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連載「つたえること・つたわるもの」(138)

声に出して伝える〈やまとことば〉、「ひらがな」のリズムが面白い。

連載 2022-06-14

出版ジャーナリスト 原山建郎

 6月30日から始まる文教大学のオンライン講座『〈やまとことば〉のオノマトペ、「からだことば」を楽しむ』のレジュメ資料を作りながら、六世紀ごろ中国や朝鮮半島を経由して漢字が伝来するまで、もっぱら話しことばのコミュニケーションだった日本語、上古代の日本語〈やまとことば〉について、いまもなお、なぜ私がこだわりつづけるのか……。それは高校時代、国語の授業での「ひらがな」テストまでさかのぼる。

「ひらがなで、五十音図を書け」
 一年生の国語、渡辺弘一郎先生、最初の授業。あの鋭い眼でぎょろりと睨み、小テストを命じた。
〈えーっ、ワ行が書けない! ヤ行も書けない!〉

 私はもちろん、大半の生徒がお手上げ。その顛末を、後年、武蔵野大学で講じた授業資料に書いた。

 高校で最初の授業は、「ひらがな」で五十音図を書くテスト。しかし、多くの生徒はワ行(ゐ・ゑ)が書けず、のちに歌会始の召人にも選ばれたアララギ派の歌人(清水房雄)、渡辺弘一郎先生から「小学校で、ひらがなも習ってこなかったのか!」と一喝された。中学の教科書(古文)には「ゐる(居る)」や「ゆゑ(故)」などが(よく覚えていないが)あったはずだから、こちらとしては言い訳どころか、ぐうの音も出ない。

 当時は男子生徒の多くが、不忍池の向こうに見える東大をめざす時代だったが、ワ行が書けなかったことに、大変なショックを受けた。渡辺先生はつづけて、やまとことばの特徴を、わかりやすく解説された。

 たとえば、「私は」の「は」を、日本人は疑いもなく「私わ」と発音するが、文字のなかった上代日本では、〔ハ〕でもない、〔ワ〕でもない、やまとことば特有の発音〔パ/ファ〕があった。旧仮名遣いである「てふてふ(蝶々)」の発音も、上代日本話しことばでは「テフテフ」でもなく、「チョウチョウ」でもなかった、という講義は刺激的だった。あれから五十数年後のいま、山口謡司(大東文化大学中国科教授)さんの高著『〈ひらがな〉の誕生』(KADOKAWA・中経の文庫、2016年)に、当時の発音がわかりやすく説明されている。

 さて、我々が「ハ」と発音する音は、奈良時代頃は「パ(pa)」と発音されていた。とすれば、「母」は「はは」ではなく「パパ」だったのである。
 また、「サ」は「ツァ(tsa)」、「タ」は「ティァ(ta)」という発音であった。
 つまり、現代の「はひふへほ」は「パピプペポ」、「さしすせそ」は「ツァ ツィ ツゥ ツェ ツォ」、「たちつてと」は「ティァ ティ ティュ ティェ ティョ」だったのである。
 してみれば、「久(ひさ)し」は「ピツァツィ」、「旗(はた)」は「パティァ」というふうに発音されていたということになるだろう。

(『〈ひらがな〉の誕生』「万葉仮名と日本語の発音」129~130ページ)

 高校一年、国語の初授業、衝撃の「ひらがな・五十音」テストから61年。76歳の私はいま、文教大学の社会人向け講座で、『〈やまとことば〉のオノマトペ、「からだことば」を楽しむ。』(春学期)、『「やまととことば」でとらえる〈ほとけごころ〉Ⅲ』(秋学期)を担当する。秋学期講座『〈ほとけごころ〉Ⅲ』の狙いは【〈やまとことば〉の心情で〈ほとけごころ〉に分け入ってみる】だが、今回の春学期講座『声に出して伝える「ひらがな」のリズムが面白い。』は、【「ひらがな」のリズムが面白い】が重要なポイントである。

 参考までに、【「ひらがな」のリズムが面白い】講座資料から、その一部を紹介してみよう。

 たとえば、高校時代の古文(古典)の授業で学んだ『古今和歌集』の序文がある。全文が漢字である古事記・日本書紀(※古事記は変体漢文体、日本書紀は漢文体)の時代から、変体仮名が寺子屋教育で大活躍した江戸時代末まで、文章には句読点がなかった。文章を読むときはすべて音読が基本だった時代は、声に出すことで違和感のない「読みやすさ」を確かめながら、意味の通じる文脈、物語としての整合性(ロジカル)をさぐっていたに違いない。『古今和歌集』の序文で有名な漢文の「真名序」と平仮名の「仮名序」を見てみよう。

