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連載「つたえること・つたわるもの」(134)

キエフからキーウへ、ウクライナ大地へのリスペクト

連載 2022-04-12

出版ジャーナリスト 原山建郎

 政府は先月末(3月31日)、ウクライナの首都の呼称を、旧ソ連時代から使われてきたロシア語発音の「キエフ(ロシア語表記Киев・ラテン文字転写Kiev)」から、公用語であるウクライナ語発音の「キーウ(ウクライナ語表記 Київ・ラテン文字転写Kyiv)」に変更した。これにともない、テレビや新聞などが用いる図解では、ウクライナの地名表記を、キーウ(キエフ)」/オデーサ(オデッサ)」/ドニプロ川(ドニエプル川)/チェルノービリ(チェルノブイリ)など、ウクライナ語(ロシア語)併記の形をとっている。ロシア語とウクライナ語の文字表記には、どちらもキリル文字(東スラブ語群に属する民族が用いる言語文字)が使われていることから、同じ東スラブ語群における地域語(方言)のようなものかもしれないが、ウクライナにおける公用語はもちろんウクライナ語であり、ロシア語表記・発音を用いることは、国際的なマナーに反する。

 たとえば、「キーウ」という名称は、ポリャーネ族(かつて6~9世紀にかけて存在した東スラブ部族)の公爵「キーイ(Кий)」の名を冠した「キーイウ(キーイの都市)」に由来するという。同じように、ウクライナ南部、黒海に面した港湾都市「オデーサ」の名称は、このあたりに古代ギリシアの植民都市オデソス(ギリシア神話の英雄、オデッセウスにちなんで名づけられた)が存在したという誤認(実際のオデソスは黒海西部に位置するブルガリアの北東部にあった)によるものだそうだが、かつてギリシア系商人と植民者の誘致を企図してこのギリシア風の名前をつけたとも言われている。

 ウクライナ(ウクライナ語表記 Україна・ラテン文字転写Ukrajina)という国名について、『ロシア・ナショナリズムと隠されていた諸民族』(ナーディア・デューク、エイドリアン、カラトニツキー著、田中克彦監修、李守、早稲田みか、大塚隆浩訳、明石書店、1995年)に、地政学的な解説がある。

 「ウクライナ」ということばは、ロシア語とウクライナ語で「国境地帯」とか「辺境の地」の意味を表すオクライナから来ている。ヨーロッパのスラブ系の人びとが定住し国家を築いた東の果てが、ここウクライナの地なのである。東と西の勢力がしのぎをけずる辺境の地だったため、ウクライナはタタールやモンゴルといった騎馬民族の侵入を受け、中世にはリトアニア公国、つづいてポーランド、ロシア、ナチスに占領されるという歴史をたどってきた、しかし本来、ウクライナは辺境とはほど遠いところだった。古代ルーシ人(※ドニプロ川の中流域に居住した現地民の自称)による豊かで高度に発展した中世文化がここで生まれたのである。
(『ロシア・ナショナリズムと隠されていた諸民族』111ページ)

 東京都図書館のHPには、「ウクライナ」の国名と国旗の由来について、次のように書かれている。
国名の由来 「ウクライナ」という国名は、スラブ語で、辺境・国境地方を意味する「ウクライナ」に由来。4世紀頃から東スラブ人が定住していた地に、9世紀頃にバルト海地方からノルマン人(ルーシ人)が南下してキエフ・ルーシ公国を建国したのがはじまり。
国旗の由来 「独立ウクライナの旗」と呼ばれ、ソ連邦時代からウクライナ独立(※1991年8月)のシンボルとして使われた。青は空を、黄は大地を染める小麦と農業を表している。

 このように見ていくと、ウクライナ語の国名である「ウクライナ」にも、「キーウ」「オデーサ」の地名にも、何世代にもわたって語り継がれたウクライナの歴史がある。今回の「ウクライナ侵攻」を奇貨として、日本をはじめ多くの国々の政府機関やマスメディアが、これまで用いてきたロシア語の地名表記からウクライナ語の発音に近い地名(国名)表記を採用したことは、ウクライナの文化の真の復権を意味するものだと思う。

 ところで、ロシア語表記・ウクライナ語表記の説明で()内に示した「ラテン文字転写」とは、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語などラテン文字のアルファベットを使用する言語で、ラテン文字以外の文字体系を用いる言語(※たとえばキリル文字を用いるロシア語・ウクライナ語など)の発音をラテン文字(※abc……)で表記することをいう。これは、「音写(ある言語の語音を、他の言語の文字を用いて書き写すこと)」と呼ばれる表記法のひとつである。たとえば、インドのことば(パーリ語、サンスクリット語)で書かれた仏典を、中国の漢字に「意訳+漢字の音写(音韻をあてて書き写す)」によって中国語に漢訳(翻訳)した「漢文の仏典」もまた、「漢字文字転写」と呼べるものである。

 同じように、日本語である「日本」(漢字)や「にほん」(ひらがな)をnihonまたはnipponのように、日本語発音をローマ字(※abc……)に変換する「ローマ字表記」も、「ラテン文字転写」に近い表記法である。かつて、文字(書きことば)をもたなかった上古代の日本人にとって、コミュニケーションの手段は会話(話しことば)のみだったが、4~5世紀ごろ、朝鮮半島経由で「漢字」が伝えられると、「やまとことば(和語)」の音韻(発音)に「漢字」の音韻と文字を借りて「万葉仮名」がつくられた。その後も、漢字は真名(正式の文字)、ひらがなは仮名(仮の文字)と呼ばれ、現在の日本語(漢字かな交じり文)となった。

