連載「つたえること・つたわるもの」171
高齢者の自由と誇りとやすらぎを奪う「身体拘束」をやめる――決意と実践。
連載 2023-10-25
出版ジャーナリスト 原山建郎
去る7月21日、東京・吉祥寺中町に昨年1月オープンした絵本と児童書専門店『緑のゆび』が主催する小さな集まりで、『遠藤周作の遺言――「病院はチャペルである」』について一時間ほど話をした。
会の終了後、参加者のおひとり、吉岡充さん(医師、多摩平の森の病院理事長)から、『こんな介護がしたい――認知症の人との幸せ時間のつくり方』(吉岡充監修、多摩平の森の病院編著、法研、2021年)をいただいた。表紙の帯カバーには、『がんばらないけどあきらめない』(集英社文庫、2013年)などの著書もある医師、鎌田實さんのことば「すべては身体拘束をしない認知症ケアから始まった。現場で悪戦苦闘しながら、あたたかで理にかなった新しい認知症ケアがここに生まれた。」が載っていた。「あたたかで理にかなった」「身体拘束をしない」「新しい認知症ケア」というキーワードは、まさに超高齢社会のただなかにいる日本の医療・介護ケアのあるべき姿を問うている。このトピックはいつかコラムで書きたいテーマだと考えていた。
すると、8月5日(土)の日本經濟新聞朝刊に「認知症の身体拘束に地域差」という記事を見つけた。リードに「認知症で精神病棟に入院した患者のうちベッドなどに拘束する指示が出ている割合が都道府県間で最大18倍の格差がある。最多の山形県は16.7%で最小の岡山県は0.9%だった。認知症の患者は増えており、身体拘束の最小化に取り組む病院もある中、対応の違いが浮き彫りになった」と書かれている。
厚生労働省が調査した「精神保健福祉資料」によると、2022年6月30日時点で、精神病院や一般病院の精神病棟に認知症で入院している患者は7万2929人、調査を始めた1998年と比べて1.5倍に増えた。身体拘束指示数は2020年までは統合失調症(※かつては精神分裂症)が最も多かったが、2021年以降は認知症が最多になっているという。まさに超高齢社会の未来は、身体拘束のない認知症ケアにかかっている。
『こんな介護がしたい』「はじめに――なぜ、この本が作られたのか」には、この本が上川病院(現・多摩平の森の病院)で認知症ケアに携わってきた医療・介護スタッフによって編集されたこと、とにかく身体拘束をやめると決めて、身体拘束の道具である拘束帯やその可能性のある包帯までも捨ててしまったこと、身体拘束の廃止により認知症ケアにおける目に見える成果を出すことをめざしたこと、これらの認知症ケア実践をばねに全国に向けて身体拘束廃止のキャンペーンを展開すること、などが書かれている。
そして、1997年からこのキャンペーンに関心を持った福岡の老人病院のグループと勉強会を持つようになり、吉岡さんたちが身体拘束をやめる認知症ケア実践のノウハウを伝授した結果、たとえば、3カ月間に行われていた拘束件数を85%減少させることができた。さらに、1998年10月に福岡市で開催された「第6回介護療養型医療施設全国研究会」で発表された「抑制廃止福岡宣言」が、2000年4月に始まった介護保険法(介護保険施設指定基準)に「身体拘束の禁止規定が盛り込まれる」背景になったといわれている。
〈「抑制廃止福岡宣言」――老人に、自由と誇りとやすらぎを〉には、5つの実践項目が掲げられている。
①縛る、抑制をやめることを決意し、実行する
②抑制とは何かを考える
③継続するために、院内を公開する
④抑制を限りなくゼロに近づける
⑤抑制廃止運動を、全国に広げていく 1998.10.30
上川病院
(『こんな介護がしたい』「はじめに」13ページ)
厚生労働省が示した「身体拘束に対する考え方」には、身体拘束が認められる「緊急やむを得ない場合」に該当する、次の3要件(すべて満たすことが必要)が挙げられている。
○切迫性:利用者本人または他の利用者の生命または身体が危険にさらされる可能性が著しく高い場合/○非代替性:身体拘束以外に代替する介護方法がないこと/○一時性:身体拘束は一時的なものであること
また、身体拘束にかかわる留意事項として、●「緊急やむを得ない場合」の判断は、担当職員個人またはチームで行うのではなく、施設全体で行うことが必要である。/●身体拘束の内容、目的、時間、期間などを高齢者本人や家族に対して十分に説明し、理解を求めることが必要である。/●介護保険サービス提供者には、身体拘束に関する記録の作成が義務付けられている。この3つが付記されている。
