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連載コラム「つたえること・つたわるもの」④

「そんなつもりじゃ……」「じゃあ、どんなつもり?」

連載 2016-11-08

出版ジャーナリスト 原山建郎

 子どもが台所で、母親を手伝おうと自分で茶碗を洗っていたら、手が滑って茶碗が割れてしまった。

「何で、よけいなことするのよ! お前に茶碗を洗ってなんて頼んでないでしょ。まったく、もう……」
「私、そんなつもりじゃ……」「じゃあ、どんなつもりだったのよ。後片付けが大変なんだから、もう!」

 これは、よくある母と子のやりとりだが、茶碗を誤って割った子どもは、〈機嫌のいいときなら、「あら、割れちゃったのね。いいわよ、新しいのを買おうと思ってたとこなの」と笑ってすませるのに、今朝のお母さんはどうしちゃったんだろう〉と、母親のものすごい剣幕に戸惑い、その小さな胸はひそかに傷つく。

 「小さな親切、大きなお世話」「余計なおせっかい」「ありがた迷惑」など、自分は(相手に)よかれと思ってした(言った)ことが、相手にとってはむしろ迷惑な事態を招いたり、お互いの気持ちがすれ違って、その結果「善意の押し売り」になる言葉の行き違いは、ビジネス社会では間々起こりがちな事例である。

 今回は病院における「そんなつもりじゃ」事例について、高知県立大学看護学部特任准教授の久保田聰美さんが、2006~2007年の『週刊医学界新聞』(医学領域専門書出版社の医学書院発行の情報紙)に連載した「ストレスマネジメント その理論と実践」の中から、やりとりのポイントを要約して紹介しよう。

「それは私たちの仕事ですから」

 これは、慌ただしい朝の時間帯に、この日午前中に退院予定の患者の病室を訪れたナースが、思わず口にしたひと言である。その患者は退院準備を終えたあと、自分が使っていたベッドのシーツを外そうとしていたところだったのだが、思わず発したナースのひと言が、患者の怒りを引き起こしてしまった。

 患者の言い分は、こうだ。入院中お世話になった看護師さんが少しでも楽になると思って、よかれと思ってしたことなのに、それを「私たちの仕事です」などと言われるとは夢にも思わなかった、と。

 調整にあたった看護師長がナースに話を聞くと、「私はそんなつもりで言ったのではないのに」と、自分の何気ないひと言が患者の怒りを招いてしまったことに、逆にショックを受けている様子だったという。

 「そんなつもりではない」は、お互いの言葉がかみ合わないときによく用いる釈明、または弁明だが、当のナースとしては患者の行動を否定したり、責めたりするつもりはなかったにせよ、一度口から発せられた言葉は、その前後の行動や相手との関係、その場の状況によっては、さまざまな意味を持つようになる。

 たとえばそのとき、もし患者の行動がナースからの感謝の言葉を期待したものだったとしたら、そのナースのひと言の向こうに、あるいは少し困ったような表情の変化に、「そんなことしなくていいのに」とか「この忙しい時間帯に仕事を増やさないで……」などの思いを感じとったのかもしれない。

 久保田さんは、このケースの問題点とその解決案について、次のようにアドバイスしている。

 まずは、「ありがとうございます。でもそれは私たちの仕事ですから……」と受容し、そのあとに病棟で行うナースの仕事を手短に説明し、「このあとは私たちがやりますので……」と謝意を込めた言葉を返すことができれば、これほどまでの怒りを買うことはなかったのではないか、と。しかし、ここで注意したいことは、接遇研修で習ったマニュアル通りに「ありがとうございます」と、ステレオタイプに連呼することではない。ここで大切なのは相手の言葉や行動の背景にある思いを「察する」感受性と、相手の思いを真正面で「受け止める」傾聴の心構えを通じて、その思いに気づくことである。このケースでは、患者の思いに気づいていなかったからこそ、つい出てしまったひと言だったのではないかと、その問題点を分析している。

 また、母親を助けようという一心で、洗濯物をとりいれようとして逆に汚してしまったわが子の事例を引いて、「ありがとう、お手伝いしてくれようとしたのね。でももう少し大きくなってからお願いするね」と返されるとどうでしょう、とも提言している。日常のビジネスシーンでも参考になるアドバイスである。

あなたの気持ちはわかります、と言えば、わかるものか、とあなたは怒鳴る、
わからないと言えば、どうしてわからないのか、と怒鳴る。
どちらも甘えです。静かに話し合うという忍耐心が私たちには必要なのです。
『ナナカマドの街から』(三浦綾子著、角川書店、1989年)

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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