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連載「つたえること・つたわるもの」(131)

からだの重さに任せて立ち、地球の中心とつながる感覚。

連載 2022-02-22

出版ジャーナリスト 原山建郎

 文教大学の『〈やまとことば〉のオノマトペ、からだことばを楽しむ』講座のために、からだとことばの本質にせまる好著『野口体操 おもさに貞(き)く』(野口三千三著、柏樹社、1979年)を読み返していたら、「人間が人間であることの基礎感覚は、地球の中心との〈繋がり感覚〉である」ということばに出会った。

 地球上に存在するすべてのものは、そのもの自体の重さによって地球の中心と繋がることによるしか在りようはない。特に立って移動することを特徴とする人間は、他のすべてのものより以上に、この感覚が大切なものとなる。人間のからだは、地球にしがみついて固定するようには造られていないし、固定してしまっては生きられないからである。
 動くということ移動するということは、常に今の平衡状態を崩し、次の平衡状態をつくり出すということの、絶えることのない連続である。平衡とは、地球の中心との繋がりの在り方の問題である。
(中略)
 地球の中心と繋がるということの能力は、自分自身のからだの重さの方向感覚が基礎となる。自分が今立っている地球上の一点を、何よりも大切にして、重さ(思ひ)によって繋がるのである。今、自分が向かい合っている人や物も、遠い他国に生きる人も、すべて地球の中心と繋がっているのであり、お互いが地球の中心で結ばれているはずである。
(『野口体操 おもさに貞く』12ページ)

 たとえば、人間は「一本足」で歩くのか、それとも「二本足」で歩くのか? と問われたら、人類は二足歩行の動物だから「二本足」で歩く、と答える人が多いと思うが、正解は「一本足で歩く」なのである。二本の足に体重をかけていっぺんに跳ぶ動作に、立ち幅跳びや垂直跳びがあるが、歩く(走る)ように進むことはできない。「一本足で歩く」を解説すると、歩き出すまではたしかに二本の足で立っているのだが、いざ歩き出そうとするときは、踏み出すほうの足は瞬間的に空中に振り出され、立っているほうの足(足裏)で全体重(からだの重さ)を支えることになる。この動作を左右交互に、つまり、からだの重さ(全体重)を左右一本ずつの足に、次々に瞬間移動させながらはじめて、私たちは歩く(走る)ことができる。これが「動くということ移動するということは、常に今の平衡状態を崩し、次の平衡状態をつくり出す」連続動作なのだ。

 野口体操の創始者である野口さんは「大自然の力に抵抗する能力を力と呼び、そのような力を量的に増すことを鍛錬と呼ぶ、という考え方は傲慢の極である」とも述べている。かつて大相撲力士の稽古といえば、「摺り足(土俵から足を離さず、するようにして足を動かす)、四股(左右それぞれの足を高く上げて交互に踏み下ろす)、股割り(座った状態から左右の足を開き、そのまま胸を地面につける)、鉄砲(木製の柱に向って突っ張り)、ぶつかり稽古(受ける側とぶつかる側に分かれて行う稽古)」が標準的な練習だったが、近年はバーベルやダンベルを用いるウエイトトレーニング、個別の筋肉に負荷をかけて鍛えるマシントレーニングをとり入れる力士が多くなった。全力でぶつかっても弾力性のある生身の力士同士の稽古と異なり、マシントレーニングのレジスタンス運動(標的の筋肉に集中して負荷をかける運動)では、鍛える筋力の限界を越える負荷がかかっているのに、その「苦しさに耐える」我慢が裏目に出て、大きな怪我につながることも少なくない。

 自分という自然が、大自然と一体のものとなったとき、それを強いといい、柔らかいともいう。なぜ、強いと柔らかいを別のこととして分けなければならないのか。
柔らかさを得ようとして、無理をし、頑張るやり方をよく見る。柔らかさが強さにとっての基本であることを知っているならば、「したたか(下確【したたし】か・下手然見
したたしかめ)の方法でなければならないはずだ。先ず地球、そして自分のからだの重さ、そこから出発しない限り、地球上の生きものとしての強さとはどんなものかが分かるはずはない。
(『野口体操 おもさに貞く』16~17ページ)

 「したたしか」は「下手然(したたしか)」、下(足元・土台・基盤・根源)を手や足で直に触れて、そうだ(しかり・然り)と実感し納得することである。「たしかめ」というコトバも、手や足で対象に直に触れたりつかんだりして、そうだということを見極めることで、手然見(たしかめ)と考えてよい。
すべてのからだの動きにおいて、下が確かであることが何よりも大切なことである。下から伝わってくるエネルギーによる動きから、ほんとうの強さ、ほんとうの速さ・巧みさは生まれるのである。

(『野口体操 おもさに貞く』103~104ページ)

 ところで、野口体操の基本は、「ぶら下げ」の感覚だという。
やはり、野口さんのことば(野口語録)に、「次の瞬間に働くことのできる筋肉は、今、休んでいる筋肉だけである。」/「今、休んでいる筋肉が多ければ多いほど、次の瞬間の可能性が豊かになる。」/「からだは地球の中心からぶら上っている。」/「人間のからだは自然のエネルギーの通り道」などがある。

