PAGE TOP

連載「つたえること・つたわるもの」(116)

外来コード(漢字)を、自前モード(万葉仮名)に編集する。

連載 2021-07-13

出版ジャーナリスト 原山建郎
 昨日(7月12日)、東京都に4回目の緊急事態宣言が発令され、先週(7月6日)から足立区北千住で始まったばかりの「あだち区民大学塾」(ひらがなの魅力をさぐる「やまとことば」)講座(全3回、定員の50パーセント以下、対面式、マスク・フェイスシールド着用)が、2か月後に延期されることになった。

 第1回講座は、「〈ひらがな〉の成立はいつごろ?」と題して、「漢字の音や意味を借りた万葉仮名→万葉仮名で書かれた〈やまとことば〉→江戸仮名(変体仮名)から生まれた明治の〈ひらがな〉」について話した。
たとえば、漢字は「漢民族が用いた文字」であること、漢字を借りて上古代日本の話しことばである〈やまとことば〉を書きことばの万葉仮名で表したこと、万葉仮名の「仮借(漢字の音を借りた当て字)と「訓読(やまとことば読み)」の発明は、朝鮮半島経由で漢字文化を伝えた渡来系移住民の力による(白川静説)こと、明治33年に一音一字で表記する現在の〈ひらがな〉」の制定などについて、かつて武蔵野大学の図書館司書選択必修科目「コミュニケーション論」で用いた資料をもとに、およそ2時間かけて話した。

 講座のあとで提出された質問票(①~③の質問は要約)に対する私のコメントを、いま書いている。オリジナルのコメントは、9月上旬の講座再開時に渡されることになるが、その一部をざっと紹介しよう。

 ①東北・津軽地方に行ったとき、地元の人同士の会話が理解できなかった。書く文章は一般標準(漢字かな交じり文)だが、その土地だけで通じる地方語(強い訛り)と標準語をどう考えたらよいか。

 厳密にいうと、「標準語(国の公用語、法律や教育で使われる言葉。NHKのアナウンサーが使う言葉)」、「共通語(どこでも意思疎通ができる言葉。日本共通語なら東京語、世界共通語なら英語)」、「公用語(国で定められる政治、法律、教育で使われる言葉。日本では標準語がこれに当たる)」があり、たとえば東京語(東京弁・東京方言)にも「山の手言葉(江戸の上層武士の言葉を基準に、明治時代に共通語として整理された)・江戸言葉(江戸町人の言葉。いわゆる下町言葉)」があります。

 「方言・お国言葉、お国訛り」は、その昔、NHKの看板アナウンサーだった宮田輝さんが、よく「ふるさとの訛りは、お国の手形」と言っていましたが、私(原山)が考える「方言・(お国)訛り」とは、「ふるさとの共通語・標準語」ほどのニュアンスだと思います。せめて、その土地に行ったら、挨拶をするときぐらいは、お国言葉でしたいものですね。たとえば、「おはようございます」のお国言葉は、(おはようがんす=岩手・広島、はやえなっす=山形・福島、おはようごいす=山梨、おはようござんす=長野・鳥取、おはよーさん=滋賀・京都・大阪、はやいのー=和歌山、おはよーござす=福岡、はえのー=宮崎、おはよーござんした=佐賀、こんちゃらごあす=鹿児島、っうきみそーちー=沖縄、などのように。

 ②朝鮮半島からの渡来人は日本古来の話し言葉に漢字を貸してくれた先生? 日本文化は朝鮮半島文化の延長・発展ではなく、日本独自の文化が生まれたと思うが……。(※メモ書きに少し補足・要約)

 漢字学の泰斗・白川静さんは、梅原猛さんとの対談集『呪の思想』(平凡社、2002年→平凡社ライブラリー、2011年)で、漢字文化圏で訓読みをするのは日本人だけであり、ほかの国々では「漢音」のままで使う音読である、ただ、朝鮮半島の新羅の郷歌(歌謡)には仮名を振る、仮名を送るやり方がある。また、百済では宣命式(自立語・語幹を大字で、付属語・活用語尾を小字で記す表記形式)の送り仮名があるが、それでも漢字は音読みで訓読みはない、三字、四字ぶっつづけのイディオム(慣用句)として読んでしまうと述べた後、和語の「訓読」は百済人の発明だと思う、という白川静説を開陳しています。

