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連載「つたえること・つたわるもの」169

おとなのなかの〈こどもの宇宙〉、「あいうえお」でつむぐ〈ひらがな〉詩。

連載 2023-09-26

出版ジャーナリスト 原山建郎

 来週(10月2日)、『日本語の〈たまご〉――「いろはうた」と「あいうえおうた」 いま、〈ひらがな〉詩がおもしろい!』と題する「子育て講座」(東京都・下里しおん保育園)を行う。この講座には、★日本語の〈たまご〉としての「あいうえお」を介して、おとなのなかの〈子どもの宇宙〉に出会う/☆「あいうえおうた」の音読演習によって〈ヒーリング・リーディング(ライティング)〉をめざす、この二つの目標がある。

 一つ目の目標である★「おとなの中の〈子どもの宇宙〉」といえば、本コラム№115(子どもの文学は「めでたしめでたし」で終わる物語。)でとり上げた『子どもの宇宙』(河合隼夫著、岩波新書、1987年)から、かつて「子ども」であった私たち、いまの「おとな」が忘れつつある〈子どもの宇宙〉の一文を再掲する。

子どものなかの宇宙
 この宇宙のなかに子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。それは無限の広がりと深さをもって存在している。大人たちは、子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。大人たちは小さい子どもを早く大きくしようと焦るあまり、子どもたちのなかにある広大な宇宙を歪曲してしまったり、回復困難なほどに破壊したりする。このような恐ろしいことは、しばしば大人たちの自称する「教育」や「指導」や「善意」という名のもとになされるので、余計にたまらない感じを与える。

 私はふと、おとなになるということは、子どもたちのもつこのような素晴らしい宇宙の存在を、少しずつ忘れ去ってゆく過程なのかなとさえ思う。それでは、あまりにもつまらないのではなかろうか。

(『子どもの宇宙』「はじめに」1ページ)

 私たちが母親の子宮で過ごしていた胎児の時代、母親が話すことばは、ひらがな(うれしいね、おやすみ、など「あいうえお」の響き・母親の発音体感)として伝わってきた。もし、それが漢字やアルファベットであったとしても、受胎5か月後に完成するという胎児の聴覚には、やわらかくまあるい〈ひらがな(カタカナ)〉として響く。これらの胎内記憶は、やがてこの世に赤ん坊として生まれ出て、長じてわが子の父母となった私たち「おとな」の潜在意識の中に、あの懐かしい〈胎内記憶〉が、いまもひっそり棲息している。

 今回のテーマに掲げた『日本語の〈たまご〉――「いろはうた」と「あいうえおうた」――いま、〈ひらがな〉詩がおもしろい!』にもあるように、「いろは(10世紀・平安時代に七五調の今様として成立し、のちに「いろは順」の手習い手本となった)うた」と「あいうえお(15世紀・室町時代後期の国語辞典『温故知新新書』に載る→明治時代の教科書はひらがなの「あいうえお順」になった)うた」こそが「日本語の〈たまご〉」であり、やわらかくまあるい〈ひらがな(カタカナ)〉詩を音読することで、胎児の時代に耳にした母親の「あいうえお」の発音体感を介して、懐かしい〈胎内記憶〉を呼び覚ますための、貴重な手がかりになる。

 このことは、一つ目の目標、★「おとなのなかの〈子どもの宇宙〉」のヒントとなる「母親の胎内にいたときの記憶・胎内の記憶を持つ子ども・大人が持つ胎内記憶・胎内記憶から何を聞くか」について書かれた『胎内記憶』(七田眞・つなぶちようじ共著、ダイヤモンド社、1998年)にも書かれている。

 そして、二つ目の目標である☆〈ヒーリング・リーディング(ライティング)〉については、「自分史を書くことでわかるかけがえのない自分。・ヒーリング・ライティングで自分史を書く」について書かれた『あなた自身のストーリーを書く』(つなぶちようじ著、主婦の友社、2002年)が、大きな手がかりになった。

 つなぶちは、「自分史(自分の過去についての文章)を書く」ことを通して、自分のこと(本当の自分)を深く発見し、それが自分の心の声を聞くことにつながるとして、〈ヒーリング・ライティング~自分史を書く〉プログラムにおける「4つの目的」を挙げている。

1、 いままで自分が歩んできた道をふり返り、これからの人生の意味を考え直す。
2、 いままで自分が歩んできた道をふり返ることで、現在の自分がトラウマのように隠し、見ようとしない事実に直面する。そしてそれを書くことで心にためた隠した思いを表現し、そのことから自由になる。
3、 自分のそれまでの人生に意味を与えることで、豊かな人生を歩んできたことを再確認する。
4、 現在感じる未来について、自分なりの展望を与える。

(『あなた自身のストーリーを書く』48ページ)

