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連載「つたえること・つたわるもの」102

AIコピーのリアル(実物)、バーチャル(仮想現実)な臨場感

連載 2020-12-08

出版ジャーナリスト 原山建郎
 バーチャル・リアリティ(VR:仮想現実)とは、コンピュータで作成した映像や音声などを、利用者が現実に近い状態に感じられるように提示する技術や、その考え方のことである。たとえば、航空機のパイロット養成に用いられるフライトシミュレーターは、操縦訓練・試験のために実際の条件を再現できるようにした装置だが、近年ではあたま(頭部)に装着してすっぽりと視界を覆うヘッドセット(ヘッドマウントディスプレイ)を用いたバーチャル・リアリティ・ゲームの臨場感あふれる3D体験がよく知られている。近年のハリウッド映画では、「こっち」の世界と「あっち」の世界を、たとえばアバター(自分の分身)を使って仮想空間にワープするVR手法がよく見られるようになった。

 しかし、広い意味でのバーチャル・リアリティ(人工現実感)を考えてみると、パソコン(個人用コンピュータ)やスマホ(携帯情報端末)など、AI(アーティフィシャル・インテリジェンス=高度に知的な作業や判断を、コンピュータを用いて行う人工的なシステム)機能を搭載した電子機器を介して得られる(伝達される)音声や画像(静止画・動画)もまた、AI機能を用いてつくられた、あるいはコピー(複写)されたリアリティ(実物感)を「リアル(本物)」と感じているだけではないだろうか。AIを辞書で調べてみると、A(アーティフィシャル)は「自然にないものを作り出す技術=人工」、I(インテリジェンス)は「知的能力」とある。「人工」の反対語(対義語)は「天然・自然」だが、いまや「天然・自然」の実体験よりも、VR(仮想現実)のリアル(実物)の方が圧倒的な存在感を示しているように見える。

 25年も前の古い話で申し訳ないが、私が初めてパソコンに出会ったのは1990年代半ばのことである。

 当時、健康雑誌の編集長だった私は、それまでの原稿用紙による紙入稿方式をやめて、まずは富士通のOASYSというワープロ(文書作成専用コンピュータ)によるデジタル入稿方式に変更するように命じられた。編集部員は下書きした原稿用紙の文字を見ながら、交代でワープロに向かうのだが、たどたどしくキーボードを操作して、何とか記事を書き上げても、最後に「保存」のクリックを忘れると「幻の原稿」となり、フロアの配線コードに足がかかって抜けると、これも「幻の原稿」となる。さらに、初期化に20分かかる5インチフロッピーディスク(FD)は劣化のスピードが早く、とにかくプリントアウトしておかないと、たちまち「幻の原稿」と化す。しかも、当時のコピー用紙(感熱紙)はしばらくすると、文字の色がどんどん薄くなり、これも「幻の原稿」の仲間入り。これではじっくり原稿を書くことなどできるわけはない。

 1年後、ようやく1人1台のパソコン(富士通FM-V)が貸与され、3.5インチFDの時代となる。私の手許に『乂丫(ガイア)伝説』(半村良著、主婦の友社、1999年→集英社文庫、2001年)の「生原稿」がある。といっても、紙の原稿用紙ではなく、3.5インチFD2枚に収められたデジタル原稿である。FDのタイトルに「乂丫伝説第一部一章~9章/乂丫清書 第2部」とメモされている。これは最晩年の小説で、当時、半村さんの担当編集者であった私は、紙原稿ではなくFDのデジタル原稿をパソコンに入力し、それを組版ソフトに読み込んで出力した「原稿」を校正部に回すというやり方で、単行本の編集作業を行っていた。USBしか使えない現在のAI環境下では、3.5インチFDの読出しもできない。わが家にある半村さんの肉筆は、『ガイア伝説』初版本見返しの自筆サインと落款、さきのFDメモだけである。

 思えば1980年代まで、雑誌の編集者はわかりにくい言葉があれば小型の国語辞典を引きながら、万年筆で書いた原稿を、締め切りまでに担当デスクに提出。その後、編集長・校正者の赤字の入った最終稿を割付用紙とともに印刷所に入稿し、それを活字で組んだ初校、インクの匂いのする紙面をチェックして校了、というルーチン(定型)作業を毎月毎年、つねに繰り返し行ってきた。万年筆も原稿用紙も初校も校了も、入稿作業のプロセスのいたるところに、それぞれが実物であるというたしかな手づくり感覚があった。