それでは、「身体拘束」はなぜ悪いのか。
その理由のひとつは、人の自由や尊厳を奪い、大きな苦痛を与えること。
もうひとつの理由は、身体拘束はケアする人にとって麻薬のように常習化しやすいことだと吉岡さんは指摘する。たとえば、その安全を守るためという理由で行われる身体拘束が、入院中の患者や介護施設の利用者に何が起こるのか、そしてまた、ケアする側の医療・介護スタッフに何をもたらすのか……。
暴力や夜間の徘徊などの問題があれば身体拘束を行い、表面的には事故が起こらないですむので、消極的であっても、問題解決の方法として身体拘束に頼ってしまいます。そして、2度、3度と重ねるうちに、やがて身体拘束という手段に慣れていきます。しかし拘束を受ける人の心身も、拘束を行うスタッフも、実は傷ついています。身体拘束の持つそのような副作用と習慣性が見逃せません。(中略)ケアする側にとって、厄介な行動をとる認知症の人は、強制的に押さえつけるしか方法がない、と考えて縛る。そうすると、身体抑制を受けた認知症の人は、今度はその質の悪いケアのために、不穏(※急に攻撃的になったり、興奮状態が抑えられなくなったりする状態)が増し、あるいは体調を崩し、身体拘束がますます必要になってしまいます。(中略)ある病院で実際に起こった話です。大学病院から高齢の患者さんが転院してきました。大学病院からの申し送りには「この患者はときどきベッド柵をはずそうとする。その理由のほとんどは尿意である」、そうはっきりと記されていました。実際に患者さんがベッド柵をはずそうとしているのを見かけると、トイレ誘導を試みるでもなく、あっという間に「転落の危険」を理由に両上肢と体幹を抑制し、ベッド柵で囲み、そのベッド柵をさらに紐で固定するという厳重な身体拘束をしてしまいました。
患者さんが拘束に抵抗すると、「拘束をすり抜けようとする」「殴る、蹴るの暴力をふるった」と記録されます。転院して約1週間で亡くなりましたが、その間、拘束は外されませんでした。患者さんはずっと狭いベッド上でしっかりと拘束されたまま横たわっていました。亡くなったときも、まだ遺体の下に拘束具が置いてあったそうです。
実は救われないのは、患者さんだけではありません。ケアするスタッフも、自分では気づかないだけで、本当はこの罠に落ちています。身体拘束に頼れば当然スタッフのケアの技量は上がりません。わけても目に見えて落ちるのがリスクをはじめとするアセスメント(※利用者が直面している課題を把握・分析し、どのようなサービスが必要なのか、何を望まれているのかを明確にすること)する必要性を感じません。(中略)
身体拘束をそのままにして、本当に利用者によりそった介護プランが立てられるでしょうか。どうしてもケアはおざなりのものになってしまいます。このようにして、何かあれば身体拘束に依存し、そこから抜け出そうとしないでいると、経験だけは長いけれども、きちんとしたアセスメントも、認知症ケアもできない、使い物にならないケアスタッフができ上ってしまう、ということになります。 吉岡充
(『こんな介護がしたい』「はじめに」16~19ページ)
吉岡さんが実践する5つの基本的ケアには、「起きる(寝かせ切り予防、覚醒刺激――人間らしさ)」「食べる(脱水予防、経口摂取――生きること)」「排泄(トイレ誘導と随時交換――尊厳を保つ)」「清潔(皮膚の清潔、状態の観察――快適さ)」「アクティビティ(良い刺激――その人らしさ)」がある。『こんな介護がしたい』の「5つの基本的ケア」から要約したケア内容、または具体例の引用を交えながら紹介しよう。
「起きる」ケアには、「その人に合った椅子を考える」がある。起きている間じゅう、ずっと車椅子で生活している人がいるが、それを基本的に車椅子から椅子に乗り換えてもらう。車椅子の目的は「移動」する機能であり、車椅子のフットレストは、「移動」の際に足を引きずってしまう危険を防ぐためについている。車椅子に座った姿勢から立ち上がって、車椅子ごと倒れてしまう大事故にもつながりかねない。そこで、移動に車椅子を利用する場合でも、できるだけ車椅子から椅子に座るようにして、足を床につけるようにする。椅子に座って足が床につかないときは、安定性のある「足台」を用意するという。なるほど、足が床につかない、いわば宙ぶらりん状態の車椅子では、「地(床)に足がついた」認知症ケアの実践は難しい。
「食べる」ケアでは、さまざまな「食べる」場面へのケア対応が工夫されている。
「食べる」いろいろな場面
①食事に集中できない
