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連載「つたえること・つたわるもの」(118)

より速く・より高く・より強く+より美しく・より楽しく

連載 2021-08-16

出版ジャーナリスト 原山建郎
 8月8日、「東京2020(東京オリンピック競技大会)」が閉会した。今大会は、史上初の無観客試合(大会関係者は少数参加)となり、テレビのチャンネルを変えながらリモート観戦(?)することになった。

 体操競技の種目別・鉄棒の男子予選で、金メダルの期待がかかった内村航平選手(32歳)がまさかの落下で決勝進出を逃したシーンでは、思わず「えーっ、うそーっ」と悲鳴を上げたが、個人総合で金メダルをとった橋本大輝選手(19歳)が種目別・鉄棒の決勝でも金メダルを獲得し、これまで金メダル3個を含む合計7個のメダルに輝いた内村大先輩のためにリベンジを果たした。よくやった、これぞ「あっぱれ!」。

 野球の決勝では、アメリカと戦った侍ジャパンが、三回裏に村上宗隆のソロホームランで1点、八回裏には一死二塁から吉田正尚の安打と中堅手の悪送球で1点追加。2対0で迎えた九回表は、栗林良吏投手が二死からヒットを許した場面はハラハラさせられたが、しっかり後続を断って初の金メダルに輝いた。

 サッカー日本代表は、3位決定戦でメキシコ代表に1対3で敗れ、53年ぶりのメダル(1968年のメキシコ大会で銅メダル)獲得とはならなかったが、ニュージーランド代表との準々決勝(7月31日)、ゴールキーパー・谷晃生が見せたPK戦でのビッグセーブは、いまもなお、まぶたの裏に焼き付いて離れない。

 なぜ、オリンピック競技で戦う選手たちの真剣なまなざし、力強くしなやかな動き、引き締まった面差し、その一挙手一投足が、テレビでライブ映像を見つめる私たちを、これほどまでに感動させるのだろうか。

 『ダンスマガジン』編集長の三浦雅士さんは、1999年12月に上梓した『考える身体』(NTT出版、1999年)で、「人はなぜダンスを見るのか」という問いを発している。引用文にある「ダンス」を、「オリンピック競技」と置き換えれば、「人はなぜオリンピック競技を見るのか」という問いになる。

 人はなぜダンスを見るのか。何よりもまず身体そのものが、他人の身体と同調したいからなのだ。舞台を見るとき、人は、ダンサーとともに踊っているのである。回転し、跳躍しているのである。だからこそ、見終えた後に、快い疲労感を覚えるのだ。また、だからこそ、より美しく舞うもの、より華やかに踊るものに惹かれるのである。人は、より強い、より速い、より美しいフォームに惹かれる。身体の想像力の限界を試そうとでもするように、人は舞台を見る。試合を見る。見ているのは目ではない。身体なのだ。(中略)

 人はスポーツを好むだけではない。それを見ることをも好む。なぜ好むのか。他人の身体と同調したいからである。同調することによって、自身の身体の限界性を試したいからだ。スポーツだけではない。人間がダンスのような身体芸術を生み出したのはまさにそのためである。逆に、ダンスやスポーツといった身体芸術があったからこそ、人間という特殊な動物が生まれたのだといっていいほどである。人間はおそらく、ダンスやスポーツのなかで独自な共同性を培ってきたのだ。
(『考える身体』「メディア」58・60ページ)

 「からだことば」とは、「生身(なまみ)の身体(からだ)が語ることば(フィジカル・アピアランス:身体的表現)」である。「感動」をあらわす慣用句には、たくさんの「からだことば」がある。たとえば……。

 頭に血がのぼる/脳裏に焼き付く/胸が熱くなる/胸が苦しくなる/胸に迫る/胸(心)に響く/胸が詰まる/目(心)を奪われる/ぐっとくる/じんとくる/胸(心)を打つ/鳥肌が立つ/胸(心)が弾む/胸(心)を躍らせる/息を吞む/息が上がる/手に汗握る/手に汗をかく/息(胸)を弾ませる/ため息が出る/ほっとする/息が詰まる/固唾を呑む/目頭が熱くなる/血が騒ぐ/血がたぎる/血湧き肉躍る/気合を入れる/大声を出す/声を張り上げる/歓声を上げる(どよめく)/声を励ます、などなど。

 私たちは、テレビ画面のオリンピック選手(近年はアスリートと呼ぶが)と同じ呼吸をし、同じ汗をかき、同じ心拍数をカウントする。全力で戦う選手たちと観ている私たちは、すでに一心同体なのである。

 ここに紹介した慣用句では、「胸」と「心」で同じ表現を用いているが、「からだことば」の「心(こころ)」は、メンタル(精神、頭脳)ではなく、フィジカル(身体的)なハート(感情、情動)を意味する。