 たとえば、からだの重さを大地(地球)にまるごと任せて「立つ」ことの原理は、「足で立つ、手で立つ(逆立ち)、臀で立つ(腰掛)」ことが、地球の中心から見れば「ぶら上げ」であり、からだの動きの本質が「ぶら下げ」の動きにあることが分かる、と野口さんはいう。

 両脚を腰幅に開いて、すっきり楽に立つ。自分のからだの重さを地球と骨に任せ切って、骨盤を含めた状態を前下にぶら下げる。その「重さと思ひ」を大切にして、ぶら下がり流れて行く、よりよい通り道をつくるようにする。足の裏から脚→骨盤→腹→胸→肩→頸→頭・腕の中身の、細胞と細胞の間を空けるように、優しく細やかに、ゆっくり労わるように、思いつくままに、ゆらゆらにょろにょろと、波のように左に右にゆすりながら……間を待つ。やがて「重さと思ひ」が地球の中心にまで、繋がりつく、という実感が生まれてくる。
(『野口体操 おもさに貞く』16~17ページ)

 すっきり楽に立って「地球との繋がり感覚」を実感するためには、「すっきり」というサ行の言霊(音韻の響き)と「楽に」休んでいる筋肉の数がたくさんある状態をイメージすることが求められる。

 〈ひらがな〉の五十音図、サ行の中でとくに「す」の言霊(発音体感)は、たとえば「酢」を口に含んだときに、頭(あたま)のてっぺんから足(あし)の裏(うら)に向って、その酸っぱさがスーッと一本、縦に「すぢ道」が通ったような感じがする。ほかに「すいすい、ずっと、すらすら」にも、途中で切れることなく一本で「繋がっている」ような発音体感がある。

 ちなみに、「頭」と「足」の「あ」は、「顕(あ)れる」の「あ」であり、「あ+たま(玉)」は「玉のように顕れているもの」を、「あ+し(下の語幹)」は「からだの下にあるもの」を意味する〈やまとことば〉である。

 たとえば、西野流呼吸法の「足芯呼吸」という、立位で行うエクササイズでは、まず足の裏から息を吸って(実際には鼻から細く息を吸うのだが)、イメージとしては「足の裏→太ももの内側→丹田(下腹)→肛門に意識を置いて→背骨→頸→頭のてっぺん」の順番に息を吸い上げ(イメージとしては息を足の裏から頭のてっぺんに向って息を通す)、次に吸い上げた息を顔の前面から、からだの正中線に沿ってゆっくり吐き下ろし、その息を丹田に収める。丹田に収めた息は再び太ももの内側から足の裏に向って吐き下ろす。これは、大地のエネルギーを全身に巡らせ、「地球(大地)との繋がり感覚」を大切にするエクササイズである。

 足の裏といえば、湧泉(ゆうせん:水分代謝をつかさどる)、足心(そくしん:イライラを抑えて身心の緊張をほぐす)など、鍼灸の重要なツボ(経穴)がある。つまり足の裏は、からだの重さ(いのち)を支える役目だけでなく、大地のエネルギー(パワー)をくみ上げる役割も担当しているのだ。

 ところで、「力」の訓読(やまとことば)は、「ちから」だが、「湧泉(いづみ・わく)」というツボもあるように、私たちの足の裏は単なる皮膚ではない。「ち(地)+から」湧く大地のエネルギーをチャージ(充電)する、EV(電気自動車用の充電)コンセントの役割をもつ、掛け替えのない重要な「臓器」なのである。

 「地球の中心との繋がり感覚」に、「引力」ということばをあてた詩人、まど・みちおさんの著書『どんな小さいものでも見つめていると宇宙につながっている』(まど・みちお著、新潮社、2010年)に、「みなもと」と題する一文がある。

 「みなもと」
生れたところだけがふるさとではなく
死んでゆくところもふるさと。
宇宙をふるさとにすれば
一緒のところになります。


 私にとってのふるさとは、はるかな地球の中心の方
引力の方向なんですね。

空の雲も、アイスクリームも、人間の作った建物も、樹も、
みんなと一緒になって地球の中心をさし、
ありえないことですが、
それを突き抜けて太陽の中心、
おおげさなことになるが、
銀が宇宙の友進を、通り抜けていく感じがするんです。

(『どんな小さいものでも見つめていると宇宙につながっている』25~26ページ)

 つまり、「人間」にとってのふるさとは、地球の中心、引力の方向。「地球」にとってのふるさとは、太陽系の中心、引力の方向。「太陽」にとってのふるさとは、銀河系? いや宇宙の中心、引力の方向にあると考えているのだろう。この詩には、生と死の間に境目はない、生まれたところも、死んでいくところも同じふるさとだという、まど・みちおさんの死生観がある。

 最後に、「地球の中心とつながって。地球上のすべての存在の究極のふるさとは地球の中心である」という、野口三千三さんのことばをもう一度、じっくり味わってみよう。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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