 今回の講座では、つなぶちが提唱する〈ヒーリング・ライティング(自分史を書くことで癒される)〉を、「声を出してひらがな絵本を読む(リーディング)」演習は、読み手の心の中に「よみがえる幼少期の記憶を、ひらがなという文字に書き記す(ライティング)」ことであるという原山流の視点で、〈ヒーリング・リーディング(懐かしい幼少期のひらがな絵本を声に出して読むことは、楽しかった幼少期の〈子どもの宇宙〉を再体験しながら癒される)〉と読み替えて、「あいうえおうた」を講座の参加者全員で音読する予定である。

 子育て講座で音読する「あいうえおうた」の一部を、簡単な著者説明とともに紹介しよう。

 ※日本では作家の没後50年以前は著作権が発生し、詩の引用についてのハードルが高いので、没後81年の北原白秋(※作家の敬称は省略。以下同じ)を除く詩人、作家の「あいうえお」詩は、念のため、子育て講座(演習)で音読する詩の出典(書誌情報)は明示するが、その詩(作品)の全文ではなく、前半のみ紹介。作品中の「/」マークは改行、「//」マークは1行空き、または改ページを表す。

☆北原白秋の「五十音」(白秋童謡集の第五集『祭の笛』収載、アルス、1922年)
 「ゆりかごのうた」(ゆりかごの歌を かなりやがうたうよ、……)、「あめふり」(あめあめ ふれふれ かあさんが……)などでおなじみの、詩人で童謡作家の北原白秋(1885~1942年)は、「五十音」(通称「あめんぼの歌」)を作詞した目的を、「これは單に語呂を合せるつもりで試みたのではない、各行の音の本質そのものを子供におのづと歌ひ乍(なが)らにおぼえさしたいがためである。」と述べている。

「五十音」
 水馬赤いな。ア、イ、ウ、エ、オ。(あめんぼ あかいな アイウエオ)/浮藻に小蝦もおよいでる。(うきもに こえびも およいでる)/柿の木、栗の木。カ、キ、ク、ケ、コ。(かきのき くりのき カキクケコ)/啄木鳥こつこつ、枯れけやき。(きつつき こつこつ かれけやき)/大角豆に醋をかけ、サ、シ、ス、セ、ソ。(ささげに すをかけ サシスセソ)/その魚淺瀨で刺しました。(そのうを あさせで さしました)/立ちましよ、喇叭で、タ、チ、ツ、テ、ト。(たちましょ ラッパで タチツテト)/トテトテタツタと飛び立つた。(トテトテ タッタと とびたった)/蛞蝓のろのろ、ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ。(なめくじ のろのろ ナニヌネノ)/納戸にぬめって、なにねばる。(なんどに ぬめつて なにねばる)/鳩ぽつぽ ほろほろ。ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ。(はとぽっぽ ほろほろ ハヒフヘホ)/日向のお部屋にや笛を吹く。(ひなたの おへやにゃ ふえをふく)/蝸牛、螺旋巻、マ、ミ、ム、メ、モ。(まゐまゐ ねぢまき マミムメモ)/梅の実落ちても見もしまい。(うめのみ おちても みもしまい)/焼栗 ゆで栗。ヤ、イ、ユ、エ、ヨ。(やきぐり ゆでぐり ヤイユエヨ)/山田に燈の点く宵(よひ)の家(いへ)。(やまだに ひのつく よひのいへ)/雷鳥は寒かろ、ラ、リ、ル、レ、ロ。(らいてうは さむかろ ラリルレロ)/蓮花が咲いたら、瑠璃の鳥。(れんげが さいたら るりのとり)/わいわい、わつしよい。ワ、ヰ、ウ、ヱ、ヲ。(わいわい わっしよい ワヰウヱヲ)/植木(うゑき)屋、井戸(ゐど)換へ、お祭りだ。(うゑきや ゐどがへ おまつりだ)
 (※作品の青字部分は旧仮名遣い。カッコ内ひらがな部分も旧仮名遣いだが、ッ、っ、ゃは小文字)

★浜田廣介の『あいうえおのほん』(いわさきちひろ絵、のら書店、2004年)
 童話作家・濱田廣介(1893~1973年)の『ひろすけ絵本』(偕成社、1965~1966年)には、懐かしい「ないたあかおに」や「りゅうのめになみだ」が収められている。リズミカルな「あいうえおのほん」。

「あいうえおのほん」
あさ/めがさめた/あおい/そら//いい/てんき/すすめが/なくよ//うめの/きの/あおい み/ひとつ//えだから/とれて/ぽろりこ/ぽろん//おちたよ/どこに/おにわの いけに//かえりが/おそい/きつねの こ/ひが くれた/つきが でた//きつねの かあさん/あなを/でた//くらい/はやしの/ほそい/みち/かあさんきつねが/よんで/いる//けろ けろ/かえるが/なく たんぼ/こぎつね どこよと/よんで/いる//こん こん/ここよと/きつねの こ/こたえて/とこ とこ/かけて くる ……(さ行以下は割愛)

★中川ひろたかの『あいうえおのうた』(村上康成絵、童心社、1975年)
 「ピーマン村の絵本たち」シリーズ・『おおきくなるっていうことは』『さつまのおいも』(村上康成絵、童心社、1999/1995年)などがある、日本で初めての保育士(昔は保父と呼ばれていた)であり、絵本作家でシンガーソングライターでもある、中川ひろたか(1965年~)が書いた「あいうえおの うた」。

