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連載「つたえること・つたわるもの」141

七七・五五・七五・五七調――躍動する「ひらがな」のリズム。

連載 2022-07-26

出版ジャーナリスト 原山建郎

 先週19日に終了した『「ひらがなの魅力をさぐる」やまとことば講座(あだち区民大学塾)』は、少人数の「対面式」講座だったので、本来なら受講者とともに「声を出して読む日本語(ひらがな)」を楽しむ予定が、第6波コロナ禍の急拡大の影響で「講師(原山)の朗読」スタイルへと変更することになった。

仕方がないので、ピンマイクに向かってマスク越しの美声(鼻声?)を張り上げた。司会者から「ありがとうございました。なんだか(おとな向けの)読み聞かせみたいになりましたね」と言われてしまったが、それでも、数日後に届いたアンケートの中に、第2回目の講座で私が宮沢賢治の「風の又三郎」を朗読したことにふれて、その年配の受講者は半世紀も前、戦後間もなく学校への巡回映画の声を聞いたように思えて、昔の記憶がよみがえり、改めて日本のことばをあらわす文字(漢字・平仮名・片仮名)が素敵で、優れていることを再認識し、心うれしく思ったというコメントを見つけて、思わずほっと胸をなでおろした。

やはり、先週21日が第4回目だった『〈やまとことば〉のオノマトペ、「からだことば」を楽しむ』講座(文教大学オープンユニバーシティ)では、「マスクなしOK」であるオンライン講座ならではの強みを活かして、たとえば、絵本『ことばあそびうた』(谷川俊太郎・詩、瀬川康男・絵、福音館書店、1973年)の「ひらがな」で書かれた詩、『やんま』を受講者と一緒に朗読しながら、もう65年以上前、小学生のころ、捕虫網を片手に、オニヤンマやギンヤンマを求めて走り回った夏休みの記憶が、あっという間によみがえる。

『やんま』
やんまにがした
ぐんまのとんまさんまをやいてあんまとたべた
まんまとにげたぐんまのやんまたんまもいわずあさまのかなた

 この詩は七音の繰り返し(やんまがにげた……)が特徴の「七七調」だが、オンライン朗読に参加した受講者のひとりは、「私たち(おとな)は、ひらがなの詩を目で追いながら、ところどころ漢字を当てながら読める。だから詩の意味もわかるんですね。(漢字をよく知らない)子どもたちは、ある意味でひらがなの音の響き、七音の繰り返しリズムだけを、純粋に楽しんでいるのかもしれませんね」とコメントしてくれた。

「七七調」には、ことわざの「色の白いは・七難隠す」「瓜の蔓(つる)に・茄子(なすび)は成らぬ」、交通標語の「飲んだら乗るな・乗るなら飲むな」「いのち落とすな・スピード落とせ」などがあって面白い。
やはり、絵本『ことばあそびうた』にある「ひらがな」詩、『き』も、じつに楽しい「七七調」である。

『き』
なんのきこのき
このきはひのきりんきにせんききでやむあにき
なんのきそのきそのきはみずきたんきはそんきあしたはてんき
なんのきあのきあのきはたぬきばけそこなってあおいきといき

「五五調」のことわざには、「いちをきいて・じゅうをしる(一を聞いて十を知る)」「きずぐちに・しほをぬる(傷口に塩を塗る)「あさがほの・はないっとき(朝顔の花一時)」「あめふって・ぢかたまる(雨降って地固まる)」があるが、この五音+五音フレーズは、あまりリズミカルとは言えない組み合わせだ。

さて、明後日(7月28日)は、いよいよ第5回目(最終回)のオンライン講座。メイン資料の【宮澤賢治のオノマトペ、まど・みちおの「からだことば」ほか】に加えて、番外編の【「白波五人男」&「切られ与三」の名〈ぜりふ〉】を全員で朗読する。締めにはもちろん、みんなで一斉に「見得」を切る予定である。

知らざあ言って聞かせやしょう浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の種は尽きねえ七里ヶ浜/(中略)名せえ由縁の弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ←(※ここで見得を切る)

