連載「つたえること・つたわるもの」155
草花とことばを交わすグリーンハンド、地球とのつながり感覚。
連載 2023-02-28
出版ジャーナリスト 原山建郎
草花を育てるのが上手な園芸家を、和製英語でグリーンハンド(green hand、緑の手)という。正確な英語表現(北米)ではグリーンサム(green thumb、緑の親指)、英国ではグリーンフィンガー(green fingers、緑の指)である。なぜ「緑の手」かというと、植木鉢に触れることが多い園芸作業では、植木鉢の外側に生えている緑色の藻で親指(手指)を汚すから、という説が有力だという。グリーンハンドをもつ人は、草花とことばを交わし、つねに観察しながら、草花が語りかける微かなメッセージを聴くことができる。しおれかかった草花が生き返り、元気な花を咲かせる〈マジカルパワー〉をもっている。また、毎日水やりなどの世話を欠かさないのに、草花を枯らしてしまう人はブラウンハンド(茶色の手)という。
これは人間と草花のコミュニケーション(交流)の話だが、わが家の書棚に植物同士のコミュニケーションについて書かれた書籍が何冊かあったので、その中から動物(獣や昆虫)の攻撃から身を守る植物の話題をいくつか紹介しよう。副題に「ふれあいの生命誌」と書かれた『植物たちの秘密の言葉』(ジャン=マリー・ペルト著、ベカエール直美訳、工作舎、1997年)は、フランスの植物学者(植物生物学、隠花植物学、生薬学などを研究)、ジャン=マリー・ペルトの力作である。少なからず専門的な内容も含まれているが、できるだけ分かりやすく要約し、ポイントとなる部分は一部引用しながら紹介していこう。
★バッタ(イナゴ)の襲来/樹木の葉を食い尽くすケムシ――しかし、ある日、突然止んでしまう
バッタの襲来といえば、旧約聖書の「創世記」の次に出てくる「出エジプト記(モーゼが虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトを脱出する物語)」に書かれた〈十の災い(エジプトに対して神がもたらしたとされる十種類の災害)〉の第八番目に出てくる「蝗(バッタ)を放つ」が有名である。アフリカではバッタの大発生がある周期ごとに起こり、バッタの大群が通ったあとは農作物がすべて食べつくされてしまう。2020年2月ごろ、アフリカ東部を中心にサバクトビバッタが大量発生し、10カ国で130万ヘクタールでの殺虫作業が行われてきたが、食い荒らされた穀物は約270万トン(約1800万人分の食料)にのぼるといわれている。
ケムシの大増殖も、同じように突然発生する。やはり2020年10月ごろ、米国バージニア州の公園や住宅地などで目撃されたケムシ(蛾の一種、長い毛でおおわれたサザン・フランネル・モスの幼虫。成虫の蛾になれば毒はなくなるが、幼虫であるケムシの時期は自らを守るために全身を猛毒の毛皮で覆っている)の急激な増殖は、樹木(葉)の食害だけでなく、長い毒針毛に触れた人がかゆみを伴う発疹、嘔吐、腫れ、発熱などの症状を引き起こした。ふだん、このケムシはアメリカ南東部やメキシコの樹林地帯に隠れて暮らしているが、この年は例年では見られない地域での急激な大増殖と、その毒針による住民の健康被害が続出した。
たしかにバッタ(イナゴ)の襲来については、伝説的な被害がいろいろ知られている。そのなかでもいちばん有名なものの一つは、聖書(※旧約聖書)にある第八番目の「エジプトの災い」をなしたものだ。この襲来は、ファラオ(※古代エジプトの王)の妨害をなくしてモーセとヘブライ人(※古代エジプトで奴隷になっていた時代のユダヤ人)が約束の地へ出発できるよう、主が遣わされたものだった。とくにアフリカではこうしたバッタの大発生が複雑な周期にしたがって起こり、ほんものの一斉射撃にでもあったかのように、見渡すかぎり緑がすっかりなくなってしまうことがある。
毛虫も、春に森の樹木上で似たような急激な増殖現象を生じることがある。しかし、毛虫の大増殖により起こるこうした動物量の急増は、一般に、はじまったときと同様にある日突然止んでしまう。たとえば、一九七〇年代にニューイングランド(※米国北東部6州)に、文字どおり森をかじる――しかも、アメリカ的規模で――毛虫が襲来した例がある。生きた毛虫の厚い絨毯でふさがれた道路を片づけるのに、ブルドーザーがいるほどだった。(中略)ところが、葉の大部分が早々と晩秋の色に変わると、突然この毛虫軍団の退却がはじまった。無数の死んだ毛虫たちが地面を埋めつくし、押しつぶされた死骸で黄色く染まった泥が散策者の靴を汚すことになったのだ……。
(中略)捕食者の個体数の信じがたい激増によるこうした生物の攻撃は、なぜ突然、はじまったときと同様に停止してしまうのだろうか? 一見したところ、ひっきりなしにやってくる飢えた虫たちの侵攻を止めるものは何もないのに、毛虫たちは、食物のストックを完全に食いつくしたために、飢え死にしたのだろうか? もちろんそんなことはない。周囲の樹木上には、その捕食者が無視したように見える植物群がまだ残っているのだから。
(『植物たちの秘密の言葉』第八章「植物同士のコミュニケーション」86~87ページ)
★クーズーはアカシアの葉がまだ残っているのに、なぜ飢え死にしてしまったのか?
