ』より抜粋)

(『野の花診療所まえ』講談社webサイトの内容紹介)

 ところで、私は1980年に月刊誌『わたしの健康』に異動し、遠藤さんの『治った人、治した人』(4年間の連載企画)を担当していたが、じつは1982年秋、当時は勤務医(鳥取赤十字病院内科部長)だった徳永さんをお訪ねして、翌1983年1月号から1年間、連載コラム『形のない家族』の執筆を依頼していた。連載終了後は、他の雑誌掲載のエッセイを加えて、主婦の友社から書籍にしたいと思っていたが、1990年に『形のない家族』(思想の科学社)が出版された。同書「あとがき」には、私の名前(謝辞)も載っている。

 野の花診療所が2001年にオープンして間もないころ、私が鳥取県倉吉市で午前中の講演を終えたあと、ちょっと時間ができたので、徳永さんに電話して、鳥取駅から徒歩約15分、野の花診療所に立ち寄った。

 すると、久しぶりの挨拶もそこそこに、「ちょうどよかった。原山さんに頼みたいことがある」と、徳永さんが切り出した。がん終末期で入院しているおばあちゃまの「足指をもんであげてほしい」という。

 すぐに徳永さんと病室を訪れ、おばあちゃまが寝ているベッドの足元に立った。おばあちゃまの足の指を、1本ずつ順番に、爪から押し込むようにもんでゆく。お腹がゆれる、顔の皮膚がゆれる、両肩もゆれる、両側にある手の指先もゆれる。足指からの小さなゆれが、からだ全体にさざ波のように伝わっていく。
もみながら、「この指には、何年くらいお世話になっていますか」と尋ねてみた。「もう80年以上です」と答えた。おばあちゃまは梨農家の主婦で、働きづめの人生だったそうだ。

 さらに、「こうして足の指をもんでもらったことはありますか」と尋ねると、かぶりを振って「いいえ、これが初めてです」と言って、寝たままの姿勢で小さな手を合せる。
両足の指10本を15分ほどかけてもむ。もませていただいている私の手の指に、おばあちゃまのからだの温かさとたましいの鼓動が、かすかに伝わってくる。このおばあちゃまは、あと数週間で天国に旅立たれる。思わず、私の胸の奥に熱いものがこみあげた。

 「原山さん、ありがとう。何よりのプレゼントでした」という謝辞を受けながら、むしろ与えられたこの機会こそが私への神さまからのプレゼントだと思った瞬間であった。

 「ターミナル・ケア」ということばがある。がんなどの病気で余命わずかとなった人や、認知症や老衰の人たちが、その人らしい残りの人生時間を穏やかに過すために行われる医療・看護的ケア、介護的ケアのこと。または、手術や投薬などの治療(キュア)による延命よりも、病気の症状などによる苦痛や不快感をやわらげ(緩和し)、心の平穏や残された生活の充実を優先させるケア(看護や介護)のことをいう。

 もうひとつ、「ターミナル・キュア」ということばもある。一般的には、これ以上の延命治療(ライフ・サポート・トリートメント)を行わない「ターミナル・ケア」の対義語(反対語)のように受けとられることが多い。しかし、徳永さんは自著『こんなときどうする?――臨床のなかの問い』(岩波書店、2010年)のなかで、終末(ターミナル)期にも、患者の病態に応じて必要となる治療(キュア)があると書いている。

 がんの患者さんにがんと告げない、という時代があったことを知らない医師や看護師が増えているだろうと思う。(中略)ぼくが(※京都大学)医学部を卒業したのが一九七四年。がんの末期の患者さんのケア、ターミナルケアという言葉が広がり始めるのが一九八〇年ごろ。日本に初めてのホスピスができたのが、一〇年後の一九九〇年である。

 医師ががん病巣を手術する。大きなキュアは手術という行為。手術前後に抗がん剤投与や放射線治療を行うこともある。これも大きなキュア。それだけのことをしても、がんを治療しきれず、がんが進行することは多い。医師はキュアという考え方しか持っておらず、再手術、無効が予想されての再びの抗がん剤投与、無意味な輸血、無意味な人工呼吸使用、無意味な心マッサージ、などを指示するしかなかった。

 そんな時、キュアを末期に強制するのはよくない、という声が臨床から上がった。声をあげた人たちは主に看護師たち。その声をすくった優れた臨床医たちが、一つのうねりを作っていった。ターミナルケアという言葉が臨床に、大切な言葉として定着していった。
(中略)