これらのせりふには、いくつか字余りもあるが、七音と五音を繰り返すリズム、「七五調」である。
日本語は音数(拍)で数えられ、原則として音をかな書きして、「一字一音」のリズムをもっている。「あ」「か」(直音)・「が」「ぎ」(濁音)・「ぱ」「ぴ」(半濁音)・「っ」「ょ」(つまる音・小文字=促音)・「ー」(伸ばす音=長音)は、それぞれ一字で一音(拍)と数えるが、「きゅ」「しゅ」(一音節が仮名二字で表されるもの=拗音)は二字で一音(拍)と数える。

この弁天小僧の名ぜりふ、前半は「しらざあいって(七)・きかせやしょう(六)/はまのまさごと(七)・ごえもんが(五)/うたにのこせし(七)・ぬすびとの(五)/………」のように「七五(≒七六)音」だが、そのあとは「七五音」の繰り返しがつづく。後半のせりふは「なせえゆかりの(七)・べんてんこぞう(五)/きくのすけたぁ(七)・おれがことだぁ(七)」と、「七七音」で絞める典型的な「七五調」である。ありがたいことにユーチューブを開けば、いつでも有名な歌舞伎役者の「名ぜりふ」を視聴することができる。

また、日本語の語彙には「二音連結」(二音ずつがひとかたまりの単語になる性質)の伝統がある。もともと、日本語(やまとことば)には、「しらじら」「ほのぼの」「ゆらゆら」のように、二音を重ねてオノマトペ(擬音語・擬態語)とする単語が多い。さらに、二音を二つ繰り返すと四音になる。

たとえば、二音の「しら」を二つ繰り返せば「しらじら」となるが、それに格助詞の「と」を足すと「しらじらと」(二+二+一=五音)になる。同じように、二音を三つ繰り返すと(二+二+二)六音になり、それに助詞をひとつ足すと(六+一)七音になる。これが「ひがしのそらの」(七音)であれば、息づかいにそって「ひが・しの・そら・の」に分解でき、二音が三つと一音(二+二+二+一=七音)との組み合わせである。両者を足し合わせると「しらじらと・ひがしのそらの」となり、これに五音の「あけそめし」を加えると「しらじらと・ひがしのそらの・あけそめし」(五・七・五)となる。(※これは、あくまでも文例として作成したフレーズ!)

平安時代に成立したといわれる『いろはうた』も、「七五調」の和歌(四十七文字)である。

いろはにほへと(七)・ちりぬるを(五)/ わかよたれそ(六)・つねならむ(五)/うゐのおくやま(七) ・けふこえて(五)/ あさきゆめみし(七)・ゑひもせす(五)(色は匂へど・散りぬるを/我が世たれぞ・常ならむ/有為の奥山・今日越えて・浅き夢見じ・酔ひもせず)

明治36年の『萬朝報』(日刊新聞)で募集された「新しいいろはうた」は、従来の「いろはうた」に「ん」を加えた四十八文字が条件で、尋常小学校校長であった坂本百次郎の作品『鳥啼歌(とりなくうた)』が選ばれた。私も小学校時代に、国語の授業で音読した記憶がある。これもやはり「七五調」だ。

とりなくこゑす(七)・ゆめさませ(五)/ みよあけわたる(七)・ひんかしを(五) /そらいろはえて(七)・おきつへに(五)/ ほふねむれゐぬ(七)・もやのうち(五)(鳥啼く声す・夢覚ませ/見よ明け渡る・東を /空色栄えて・沖つ辺に/帆船群れゐぬ・靄の中)

もうひとつ、五音と七音をリズミカルに繰り返す「五七調」は、五音から七音に向かっていくダイナミックなリズム感が心地よい。出だしの「五音」に強いインパクトがある「五七調」は、「奈良時代に編まれた『萬葉集(ふることふみ)』の中に、その多くが「長歌」+「短歌」というパターンで登場する。
たとえば、『万葉集』(巻三、三一七)に、山部赤人が詠んだ「五七調」の長歌がある。