「あいうえおの うた」
あやとり いすとり あいうえお /かきのみ くわのみ かきくけこ /さんかく しかく さしすせそ/たこいと つりいと たちつてと /なのはな ののはな なにぬねの ……(は行以下は割愛)

★まど・みちおの「あいうえお(がぎぐげご)の うた」(『まど・みちお全詩集』、理論社、1992年)
 童謡としても親しまれている「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」「一ねんせいになったら」でよく知られる詩人、まど・みちお(1909~2014年)の「あいうえおの うた」と「がぎぐげごの うた」。

「あいうえおの うた」
あかい え あおい え あいうえお /かきの き かくから かきくけこ /ささの は ささやく さしすせそ/たたみを たたいて たちつてと /ない もの なになの なにぬねの……(は行以下は割愛)

「がぎぐげごの うた」
がぎぐげ ごぎぐげ がまがえる/がごがご げごげご がぎぐげご/ざじずぜ ぞろぞろ ざりがにが/ざりざり ずるずる ざじずぜぞ/だぢづで どどんこ おおだいこ/だんどこ でんどこ だぢづでど ……(ば行とぱ行は割愛)

★谷川俊太郎の『あいうえおうた』(降矢なな絵、福音館書店、1999年)
 「だじゃれ」をふんだんに駆使した『ことばあそびうた』(瀬川康男/絵、福音館書店、1973年)が人気の、詩人で絵本作家の谷川俊太郎(1931年生まれ)が書いた「あいうえおうた」。

「あいうえおうた」
あいうえおきろ/おえういあさだ/おおきなあくび/あいうえお
かきくけこがに/こけくきかめに/けっとばされた/かきくけこ
さしすせそっと/そせすしさるが/せんべいぬすむ/さしすせそ
たてつてとかげ/とてつちたんぼ/ちょろりとにげた/たちつてと
なにぬねのうし/のねぬになけば/ねばねばよだれ/なにぬねの ……
(はひふへほ以下は割愛)

★長田弘の『あいうえお、だよ』(あべ弘士絵、角川春樹事務所、2004年)
散文詩集『深呼吸の必要』(晶文社、1984年)や「講談社の創作絵本シリーズ」『森の絵本』『空の絵本』『水の絵本』(荒井良二イラスト、講談社、1999・2011・2019年)などの著書がある、詩人で児童文学作家の長田弘(1939~2015年)が書いた、季節感、色彩感あふれる「あいうえお、だよ」。

「あいうえお、だよ」
あ は いいました。/ぼくは ふゆ になる。/ほんとうに ふゆらしい ゆき つもる ふゆになる。//い は いいました。/わたしは はる になる。/こぶし さくら らいらっく 花(はな)さきこぼれる はるになる。//う が いいました。/わたしは あめ になる。/しっとりと やわらかく みどりうるおす あめになる。//え が いいました。/ぼくは なつ になる。/ほんとうに なつらしい かんかんでりの なつになる。//お は いいました。/わたしは あき になる。/あおい空(そら)と しろい雲(くも)と ゆうひのうつくしい あきになる。……(以下は割愛。冒頭の26行は省略。カッコ内は漢字の読み仮名)

 ところで、やはり長田の散文詩集、『深呼吸の必要』(晶文社、1984年)に、「ときには、木々の光を浴びて、言葉を深呼吸することが必要だ。日々のなにげないもの、さりげないもの、言葉でしか書けないものをとおして、思いがけない光景を、透きとおった言葉にとらえた《絵のない絵本》。」という一節がある。

 『絵のない絵本』とは、デンマークの作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの連作短編集(、屋根裏部屋で暮らす貧しい画家が、夜ごとに訪れる月の語るさまざまな話に慰められた、その話を33夜の短編にまとめた)のことで、私が小学生時代に読みふけった『世界少年少女文学全集』(創元社、全50巻、1953-1956年)の中に、アルフォンス・ドーデの『風車小屋だより』などといっしょに収められていた。

 長田が『深呼吸の必要』「あとがき」に、「言葉を深呼吸する。あるいは、言葉で深呼吸する。そうした深呼吸の必要をおぼえたときに、立ちどまって、黙って、必要なだけの言葉を書きとめた。そうした深呼吸のための言葉が、この本の言葉の一つ一つになった。」と書いているのは、たとえば、アンデルセンの『絵のない絵本』に射しこむ「月の光」から毎夜、その〈深い呼吸〉とともに届く、心ときめく物語を、「日々のなにげないもの、さりげないもの、言葉でしか書けないものを」散文詩として表現したのであろう。

 子育て講座に参加する園児の母親たちが、日本語の〈たまご〉としての「あいうえお」(ひらがな)を通しておとなのなかの〈子どもの宇宙〉に出会い、そして、「あいうえおうた」(ひらがな詩)音読を体験することで〈ヒーリング・リーディング〉の境地に少しでも近づけるよう、たのしくゆかいな講座運営を心がけたい。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員
 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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