 その後は、どんどん進むデジタル入稿方式に何とか追いつこうと、パソコン画面と必死に格闘する日々が続いたが、基本的には「紙の原稿用紙(リアル)をパソコン画面(バーチャル)に置き換えて、英文タイプよろしくローマ字変換で記事(文章)を書く」作業という認識をもっていた。つまり、両手でキーボードを操作しながら、頭のなかでは紙の原稿用紙に一文字ずつ書き込むイメージがあった。

 しかし、幼いころからパソコンやインターネット検索、SNS環境で育った現代の若者たちは、おそらく紙の原稿用紙にペンで記事を書く(ライティング)経験をあまりすることなく、最初からパソコン画面を見ながらキーボードを打つ(タイピング)世代である。昔は取材ノートにペンで走り書きしたメモも、いまはスマホにメモした取材データを次から次へとパソコンに転送する、あるいはICレコーダーに録音した音声情報はAIを用いて文字情報に変換する。つまり、手(身体知)を使わずに、あたま(AI脳)で書く、そういう時代になりつつあるように思う。

 2003年の新語・流行語大賞にもなった『バカの壁』(養老孟司著、新潮新書、2003年)は大ベストセラーだが、この10月に上梓された対談集『AIの壁』(養老孟司著、新潮新書、2020年)もなかなか面白い。

 たとえば、将棋の羽生善治九段との対談(AIから見えてきた「人間の可能性」)では、羽生さんが「人間は時系列を意識しながらインプットをしていく生き物であるのに対して、コンピュータソフトはその瞬間に一番価値の高い手を選んでいくことの繰り返しなので、人間から見ると、時系列がつながらずに全部が点。非常にまばらに見えるんですよ。一貫性がないんです」と述べている。この「一貫性」とは、パラグラフにおける「文脈」、あるいは心ときめく「ストーリー性」、または意外な「物語の展開」のことだろう。

 羽生さんは思う。AIには「答え」、つまり最適解という究極の選択肢しか提示してくれないのだ、と。

 羽生 例えばAIは「答えらしきもの」を教えてくれる。人間が先生やコーチから教わって上達していくとき、普通はプロセスから学んでいきますよね? でも将棋のAIが提示するのは、「問い」と「答え」だけ。相手がこの手を指すなら、最善手はこれ、勝つ確率は何%という「答え」だけがパソコンの画面に表示される。問いと答えの間に飛躍があっても、強い疑問を持たずにすっと飲み込む。そういう育ち方をして、果たして今の五歳とか一〇歳ぐらいの子たちが健全に育つのか。そこはまだ、わからないところが多いです。

 養老 そう考えると、今の子どもに準備しなきゃならないのは、答えとしての「出力」ではなく、いかにいろんなプロセスを経験させるかという「入力」の方なんですよね。まず五感を鍛えろと。せっかくこれだけたくさんの感覚器を持ち合わせて人間は生まれてくるわけですから、子どものうちはやっぱり、あらゆる感覚を訓練しないことには、生き物として話にならない。

 人間が育つうえで大事な訓練には、二通りある。世界を広げていく方法と、深めていく方法。広い知識をインプットしていくとか、ガツガツ論理で計算していくとか、AIが向いているのは前者。でも、後者の「深めていく」というのは、極めて人間的な営みですよ。

(『AIの壁』 AIから見えてきた「人間の可能性」46~47ページ)

 数学者・新井紀子さんとの対談(「人間はバーチャルで生きていけるか」)もなかなか示唆に富んでいる。

 養老 人間ってちょっと変わった生き物で、バーチャルで生きていけるんですよ。いわゆる現実から離陸しちゃっても。だから、多分、平気だと思いますよ。もともとそうでしたから。だって、かなり前からそうですよ。制度とか肩書とかみんなバーチャルです。頭の中にしかありませんから。

 新井 でも、やっぱり無理しているところはありませんか。スマートフォンだけを見ているって、生き物としておかしくないですか。こんな小さな画面だけで世界を見ている。タップしたりスワイプして画面が変わったら頭が切り替わってしまいます。リンクをクリックして別のところへ行ったら、前に何を見ていたかなんてだいたいわからなくなってしまいます。(中略)直接ひざを突き合わせるとか、他者の全体像を知るとか、そういうことを抜きに、スマートフォンのタップとスワイプだけで理解しようとすると、非常に浅く、そして先鋭化して、対立が起こりやすくなって、それこそ、いい感じの落としどころが探れなくなっていくんじゃないかなと思うんです。

(『AIの壁』 わからないことを面白がれるのが人間の脳 197~198ページ)

AIがコピー(複写)したリアル(実物)の影法師、バーチャル(仮想現実)な臨場感の危うさ!

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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