天地(あめつち)(わ)かれし時(とき)(かむ)さびて(たか)く貴(たふと)駿河(するが)なる冨士(ふじ)の高嶺(たかね)(あま)の原(はら)・(ふ)りさけ見(み)れば(わた)る日(ひ)(かげ)も隠(かく)らひ(て)る月(つき)(ひかり)も見(み)えず白雲(しらくも)い行(い)きはばかり(とき)じくぞ(ゆき)は降(ふ)りける(かた)り継(つ)(い)ひ継(つ)ぎ行(ゆ)かむ富士(ふじ)の高嶺(たかね)(※原文は万葉仮名:天地之・分時従/神左備手・高貴寸/駿河有・布士能高嶺乎/天原・振放見者/度日之・陰毛隠比/照月乃・光毛不見/白雲母・伊去波伐加利/時自久曽・雪者落家留/語告・言継将徃/不盡能高嶺者)

この長歌(五・七×n+七)を、五音・七音でみてみると、「五・七/五・七/五・七/五・七/五・七/五・七/五・七/五・七/五・七/七」となり、「五・七」×九(n)+「七」となる。また、「五・七」から次の「五・七」に移る部分が意味の段落(/で表示)になっていることから、典型的な「五七調」だと考えられる。
それにつづく反歌(長歌のあとに添える短歌)」は、長歌の最後の部分(五・七/五・七/七)の音数を用いて「和歌」(三十一文字)としたものではないだろうか。

田子(たご)の浦(うら)(六≒五)/うち出でて見れば(七)/真白にぞ(五)/富士の高嶺に(七)/雪は降りける(七)(※原文は万葉仮名:田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留)

よく知られた「五七調」といえば、七草粥を連想させる『春の七草』(作者不詳)、草むらに集く虫の音を思わせる『秋の七草(七種)』(山上憶良『万葉集』巻八 一五三八)がある。パワフルな「五・七」「五・七・七」ならではの語呂(言い回し)が、口のなかでさわやかなリズムを奏でる。

『春の七草』
せり なづな
(五)ごぎょう はこべら(七)/ほとけのざ(五)すずな すずしろ(七)/これぞ七草(ななくさ)(七)(※室町時代の『源氏物語』注釈書『河海抄』には「薺(なづな)、繁縷(はこべ)、芹(せり)、菁(すずな)、御形(ごぎょう)、須々代(すずしろ)、佛座(ほとけのざ)」の順に書かれているという)

『秋の七草(七種)』
はぎのはな
(五) おばな くずばな(七) なでしこのはな(七) おみなえし(五) また ふじばかま(七) あさがほのはな(七)(萩の花 尾花葛花 瞿麦の花 また藤袴 朝貌の花:原文は万葉仮名=芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花)

平安時代に成立した「和歌」(※明治時代以降は「短歌」という)は、「五・七・五・七・七」(三十一文字)の定型詩だが、それから千年ほど時代は下って、江戸時代に和歌から派生して成立した世界一短い定型詩、「五・七・五」(十七文字)の「俳句」もまた、「和歌」と同じように五拍(五つの音数)と七拍(七つの音数)の組み合わせのリズムでできている。そして、「俳句」には必ず「季語」を含むという約束事がある。

〈春〉菜の花や 月は東に 日は西に 与謝野蕪村/〈夏〉 目には青葉 山ホトトギス 初鰹 山口素堂/
〈秋〉名月をとってくれろと泣く子かな 小林一茶/〈冬〉梅一輪 一輪ほどの あたたかさ 服部嵐雪

有季(季語を入れる)や「五・七・五」(音節ルール)にこだわらない、種田山頭火の自由律俳句が面白い。

分け入っても 分け入っても 青い山(五・五・五)/ほろほろ ほろびゆく わたくしの秋(四・五・七)/うしろすがたの しぐれてゆくか(七・七)/てふてふ ひらひら いらかをこえた(四・四・七)

そして、「生死一如(生きること・死ぬことは、本来ひとつのもの)」と「身土不二(私のからだと大地は切り離せない、ひとつのいのち)」を詠じた山頭火(1940年10月11日没)の辞世の句は、雲の湧きたつ秋空に向かって、〈いのち〉の境(幽冥)をゆったりと、そして静かに超えていく。

もりもり 盛りあがる 雲へあゆむ(四・五・六)

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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