 ここで、ターミナルキュアという言葉を記しておこうと思う。

 がんの末期はキュアでなくケア、
(中略)その強調から、ターミナルケアという言葉が生まれた。そして広がった。でも、臨床で働いていると、がんの末期であっても、医師の持つ技術で患者さんの苦痛が和らぐ、ということが起こってくる。代表的なものは、放射線科医たちが持っているinterventional radiology(IVR)の技術だろう。細くなった胆管、尿管などにステント(※狭くなった部位の内腔を広げるためのチューブ)を挿入し、流量を確保する。始まりはキュアが多い、終わりはケアが多くなる。でもキュアもかなり終末まで登場しうる。入り混じる。どうしてこの図(※文中に引用されている「キュアとケアの【割合を白と黒のドットで示した】図」)に、臨床で働いている人たちは気づかないのだろうと思う。
(『こんなときどうする?――臨床のなかの問い』「2 キュアとケアの図」198~201ページ)

 そこで、野の花診療所では、ターミナル・ケアとターミナル・キュアを臨機応変に組み合わせたホスピス・ケアを行っている。徳永さんが定義する「ケア」と「療法」もまた、ナルホド!と、素直に納得。

 一九床のホスピスケアのある有床診療所を始めて三年と八カ月が経った。亡くなられた人は二九六人。手術をするわけでも、積極的な化学療法をするわけでもない。中心は緩和ケア。それでも、CTや胃カメラや超音波は用意し、高カロリー経静脈栄養法や胸膜癒着術、たまに化学療法、紹介でIVRや放射線療法などはしている。ターミナルキュアという言葉を臨床では宝物と思っているからだ。(中略)

 ケアという言葉が大きくふくらむ。疼痛ケア/症状ケア/睡眠ケア(枕ケアを含む)/入浴ケア。いや療法とつけた方がいいかもしれない。音楽療法/思い出療法/瞑想療法/笑い療法/園芸療法/絵本療法/花火・蛍療法/お祭り療法/叫び療法/外出療法/旅行療法/家族団らん療法/作品展療法などなど。

 治るということを求めるのではなく、自分の人生を振り返ること、別れざるを得ない家族に言葉を残すこと、残されている日々を今までと同じように普通に生きて行くことなどが大切に思え、そのことを求めるようになる。ケアは囲まれた長方形(「キュアとケアの図」)の中に留まることができず、宙に飛び跳ねていく。
(『こんなときどうする?――臨床のなかの問い』「2 キュアとケアの図」202~203ページ)

 徳永さんが看護師さん向けに行う講演会では、臨床での疑問や患者さんへの思いを書いたメモをもらう。看護師さんの3000通あまりのメモと徳永さんのコメントでまとめた『ナースtoナース』(徳永進著、関西看護出版、1999年)のなかに、日々の臨床で奮闘する看護師さんたちが感じた、患者とその家族のことばや動きが「つたえること」、それらから看護師さんの心に「つたわるもの」を読みとることができる。

*008
 初めての家族の死。畳の部屋でふとんに横たわり、祖父はゴロゴロ喉を鳴らしていた。そばで本を読んでいる私に、伯母が「じいちゃん息しとるか、みときやー」と……。リズミカルに鳴っていた咽喉が聞えなくなったのも気づかず、本に見入っていた小学生の私は静かになってしまった部屋にふたたび伯母の声で我に戻り、うろたえた。「はよう、みんな呼んできー」。伯母の声に泣きながら畑仕事をしている家族を呼びに走った。なぜそばで看てなかったのかと、悔やまれる。


 小学生の時の死、よーく焼き付いている。そういう身近な死の経験から、患者さんの死への援助が始まるのかもしれない。次のも、別の意味では、そういうことだろうか。

*009
 昨年の夏、看護婦という立場から患者の家族という立場に立ち、家族間で来る日も来る日も治療方針あるいは治療環境をすったもんだ話し合った結果、私の意見に対し父がひと言、「お前は医療者の立場からものを言っている」。それから先、何も言えなくなった自分がくやしかった。

(『ナースtoナース』第1章「あつあつ」16~17ページ)

*029
 胃癌。五十歳代の男性。若い頃、家族を捨て家出をしたため、病床についても家族の見舞いはなし。朝から昏睡、昼に声をかけたところ目をあけ、「ありがとう」と言って息を引きとられた。今も忘れることのできない静かな死だった。


*030
 症状がひどく、「人殺し」「あっちいけ」といっていた患者さんが、死ぬ直前じっと私の目を見て、「ありがとう」といって死んでしまった。


*031
 二十歳のお母さん、三カ月の子供が亡くなり、解剖の承諾をされました。私が卒後初めて死亡確認からお見送りまでした方でした。そのときのお母さんの言葉が、「親になるってつらいんですね」でした。 
            
  (『ナースtoナース』第2章「忘れられない死」36ページ)


 ここでは、ターミナル・キュア、ターミナル・ケア、ホスピス・ケアというフレーム(枠)をはるかに超えて、終末期患者とその家族だけでなく、ケアにあたる医療者(医師や看護師)の人生も含めた「ターミナル・ヒーリング(終末期の人生まるごとの癒し)」の世界が、大宇宙の中心に向かって広がっている。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員
 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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