この「なぜ突然、はじまったときと同様に停止してしまうのだろうか?」という問いに対する答えのヒントが、トランスバール(南アフリカ)の農民に家畜として飼育されているクーズーという、渦巻き型の角をもつレイヨウ(ウシ科の偶蹄類)の一種が餌として常食しているアカシアの葉にある。
このことは、拙著『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫、2001年)「気の相互伝播システム」(同書32~34ページ)でもとり上げたので、その内容をかいつまんで紹介しよう。
長期の干ばつに見舞われた1981年のある日、数頭のクーズーが飢え死にする事件が起こった。クーズーたちは、そばにまだアカシアの青々とした葉が残っていたのに、どうやらその葉を食べるのを拒んだようだった。早速、生物学者がクーズーの死体を調査したが、何かの病気に冒されている痕跡はなかった。
しかし、クーズーの胃の中に消化されずに大量に残っていたアカシアの葉に、平均14パーセントという高い比率のタンパク質――大型のレイヨウでも健康を維持するに十分な量――が含まれていた。それと同時に、死んだクーズーの糞にも大量のタンパク質が含まれており、これはアカシアの葉がほとんど消化されず、腸をそのまま通過していたことを意味していた。
つづいてアカシアの「葉」の成分が調査された。すると、クーズーが食べていた葉には、大量のタンパク質だけでなく、「タンニン」と呼ばれる物質が含まれていることが判明した。自然界においては、貪欲な動物たち(捕食者)の食欲から植物たちが身を守るために、ある一定以上の葉を食べ過ぎないように、葉の中にタンニンを生成して、味を変える(苦くする)、胃腸での消化を妨げるなどの自衛手段を講ずることがある。
ふだん、おとなしいクーズーは、アカシアの木の間を移動しつつ、あちこちの葉を少しずつかじりながら、広い範囲で食べ物を調達するが、一本の木をついばむのに2分以上はかけない。いかにおいしそうな葉が手の届くところに茂っていても、早々と次の木に移っていく。なぜか、それはアカシアの木が化学的防備(タンニンの生成)体制を、驚くべきスピードでつくりあげるからだ。
ところが、自然保護に熱心な農民の一人が、銃で撃たれるおそれのある区域にクーズーが迷い込まないように、高い塀を巡らせてしまった。そこで、やむなくクーズーは限られた狭い区域内で食べ物を探さざるを得なくなった。通常であれば、生成されたタンニンが葉に送り込まれると、食べ始めてから数分以内に味が変わる(苦くなる)ので、クーズーはほかの木に移ってゆくのだが、高い塀に行く手を阻まれ、さらに旱魃によって木の選択の余地を制限されたことから、クーズーは再び限られた区域に戻ってきて、タンニンの濃度が依然として高いままの「葉」を食べるしかなかった。そして、クーズーは消化不良を起こし、飢えて死んだ。
このことを知った生理学者、プレトリア大学のヴァン・ホーヴェン教授が、死んだクーズーと同じプロセスを模倣することで、植物の生態を解明できるのではないかと考えて、学生たちを連れてアカシアの木をいじめる実験を行った。最初は、そっと木に近づいてやさしく「葉」のサンプルを採取し、次にベルトや鞭や杖を手にした学生が一団となってアカシアの木に襲いかかった。
一群の学生たちが数本のアカシアのそばまで連れてゆかれ、強力な補食行為に似せるために鞭やベルトや棒などでたたいて、この木にひどいお仕置きを受けさせることになった。当然のこと、葉はずたずたになった。かわいそうなアカシアは区別などできないから、おそらくクーズーの群れにでも急襲されたのだと思ったことだろう。さて、一定の時間間隔で、たたかれたアカシアの葉を分析してみると、攻撃から一五分後には、木が葉のタンニン生成量を大幅に増大させることが確認された。タンニン含有量は、二時間後には当初の量の二倍半にまで達した。それで、葉はまったく消化できなくなり、食用に適さなくなった。アカシアの木に打撃の雨が降らなくなると、タンニン含有量は徐々に正常に戻り、一〇〇時間後には正常値になった。
南アフリカの研究者たちはそれから、鞭打ち作戦中に数本の木だけを容赦することを思いついた。そして鞭を免れたこれらの木々の葉を分析した。なんたる驚き! それが同一種のものなら、たたいた木から三メートル以内にある木も、葉のタンニン生成量を増大させてゆくのだ。したがって、攻撃された木からべつの木へ、メッセージが伝達されたことになる。このメッセージは、理の当然として、負傷した葉が放出する揮発性物質でしかありえない。
(『植物たちの秘密の言葉』第八章「植物同士のコミュニケーション」92~93ページ)
まだ大量の食糧(アカシアの葉)が残っているにもかかわらず、飢え死にしたクーズーも本来であれば、これら負傷した木――クーズーが食べて葉のタンニン濃度が上昇したアカシア――から遠ざかるだけでなく、これからこうむうる可能性のある危険を「通報」され、大量のタンニンの分泌によって防御態勢を整えた、周囲の仲間の木からも遠ざかる必要があった。しかし、人間がつくった高い塀にはばまれたクーズーは、傷ついた仲間の木からの警報を受け取っていない遠くのアカシアの木を探しにゆくことができなかったのである。
