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連載「つたえること・つたわるもの」125

何でもデジタルの時代に、アナログな「はかり方」を考える。

連載 2021-11-23

出版ジャーナリスト 原山建郎

 今秋、鳴り物入りで発足したデジタル庁は、マイナンバーカードの普及、公文書押印の一部省略化、企業のリモートワークやオンライン会議の推進など、ニューノーマル(新しい日常)をめざす社会全体のデジタル化を進めているが、何から何まで「デジタル」処理しようとする性急な姿勢には、少なからず違和感を覚える。そもそも「アナログ」と「デジタル」のちがいはどこにあるのか。これを日本語にすると、アナログは「連続量(連続する量を表す)」、デジタルは「離散量(連続する量を一定間隔ごとに区切り、段階的に数値を用いて表す)」となるのだが、これを、長針と短針と文字盤を使って時間を表すアナログ時計、液晶画面に数字で時間を表示するデジタル時計といえば、私のアナログ頭でも、なるほど!ストンと納得できる。

 たとえば、家庭料理のレシピ本には、カレーライス(5人前)の材料として、牛肉200g、タマネギ(くし型切り)中1個(200g)、ジャガイモ(乱切り)大1個(200g)、ニンジン(乱切り)小1個(100g)のように、アナログ(大1個、中1個……)の表示だけでなく、デジタル(200g、100g)の表示も書かれているが、ベテランの主婦ならレシピに経験値を加えた「およその目安」で、美味しいカレーライスを作ることができる。

 本来はアナログ技術が基本だった料理のレシピに、アナログデジタル(量)が加わったのはそう古いことではない。料理といえば、塩梅(分量や味加減)、さじ加減(調味料の微妙な分量)、目分量(だいたいの分量を目で見てはかる)、手ばかり・ひとつかみ・ひとつまみ(調味料の分量を手や指ではかる)のように、調理の途中でも小皿にとった出汁の味加減(塩梅)をみて、砂糖や塩などの調味料をほんの少し(パラッ、パラパラ……)加えて、最終的に味を調える「手仕事」としての技が求められる。

 ちなみに、「塩ひとつまみ」は、親指と人差し指、そして中指の3本の指でつまんだ量(小さじ約2分の1=約2.5〜3g)。「塩少々」は、親指と人差し指の2本の指でつまんだ量(小さじ約4分の1=約1.25〜1.5g)、「塩ひとつかみ」は、片手で軽く握った分量(大さじ約2=約36g)である。なるほど、料理じょうずになるコツは文字通り、アナログそのもの、「さじ加減」ワールドのなかにある。

 近年、「ものづくり」ということばがよく使われるが、もともとは「手づくり(ハンド・クラフト)」からきた手工業のことで、調理する人の技が決め手になる料理の「手仕事」もその一つである。料理用語でいう「目分量」は自分の目で見てはかるものだが、日本古来の尺貫法、欧米のヤード・ポンド法も、もともと「自分の目で見てはかる」長さや面積、体積、重さを表す、「はかり方」のアナログ単位であった。

 たとえば、長さの単位を表す「寸(1寸=約3.03cm)」は、右手の形(又)に指一本(一)を加えた象形文字で、当初(中国の秦時代)の寸は親指1本分の幅(約2.2cm)を表す単位を指す「身体尺(からだの部位を基準として定められた計測単位)であったと考えられている。これは、手首に親指を当てて脈拍を計る様子を形取ったものであり、そこから親指の幅を指す現在の寸の意味となって、基準となる長さをはかることを「寸法をはかる」「寸法をとる」というようになった。また、「寸」の10分の1の長さを表す「分(1分=0.303㎝)」は、八と刀の会意文字で、刀で二つに切り分けて、その二つの間の距離、時間を表す計測単位として用いられた。たとえば「寸」は、少し、短い、わずかな、というニュアンスで、「寸志」「寸劇」「寸評」「寸断」「寸分たがわず」などと、さらに短い単位の「分」や「厘」と組み合わせて、「一寸の虫にも五分の魂」「九分九厘」などのように用いられている。

 同じように、「尺(1尺=10寸=約30.3cm)」は、上代の長さを表す単位の意味で、親指と人差指を広げた形からできた象形文字であったと考えられている。また、「尺」はある一つのものの長さだけでなく、たとえば時間の長さを「尺が長い(短い)」のように用いる。判断などの基準になるものを「尺度」という。

 やはり長さの単位を表す漢字の「尋(ひろ)」は、右手と左手を広げたときに指先から指先までの長さを1尋といい、江戸時代までは1尋=5尺(約1.36m)とされて、当時の成人男子の平均身長を表す長さの単位として使われていた。明治時代になって、新たに1尋=6尺(1.8m)と定められた。また、「寸法」を測り、長さをさぐるところから、現在の「尋(たず)ねる」という意味で用いられるようになった。かつてはもっぱら海の水深をはかる単位だったが、明治以降は陸上の単位、「間(けん):1間=6尺=1.8m」と長さが統一された。ちなみに、「間(けん)」は、日本における建物の柱と柱の間の長さを表す単位で、中国の度量衡にはない単位である。「尺」や「間」のほかにも「町(ちょう)」「里(り)」の単位があり、それらとの長さの関係は、1町=60間=360尺≒109.09m、1里=36町≒3.927kmとなっている。

 重さの単位を表す単位の「貫(1貫=3.75kg)」は、江戸時代以前の通貨の単位で、本来は大量の銭を携帯するために銭を束ねた道具「銭貫(ぜにぬき)」のことで、銭の中央に空いている穴に貫や紐を通して(貫いて)1000枚を1組とした。日本では一文銭の目方(重さ)であることから「匁(もんめ)」と呼び、1000匁を1貫とした。しかし、1891年に制定された度量衡法では、1貫は国際キログラム原器の質量(1kg)の4分の15(=3.75kg)と定義され、「匁」はその1000分の1と定められたという。

