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創業120周年迎えた右川ゴム製造所

長寿企業の秘訣を右川誠治社長に聞く、社会に役立つ商品を自社主導でつくる

工業用品 2017-07-18

 
 1897(明治30)年創業の右川ゴム製造所(本社・埼玉県八潮市大曽根、右川誠治社長)が今年6月、創業120周年を迎えた。右川社長に会社を長く経営する秘訣、転機となった出来事、今後の経営課題などを聞いた。

 ■120年を迎えた感想
 振り返るとやはり120年は長い歴史であり、戦争や震災など幾多の苦難を乗り越えてよく生き残ってきたと思う。現在も売り上げを伸ばすなど業容を拡大し、これから先の10年を見据えてさらなる成長を目指したい。私は4代目として2009年に社長を引き継いで以来、これまで過去を振り返ることはあまりなかった。しかし、120年という節目を迎えた今、先人たちの苦労の礎に会社が成り立っていることなど、創業者に思いを馳せる機会が増えている。

 ■長い歴史の中で転機となった出来事
 創業者がゴムという素材に着目したのが1つ、大きな出来事だったといえる。戦前から戦後にかけてゴムマリを中心に製造してきたが、当時は子供の玩具としてゴムマリは重要な位置づけにあった。1973年に本社・工場を東京都墨田区から埼玉県八潮市に移転し、これを機に押出機を入れて工業用ゴム製品に転換したことが大きな節目となった。時はまさに高度経済成長期で、ゴムマリをつくり続けていたら今はなかったのではないかと思う。私が当社に入社したのが1997年で、その頃はすでに自動車が産業の牽引役となっており、当社も工業用ゴム製品の中で自動車用ゴム部品を手がけるようになっていた。

 ■OA機器ローラーの開発に着手
 ただ私が入社した当時、当社には開発を行う部署や業務がなかった。一般的な中小企業は、発注を受けて製造するという下請の立場が多く、当社もそうだった。しかし高度成長が終わり、自己主張、つまり独自の開発を行わないと生き残れないと考え、2000年頃から助成金などを得てOA機器ローラーの開発に着手した。当時はOA機器のセットメーカーの中国進出が相次ぎ、それによってロールの研磨メーカーが一気に倒産・廃業した。たまたま当社のOA機器用ローラーゴムが日系メーカーに採用され、その後自動車用ゴム部品に次ぐ大きな柱に成長していった。

 ■会社を長く存続させる秘訣
 一貫してやってきたことは開発を止めない、モノづくりを止めないということ。新しいものをつくり続けないと生き残れないと考えたからだ。また5年前から少量多品種・短納期を打ち出し、様々なお客様のニーズに幅広く、細かく対応することを心がけている。

 ■前期業績と今期見通し
 2017年2月期は、売上高が5億8,300万円で前期比4%増となった。自動車部品、OA機器ローラーが引き続き堅調な受注があったことに加え、建機向けの需要が回復してきたことが増収につながった。さらに住宅設備関連向けに開発した高復元性ゴムスポンジの受注も堅調に推移した。会社は私が入社して以来、売上規模は今が一番大きくなっており、財務体質の改善が進んでいる。自己資本比率も毎年アップし、現状は40数%まできたので、実質無借金経営を意識しながら当面は50%を目標にしたい。今期(18年2月期)は、売上高6億円を計画している。

 ■日系自動車メーカーに納入
 2015年10月、米国オハイオ州クリーブランドで開催された自動車関連の展示会に初出展した。手探りの出展となったが、これによって米国内で販売展開する日系自動車メーカーに部品の採用が決まった。これを契機に米国市場を開拓していきたいと考えている。

 ■経営課題
 今年はこの先の10年をどう組み立てるかを考える年にしたい。その中では、次世代のリーダー教育もテーマの1つだ。さらにモノづくりの手を止めないために、社会に役立つ商品を自社の主導で積極的に手がけていく。またグローバル化への対応も課題だ。これからの時代は海外との連携が絶対に必要だ。米国市場の開拓と並行して、東南アジアでモノづくり拠点を整備するための連携が始まりつつある。こうした新しい取り組みに挑戦し続けることが次の歴史を重ねていくことにつながるものと考えている。

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