動植物界における意思伝達・相互交流、目に見えないコミュニケーションを探究したイギリスの生物学者、ライアル・ワトソンが書いた『スーパーネイチャーⅡ』(内田美恵・中野恵津子訳、日本教文社、1988年)から拙著に引用した一文の中に、この虐待を免れた木々の葉(タンニン濃度)に関するレポートがある。
次に虐待した木の周囲にある同じ種類の木から、対照(比較するために何もしないままのグループ)のためにサンプルを採取していましたが、驚いたことには、傷ついた木に同情するかのように、その近くにあった木のタンニンの濃度も増えていることがわかりました。傷ついた木と同じ大きさのC木は、一・八メートル以上離れていたにもかかわらず、三時間後にはタンニンが四二%増加しました。学生がベルトでA木を痛めつけたすぐ後には、三メートル以内に立っていた二本の木が高い濃度のタンニンを生成していたのでした。
ヴァン・ホーフェンは、このようにさし迫った危機をほかの仲間に知らせて、警戒を促そうとしている(らしい)植物の能力のことを、「樹木がもつ謎の警戒システム」と呼んでいます。
(『からだのメッセージを聴く』第一章「からだのメッセージを聴く」34~35ページ)
★触れると葉を閉じるオジギソウ/高速で飛ぶ昆虫の帯電に反応するオサバフウロ
「樹木がもつ謎の警戒システム」といえば、微かな刺激にも敏感な植物の代表格、オジギソウがある。小さな葉の列に指先が触れただけでも、たちまち扇のようにすべての葉を閉じてしまう。強くゆすったりすれば、葉っぱ全体がうなだれる。『アースワークス』(ライアル・ワトソン著、内田美恵訳、ちくま文庫、1989年)に、ワシントン大学のバーバラ・ピカード率いるグループの研究によって、このオジギソウの刺激反射(運動)は葉に触れた人間(動物)の活動電位によるものであることをつきとめたことが紹介されている。
少し長い引用になるが、今コラムのはじめに紹介した、植物とのコミュニケーションがじょうずな「グリーンフィンガー(グリーンハンド)」を考えるためのキーワード、「アース(接地)」に注目してみたい。
オジギソウの場合、感覚がとても鋭敏であるため、温度や光の方角とか強さの変化、電気的衝撃、切り傷、火傷はもちろんのこと、大気圧の変化にすら反応する。(中略)どうあっても葉っぱを食べてやろうと意気込んでいる山羊までは撃退できないにせよ、急な動きに出れば、有害かもしれぬ昆虫ぐらいなら困らせることはできるだろう。ノース・ウェールズ大学の植物学者たちは、オジギソウほど劇的な動きはしないが、もっと注目すべき感覚をもつカタバミ科のオサバフウロを研究している。この植物の場合、(※オジギソウのように)軽く触れられると葉がしなだれるという反応を示すほかに、まだ触れられないうちから反応することが発見された。この回避反応を起こさせるには、葉から二センチメートルのところに帯電したアクリル棒を近づけるだけで十分なのだそうだ。
飛ぶ昆虫が、高速で翅をはばたかせるために、飛行中にかなり強く帯電していることは周知のとおりで、このオサバフウロは、空中のそのような静電場の存在(※飛行中の昆虫)に反応することを覚えたらしい。近づく昆虫が着地するよりも前に、適切な回避行動がとれるようになっているわけである。これが事実だとすれば、植物が人間によってつくられる電場に反応したり、それと相互作用したりするかもしれないという話も、もはやそれほど無茶なものとはいえなくなるかもしれない。もしかすると、「グリーンフィンガー」もちといわれる人たちは、うまく電気をアースさせているために、ほかの人ほど植物に回避行動を起こさせ古傷(※かつて虐待された葉のトラウマ記憶)を憶いださせる陰性の活動電位を、発していないだけなのかもしれない。
(『アースワークス』3「意識のルーツ」68~69ページ)
「アース」とは、帯電した私たちの「からだ」を大地(地球)とアース(接地)する(つなぐ)ことである。からだ(導体)から大地へ電気の通り道ができる、つまり、アース(大地)につなぐことによって、刺激の強い静電気がなくなり、安定したからだの状態をつくりだすことができる。
なるほど、植物たちが発する微かなメッセージを聴く、もうひとつの耳をもつグリーンハンド(グリーンフィンガー)とは、自然体で大地と「アース」する、地球との「つながり感覚」の持ち主のことである。
【プロフィール】
原山 建郎(はらやま たつろう)
出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員
1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。
2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。
おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。
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