 日本へ来た人たちが、まだ日本の人では文字はもちろん使えませんから、彼らが皆、「史(ふひと)」としてね、かなり後まで、文章のことは全部彼らがやっておった。日本人は参加していませんからね。だから、彼らが漢語にも通じ、日本語にも通じ、それを折衷してね、日本語に適合する方法として、読むとすれば日本語読み、訓読ですね、これを入れる他にない訳です。だから、ほんとうの訓読を発明したのは、僕は百済人だと思う。
(『呪の思想』「漢字の日本的変容――百済人の発明・訓読」68ページ)

 ③「やまとことば」は、やまと民族が使用する言葉だとすると、私たちの話す・書く日本語すべてが「やまとことば」とするのか。「やまとことば」の定義をもう一度教えてほしい。

 「やまと(大和)」という呼称は、わが国の古名。もと大和(やまと)の天理附近の地名で、のち大和の国名となり、さらにわが国全体の名となったものです。また、「大和言葉(やまとことば)」とは、漢語(中国語)や外来語が入る前から日本語にあった単語で、和語(古くは倭語)ともいう狭義の日本語をさします。「漢字」は漢民族の文字ですが、「やまとことば」はそのまま「やまと族」の言葉というわけではなく、日本語の基礎的なボキャブラリーの圧倒的多数を占める言葉、いわゆる和語(上古代の日本語)をさします。「やまとことば」にみられる単語の音形は短く、「手(て・た)」「雨(あめ・あま)」などのように1~2音節から成り立っているものが多いようです。ちなみに、中国式の音読みは「手(ズ・シュ)」「雨(ウ)」です。

 質問②へのコメントで、白川静さんの「ほんとうの訓読を発明したのは、僕は百済人だと思う」という仮説を紹介しましたが、松岡正剛さんは『神仏たちの秘密――日本の面影の源流を解く』(春秋社、2008年)で、漢字の仮借(音を借りてやまとことばの発音を表す)や訓読(漢字を、その意味にあたる日本語の読み方で読む)という発明は、外来コードを自前モードに編集する日本文化の特質に由来すると述べています。

 じつは、出雲神話だけをとりだすと、その物語の構成は、最初に「国引き神話」、次に「国造り神話」、そして「国譲り神話」という三段階になっています。最初の国引き神話は、『古事記』『日本書紀』には書かれていませんが、『出雲風土記』の冒頭に書かれています。

 それによると、ヤツカミズオミツヌミコト(八束水臣津野命)という神が、他国の土地に綱をかけて「国来国来(くにこ・くにこ)」と引っ張ってきてできたのが島根半島であるという、とんでもなくスケールの大きな話です。が、これは鉄のような外来の技術をもってきた、あるいは稲作の技能をもった渡来人たちが出雲にやってきたということをあらわしているのではないかともかんがえられるんですね。おそらくそうした外来技術をもたらしたのは韓国系、それも新羅ではないかとも想定されます。(中略)

 この国引き・国造り・国譲りという三段階の物語に私が注目するのは、日本が文化や技術を他国から受け入れてどのように発展させていくかということのモデルにもなっていることにあります。まず外から何かをもってきて、それを自前の技術にして組み立てていって、そして最後は「どうぞ」と譲り渡していく。どうも日本は古来そのようなことをくりかえしてきたのではないでしょうか。

 私は、日本の社会文化の特徴を短くあらわすとすれば、「外来のコード(※漢字)を自前のモード(※万葉仮名→ひらがな・カタカナ)にする文化である」というふうに見えるといいと考えています。コード技術は外国からもらう。しかしそれをいろいろ編集して日本に合うモードにしていく。それが外来コードと自前モードの関係です。