 まず、紀淑望(きのよしもち)が書いた「真名(漢文)序」から。
夫 和歌者 託其根於心地 発其華於詞林者也 人之在世不能無為 思慮易遷 哀楽相変 感生於志 詠形於言 是以逸者其声楽 怨者其吟悲 可以述懐 可以発憤 動天地 感鬼神 化人倫 和夫婦 莫宜於和歌(以下略)
『古今和歌集』「真名序」(白文=漢文)

 これを、漢文を訓読するための漢字仮名交じりの「書き下し文」にしてみる。
それ 和歌はその根を心地に託け その華を詞林に発つものなり。人の世にあるは無為なること能はず。慮遷り易く 哀楽あひ変る 感じて志を生じ 詠じて言に形る。ここをもちて逸する者はその声を楽しみ 怨ずる者はその悲しみを吟ず。もちて懐を述べ もちて憤を発つべし 天地を動かし 鬼神を感ぜしめ 人倫を化し 夫婦を和ぐること 和歌より宜しきはなし。(以下略)
『古今和歌集』「真名序」(書き下し文)

 紀貫之が書いた「仮名(ひらがな=変体仮名)序」では、こうなる。
やまとうたは ひとのこゝろをたねとして よろつのことのはとそなれりける よのなかにあるひと こと わさしけきものなれは こゝろにおもふことを みるものきくものにつけていひいたせるなり はなになくうくひす みつにすむかはつのこゑをきけは いきとしいけるもの いつれかうたをよまさりける(以下略)
『古今和歌集』「仮名序」(清音)

 これに、漢字、濁音を少し交えてみる。
やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける 世の中にある人 事 業(わざ)しげきものなれば 心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり 花に鳴くうぐひす 水に住むかはづの声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける
『古今和歌集』「仮名序」(漢字、濁音を交えた)

 松岡正剛さんは、歌人の會津八一が漢詩と和歌について並々ならぬ関心をもっていたことを、書評ブログ「松岡正剛の千夜千冊」734夜のなかで「和漢をまたぐ力」と表現している。次に紹介するのは、①「唐詩選」の五言絶句を、②江戸時代後期の歌人・千種有功(ちくさありこと)が和歌に詠んだものを、さらに③會津八一が仮名でその心象をみごとに詠みこんでいる。書評ブログのポイントを要約して紹介する。

① 宿昔青雲志(宿昔青雲の志)/蹉柁白髪年(蹉柁たり白髪の年)/誰知明鏡裏(誰か知る明鏡の裏)/形影自相憐(形影おのずから相い憐れむ)                  「唐詩選」 張九齢
※蹉柁(さだ:つまずいて時機を失すること)
② いくとせか心にかけし青雲を/つひにしらがの影もはづかし         (和漢草) 千種有功
③ あまがける こころ は いづく しらかみ の みだるる すがた われと あひみる  (鹿鳴集)會津八一
(「松岡正剛の千夜千冊」734夜から、文章の一部を要約)

 また、たくさんの歌を「ひらがな」で表現した詩人、まど・みちおさんの詩「あいうえお」で歌われた、五十音のア行からワ行まで、「あかさたなはまやらわ」、それぞれの行ごとに異なる「ひらがな」のオノマトペ(擬音語・擬態語)が奏でるリズムが面白い。

「あいうえお」
あいうえおは あおいでいる/あおい うちゅうの あおい うえを
かきくけこは かたくて こちこち/かきっこ くきっこ かむ けいこ
さしすせそは すずしそう/さやさや そよそよ ささ すすき
たちつてとたち/たてついた/たてと ついたて つったてて
なにぬねのはね ねないのね/なきの なみだに ぬれながらにね
はひふへほはん はなはずかしい/はひひ ふへへ ほほが はれて
まみむめもは もう むやみに ねばつく/もっちり むっちり あめまみれ
やいゆえよは やわいようよ/ぶよぶよ ぶゆぶゆ やわやわよ
らりるれろなら/ろれつが もつれる/らるりり れろりり ろれろれろ
わゐうゑをは おおさわぎだわ/わいわい わやわや てんやわや

(『まど・みちお全詩集』511~512p)

 声に出して伝える〈やまとことば〉、まるい「ひらがな」のリズムが面白い。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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