 また、「体感(からだで感じること/からだに伝わること)」を何度も何度も積み重ねるうちに、やがて、体感の集積が「体得(からだの実践的な体験を通して自分のものにする)」に昇華する瞬間が訪れる。

 下掛宝生流の能楽者、安田登さんの著書、日本人の身体』(ちくま新書、2014年)のなかで、私たちは「身体(しんたい)」と書いて、からだ」と訓読するが、上古代の日本には「からだ」ということばはなく、身(み)と表現している。「身」は「実」と同じ語源をもつことばで、中身のつまった身体をさすことばだが、その中身は命(いのち)や魂(たましひ)で、つまり「身」とは身体と魂、まだ体と心が未分化だった時代に〈統一体〉としての身体をさすことばだったという。たとえば、「身も心も(捧げて)」という慣用句も、わが「身」のなかに「からだ」と「こころ」が併存する、「身」の状態をいうことばである。

 ちなみに和語(やまとことば)の「からだ」は、空っぽの「から(殻)=抜け殻」語源説が有力で、魂の抜け殻としての「死体」を意味していた。したがって、本コラムで便宜的に用いる「身体(からだ)」とは、体と心が未分化な状態(身も心も)をいう、「身(み)」を意味することばだと考えていただきたい。

 三浦さんは、1960年代、寺山修司や唐十郎などの小劇場運動の高まりが、狭い劇場空間のなかで、それがまず観客の身体を介して生まれていたとして、身体のその後に続く頭脳の熱狂を導くための水路だったと指摘する。そして、頭脳(メンタル)が自分の身体を動かすだけでなく、身体もまた別のかたちで頭脳を動かし、動かされた頭脳がさらに身体を動かすと、精神と身体の関係を次のように説明している。

 感動とは身体的なものだ。人によっては、理論的な何かがまずあって、その理論に近いものに出会って感動するということがあるのかもしれない。だが、それはたぶん偽物である。ほんものの感動はそんな余裕を与えない。それは嵐のように、突風のように襲ってくるのである。鼓動が高まり、背筋が青ざめる。文字通り、打ちのめされるのである。
(『考える身体』「はじめに」8ページ)

 ところで、「東京2020」から、「シンクロナイズド・スイミング」という女子の競技種目名が「アーティスティック・スイミング」に変更された。この競技は37年前、1984年のロサンゼルス大会から、やはり女子の競技種目「新体操(リズミック・ジムナスティクス)と一緒に、オリンピックの正式種目に加わったものである。これらの競技は、身体的な動作のテクニック(技術点)だけでなく、衣装(見た目:アピール)や表現力(芸術点)も評価の基準に入っていて、これはもうすでに「身体芸術」と呼ぶべき領域に達している。そして、従来の三つのモットーである「より速く、より高く、より強く」に、もう一つ「より美しく(芸術的に)」を加えることで、やがて21世紀のオリンピック・ムーブメントを先導するきっかけとなった。

 また、「東京2020」の競技には、従来は「遊び」的な要素が強かったスケートボード、スポーツクライミング、サーフィンなどが加わった。スケートボード女子(パーク)では四十住(よそずみ)さくら選手(19歳)が金メダル、開心那(ひらき・ここな)選手(12歳)が銀メダルを、サーフィン男子では五十嵐カノア選手が銀メダル、サーフィン女子では都筑有夢路(つづき・あむろ)選手が銅メダルを獲得した。とくに印象に残ったのは、彼らがマス・メディアのインタビューに「(競技は)楽しかった」と答えたことだ。

 従来のオリンピックのように、「国の威信をかけて」「日の丸を背負って」など、悲壮感あふれる「スポ根」の時代は終わった。さらに「より楽しく」のモットーが、「東京2020」を起点に、もう一つ加わった。

 マス・メディアの発達は、オリンピックの異なった面をも引き出した。咳密になったテレビ画像は、観客が存在したほうがいい競技、いや、観客の身体の反応を必要とさえする狭義の重要性を示唆しはじめたのである。球技や格闘技もそうだが、とりわけ、ある意味では計測不能な芸術点なるものを含む一群の競技、すなわち、新体操、フィギア・スケート、シンクロナイズド・スイミングなど、一般に芸術スポーツと呼ばれる種目がそれである。いまや、オリンピックの未来は、この芸術スポーツの行方にかかっているように思われるほどだ。まさにそこにおいて、観客がかつての身体性を取り戻し得るかもしれないからである。
(『考える身体』「メディア」62ページ)

 「より速く・より高く・より強く」から、「より美しく・より楽しく」をめざすオリンピックへ。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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