 体積を表す「合(1合=180.39ml)」の原義は、祝祷(祈りの言葉)を収める器(容れ物)で、米や酒などの分量(容積)をはかる単位である。1合は1升の10分の1、1勺の10倍にあたる。わが国では明治時代に1升=約1.8039ℓと定められたので、1合は約0.18039ℓ(180.39ml)である。現在、商取引における尺貫法の単位使用は認められていないが、日本酒や焼酎の販売はおもに1合(180ml)単位で行われている。

 また、1合の米(白米)は標準的な1食分の分量となっており、米1合をはかる計量カップも180mlの容量である。そして、米1合を炊くのに必要な水の量も同じ約1合である。ちなみに、米1俵=60kgであり、また1俵=4斗=40升=400合であるので、割り算(60kgの400分の1)をすると1合=150gとなる。

 体積を表す「升(しょう)」は、柄のついた柄杓(ひしゃく)からきた象形文字、穀物糧をはかる器である枡(ます)のことで、江戸時代初期、四方が4寸9分(14.85cm)、深さが2寸7分(8.19cm)の寸法に定まった。「斗酒なお辞せず」は、1斗(18ℓ)の酒を勧められても断らないほどの大酒豪をいう表現である。

 次に、ヤード・ポンド法で使われる計測単位から、欧米における身体尺のあらましを見てみよう。

 長さの単位を表す「インチ(1インチ=2.54cm)」は、手を使った身体尺で、もともとは男性の親指の付け根部分の幅であった。語源が「細長い棒、小枝、竿」の意味をもつ「ヤード(1ヤード=91.44cm)」は、腕を使った身体尺で、手を広げたときの指先から顔の鼻先までの長さ、あるいは肘から中指までの長さを、古代ギリシャで使われていた長さの単位でキュビットといい、その2倍(ダブルキュビット)が、1ヤードとほぼ同じ長さになる。「フィート」は足のつま先からかかとまでの長さの身体尺で、かつてはヨーロッパ諸国で独自の長さを表すフィートがあった。その後、イギリスとアメリカのフィートの差をなくすために、1フィート=0.3048mとする国際フィートが定められた。1フィート=3分の1ヤード=12インチである。

 重さの単位を表す「ポンド(1ポンド=453.592g)」は、メソポタミア地方で大麦1粒の重さをもとにグレーン(7000分の1ポンド=64.7989mg。ヤード・ポンド法の重さの最小単位)が定められ、その倍量単位としてポンドが定められた。ポンドは人間が1日に消費する食糧の単位であり、1ポンドの製粉(小麦や大麦)によって焼かれるパンが、1日分の主食糧に相当する。

 また、古英語や古フランス語の「樽」を語源とする「トン」は、当初は252ワインガロン(0.952㎥)入りの樽に入る水の重さ(2100ポンド)を1トンとしていたが、現在、日本などで使われる「トン(t)」はメートル法のキログラム(kg)を基準に定義された「メートルトン(1トン=1000kg)である。このほかにも、バケツやボウルを意味するラテン語を語源にもつ「ガロン(1米ガロン=3.785ℓ)」や、胴のふくらんだ樽を意味する古フランス語が語源の「バレル(1米バレル=158.93ℓ)」などの表示単位もある。

 と、ここまでは長さや重さ、体積の「はかり方」を表す「身体尺」についてみてきたが、最後に『はかり方の日本語』(九島茂著、ちくま新書、2007年)から、食べ物や水の量を「多い・少ない」という「はかり方」に関する、国語史学者・九島さんのとても面白い考察の一部を紹介しよう。【】内は原山の補足説明。

 柿の実は塊だから一、二、三と数え、「多い・少ない」と言う。柿の種となると随分小さいが、やはり一、二、三と数えて、「多い・少ない」と言う。ブドウは房の塊と実の粒と種があるが、房も実も種も一、二、三と数えて、「多い・少ない」と言う。小豆の粒も、米の粒も、一、二、三と数えることができ、「多い・少ない」と言う。ここまでは問題がない。

 しかし、砂糖となると、角砂糖であればその塊を数えられるが、粉の砂糖は粒を数えることはできず、スプーンや容器で「はかる」。水は、もはや数えることはできず、できるのははかることだけである。そして、はかった時も、「多い・少ない」と言う。それだけではない。実は、ブドウの実や小豆や米の粒も、普通は数えずに、はかりや升で重さや容量をはかる。この時も「多い・少ない」と言う。

 数えた時だけではなく、はかった時も「多い・少ない」と言うのはなぜだろうか。砂糖や水のように集めたり運んだりできるものは、物として扱って、はかりや升で重さや容量をはかることができる。そして、その量は、砂糖や水の性質(個体の内部の量)というわけではない。集まった量、存在の量だから(「分離量【※ブドウや小豆など手に持てるもの、分けるのに限界があるものは分離量、水や広さなど手に持てないもの、無限に分けることができるものは連続量】」だから)、数えた時と同じく、「多い・少ない」と言えるということだろう。
(『はかり方の日本語』「数字と言葉」14~15ページ)

 ちなみに、「はかる」ということばには、計測の意味をもつ「計る(測定器を使って数・量・重さ・長さなどを計る)」、「測る(測定器を使って長さや高さ、幅や速度などを測る)」、「量る(測定器を使って重さや容積を量る)」のほかに、創意工夫をこらす「図る(やるべきことを心の中で計画する)」、念のため会議にかける「諮る(人に意見を求める)」、人の心をもてあそぶ「謀る(だます、計略にかける)」などの意味もある。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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