●マンツーマンで関りを持つ/●その人の好きだった物や行為を食事と関連づける
②食器をたたいてしまう
●ランチョンマットを敷く/●シリコン製の器を使用する/●なじみの食器を活用する
③早食い・丸飲み
●スタッフがゆっくり食べるよう、傍らでその都度声をかける/●小さな器へ食事を小分けし提供する
④食べられない理由が見つからないときに試してみる
●冷凍食品(チャーハン、焼きおにぎり)、カップラーメンなどの麺類、卵豆腐、ふりかけ、アイス、せんべい……など、本人の好きだったものを代用してみる/●今までの生活習慣や本人の好むもの(味や喉ごし)、本人の食べたいものを家族と話し合い、医師と相談のうえ、召しあがってもらう
(『こんな介護がしたい』第1章「5つの基本的ケア」35~36ページ)
「清潔」ケアには、皮膚の清潔を保つこと、つまり、皮膚や粘膜に備わっている保護・排泄・体温調節・感覚などの生理機能を維持し、高齢者には生命のリスクを伴う感染症を予防することの重要性が書かれているが、もうひとつ、認知症の高齢者にとっての「身だしなみ」も大切な「清潔」ケアであるという。
まず、起床時、部屋から出る前に、ある程度身だしなみが整うよう声かけをしたり、お手伝いをします。自ら身だしなみを整えるという行為は、認知機能が低下していても、声をかけることで部分的にでもできることが多いので、自分でできる範囲で行ってもらいます。他の人と接する前に身だしなみが整っていれば、お互い気持ちの良い印象を持つことができます。「おはよう」という挨拶も自然と出ることになり、清々しい気持ちで一日のスタートが切れます。髭剃りは男性にとって、お化粧(口紅やまゆずみ)は女性にとって、手続き記憶(※からだの感覚で覚える身体記憶)になっていることが多いので、尊重します。
(『こんな介護がしたい』第1章「5つの基本的ケア」43ページ)
「アクティビティ(良い刺激)」ケアの目的は、認知機能の改善というよりも、日々の生活に潤いや刺激を与えることを通して、心地よい刺激(快の刺激)に対する反応を呼び起こすことにある。その試みのひとつに、「グループホーム的ケア(家庭的活動、仕事的活動)」がある。
グループホーム的ケアは、かつて自分の家で行っていた日常的な動作や行為をごく自然にやってもらうために、家庭のリビングルームを設定して8~10名くらいのメンバーが一緒に、ある一定の時間を過ごすプログラムです。認知機能が低下しても、茶碗洗い、机拭き、床を掃く、ご飯をよそおう、お茶をいれるといった昔から行っていた行為や動作は手続き記憶(※身体記憶)となっており、うまくできることが多いのです。
最初はできなくても、少し慣れてくるとできたり、あるいは少し手伝うことでできたりすることもあります。そのようにしていくうちに集団の中で自分の役割が出てきて、その役割を果たそうと努めるようになります。(中略)そして役割が果たせたときには、皆から称賛されて自信がつき、その結果、「自分は生きていてもよいのだ」との実感がわいてくるのです。
(『こんな介護がしたい』第1章「5つの基本的ケア」51~52ページ)
いまから37年前(1986年)、吉岡さんの母校(東京大学医学部卒)である東大病院の「入院案内」が、作家・遠藤周作さんのアドバイスによって〈心あたたかな〉「入院のご案内」に改訂された、その同じ年に、吉岡さんが、〈高齢者の自由と誇りとやすらぎを奪う「身体拘束」をやめる〉と決意し、高齢者としての生き方を尊重する、新しい「認知症ケア」をめざした道のりは、さきに鎌田實さんが提示したキーワード、まさに「あたたかで理にかなった」「身体拘束をしない」「新しい認知症ケア」の実践であるとともに、1982年に遠藤さんが提唱した「心あたたかな医療」キャンペーンの一翼を担う、力強い奔流のひとつとなっている。
【プロフィール】
原山 建郎(はらやま たつろう)
出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員
1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。
2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。
おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。
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