(『神仏たちの秘密』第二講「神話の結び目」158~160ページ)

 「私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ」と言ったのは、ルーマニアの思想家、エミール・シオランだが、日本語話者にとっては〈やまとことば〉としての「日本語・日本語方言」が、たとえば英語話者にとっては「英語・英語方言」が、それぞれの「国語」なのである。

 そして、現在は「漢字かな(ひらがな・カタカナ)交じり文」として用いられる日本語は、万葉仮名の字母である〈漢字〉のルーツ(甲骨文字)に込められた古代中国の祈りに護られ、またかつて「いにしへ(往にし方)」の話しことばであった〈やまとことば〉の音魂(響き)を託された〈ひらがな〉のやさしさに包まれた、国語という名の素晴らしい祖国なのだろう。

 ところで、日本の〈ひらがな〉は「五十音図」に見られるように、母音と子音の組み合わせでローマ字表記ができるが、「アロハ・ステイツ(The Aloha State)」とも呼ばれるハワイのことば(ハワイ語)もまた、【Aloha(アロハ)】でいえば、A(ア)lo(ロ)ha(ハ)と母音と子音の組み合わせでできている。

 もともとはウイリアム・ジェイムスの研究家だが、一歳半までハワイ島ヒロで育ったという筒井史緒さん(帝京大学大学院外国語研究科講師)は、ハワイ王国最後の女王で『アロハ・オエ(Aloha `Oe)』を作詞したリリウオカラニ女王は、Alohaというマナ(ハワイ語の言霊)の本質を語っていると、自らの連載コラム「うつくしきかな、ハワイイ(Hawaii)」の中で次のように述べている。

 ネイティブ・ハワイアンが、出会いや別れの際に【Aloha】というとき、それは、自分以外のものの命を感じているのです。命があるということは、すなわち、マナがあるということ。すべてのマナには善良さと知恵が備わっています。そして、善良さと知恵の備わっているものは、すべて神の創造物なのです。つまり【Aloha】と口にする前に、必ず神の力を感じているということ。でもそれは、決して難しいことではありません。なぜなら、命はこの世のいたるところに存在しているから。木々や草花、海、そこに棲む魚たち、鳥や、ピリ(ハワイに自生する植物)の草、空にかかる虹、そして石にいたるまで……。この世のすべてのものに魂があり、それ自体が神であり、そして、それこそが【Aloha】なのです。【Aloha】は「楽しみ」「幸せ」「豊かさ」。【Aloha】は見返りを求めない真の愛です。そして、【Aloha】はその言葉自体にマナを宿しているのです」

 さらに、【Aloha】の〈A〉は「Alaka’i」(アラカイ=指導力)、〈L〉は「Lokahi」(ロカヒ=統一)〈O〉は「Oluolu」(オルオル=礼儀)、または「Oia’i’o」(オイアイオ=誠実)、〈H〉は「Ha’aha’a」(ハアハア=謙遜)、そして最後の〈A〉が(Ahonui=忍耐)というように、一文字ずつにもそれぞれ意味が込められているそうです。それらは、ハワイ人がハワイ人であることにおいてもっとも大切なものというわけです。

(『ほぼ日刊イトイ新聞』「うつくしきかな、ハワイイ」2000年7月19日掲載)

 また、感謝の意(ありがとう)を表すハワイ語【Mahalo(マハロ)】では、【Ma】が「~の中に」を表わしており、それと前述の【ha(息)】、【alo(~の前に)】を加えた三つのことばで、字義どおりには「息=魂の中にいる」を、もっと深くは「あなたが魂の中にありますように」という意味になるのだそうだ。

 〈やまとことば〉の音魂、ハワイ語のマナ(言霊)、やさしさに包まれた「いにしへ」の話しことば文化。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

人気連載

  • マーケット
  • ゴム業界の常識
  • とある市場の天然ゴム先物
  • つたえること・つたわるもの
  • ベルギー
  • 気になったので聞いてみた