 明治時代、文明開化にともなう欧米文化の流入に対処するために、国名(地名)など欧米のことばをウクライナ(烏克蘭)、ロシア(露西亜)のように漢字とカタカナで表記した。また、北海道におけるアイヌ語の地名や沖縄における琉球語の地名は、漢字の音韻をあてて書かれるようになった。

 「地名は保守性が強い言語記録で、簡単には消えにくい」とは、民族研究者の筒井功さんのことばである。自著『アイヌ語地名と日本列島人が来た道』(河出書房新書、2017年)のなかで、現代の日本には北海道・東北北部地方に漢字の音韻をあてたアイヌ語の地名が、沖縄地方に漢字の音韻をあてた琉球語の地名がある。筒井さんは、日本の先史時代の民族移動、近代の和人(本州人)の北海道進出について解説している。
 北海道の地名がもとは、すべてアイヌ語であることは、多くの人が気づかれていると思う。稚内(わっかない)、紋別(もんべつ)、留萌(るもい)、網走(あばしり)、釧路(くしろ)、歌志内(うたしない)、札幌(さっぽろ)、長万部(おしゃまんべ)、(中略)いちいち例を挙げるまでもあるまい。
 われわれ日本人の先祖が現在の列島へやってきたルートは、北方のサハリン(樺太)、北海道経由、西方の朝鮮半島、対馬経由、南方の琉球列島経由の三つがあったろうとする考え方が、ほぼ定説になりつつある。いまから四万年前(三万八〇〇〇年前とする説もある)~二万五、六〇〇〇年くらい前のことらしい。
(『アイヌ語地名と日本列島人が来た道』「南限線の存在と日本人が来た道」18ページ)

 ただし、本土の日本人すなわち和人が早くから進出していた道南部などには千歳とか福島といった日本語による地名も江戸時代からあるにはあった。(中略)明治新政府が成立し、本州以南からの入植・開拓が本格化して一五〇年ばかりが過ぎた今日でも、右の事情は大きくは変わっていない。アイヌ語が日常語としてはすでに死語にひとしくなった現在でも、地名に関するかぎり北海道は依然としてアイヌ語の大地なのである。
(『アイヌ語地名と日本列島人が来た道』「はじめに」11ページ)

 また、筒井さんの孫引き――『地名アイヌ語辞典』(知里真志保著、北海道出版企画センター、1956年)――であるが、アイヌ語の「nayなィ」について、次のような説明がある。
 〈川、谷川、沢。アイヌ語に川を表わす語が二つある。petとnayと。北海道の南西部ではpetを普通の川に用い、nayは谷間を流れて来る小さな川の意に限定している。(中略)この二つの内petは本来のアイヌ語で、nayの方は外来らしい。川を古朝鮮語でナリ、或は現代語方言でナイといっているのと関係があるのかもしれない(読点や区切りの記号を一般的なものに変えてある=引用者)〉
(『アイヌ語地名と日本列島人が来た道』「「ナイ」と「ペッ」」23~24ページ)

 『アイヌ語よりみた日本地名新研究』(菱沼右一著、第一書房、1982年)に、北海道の地名の解説がある。
 石狩(イシカリ 原名「イシカラベツ」雄大に曲がれる川)/札幌(サッポロ 原名「サツポロ」乾燥廣大の地)/紋別(モンベツ 元名「モぺツ」靜川)/稚内(ワッカナイ 「ヤムワクカナイ」冷水の澤)/釧路(クシロ 原名「クッチヤロ」咽喉の義)/留萌(ルモイ 「ルルモッペ」靜潮水。ルルは潮汐、モは靜、ぺは水なり)/網走(アバシリ 元名「チパシリ」吾人發見したる土地の義)
(『アイヌ語よりみた日本地名新研究』「北海道地名」249~256ページより抜粋)

 『アイヌ語地名と日本列島人が来た道』で引用(11ページ)した、二つのアイヌ語地名をweb検索で調べてみると、歌志内(ウタシナイ)は「ウタ(砂)+シ(あるところ)+ナイ(川)」、長万部(オシャマンベ)は「オ(川尻・河口)+シャマム(横になっている)+ペッ(川)」と説明されていた。

 ちなみに、120年前まではハワイ王国であった米国(亜米利加)ハワイ(布哇)州の地名も、もとはポリネシア語であったが、のちに英語のアルファベットで表記されるようになった。ハワイ(州)はHawaii=ha(生命)+wai(水)+i(魂)、ホノルル(市)は、Honolulu=hono(湾、入江)+lulu(穏やかな、守られた)、ワイキキ(ビーチ)はWaikiki=wai(水)+kiki(吹き出す、ほとばしる)の意である。

 ウクライナ語で書かれた地名にも、漢字で書かれたアイヌ語の地名にも、英語で書かれたポリネシア語の地名にも、その大地で暮らす人びとを育んできた、世界にひとつずつ存在する「たましいの物語」がある。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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