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連載コラム「つたえること・つたわるもの」⑭

書き・話しながら考え、考えながら書く・話す技術。

2017-04-11

出版ジャーナリスト 原山建郎

 私たちが文章を「書く」ときは〈書きことば〉の脳で考え、〈書きことば〉で考えながら文字を書く。文章を「読む」ときも、「書く」ときもやはり〈書きことば〉のパターンで考える。一般的に、ビジネス文書で用いる〈書きことば〉では、意味(情報)の伝達を容易にする漢字熟語(漢語)を重視する傾向がある。

 一方、だれかと「話す」ときは〈話しことば〉の脳で考え、〈話しことば〉で話しながら考えている。だれかの話を「聞く」ときも、やはり〈話しことば〉の脳で「聞く」。正確な情報の共有が求められる交渉や契約などでは、もっぱら〈書きことば〉ふうの〈話しことば〉、つまり漢語の多い会話にならざるを得ない。それでも、交渉が終わったあとのくつろいだ酒席では、ざっくばらんな〈話しことば〉のやりとりになる。

 大学の授業(文章表現)で、「書くよりは、話すほうが得意です」、あるいは「話すのが苦手なので、書く方が楽です」と悩みを訴える学生に対して、まず「話す方が得意な人はまず、話すように文章を書いてみる。そのあとで、書きことばを意識して文章を調える」、「書く方が楽な人はまず、話したい内容を文章にしてみる。そのあとで、コンパクトな話しことばに変換する」とアドバイスをしたあと、「文字の〈書きことば〉と、会話の〈話しことば〉では、脳の思考回路に微妙なちがいがある」ことについて話した。

 たとえば、私が文章を書く場合には、その直前に書いた文章を記憶の片隅に入れながら、そのとき頭に浮かんだ文章(1センテンス=40~80字程度)を文字に記すのだが、ほとんど同時に、次に書こうとする文章(1センテンス=80~120字程度)を頭に思い浮かべる。つまり、近過去(すでに)・現在(いま)・近未来(これから)という、三本の思考回路を同時に並行させながら、私たちは文章を書いている。

 このとき、いま(現在)書きつつある、あるいはこれから(近未来)書こうとする〈書きことば〉が、すでに(近過去)書かれた〈書きことば〉の文脈(文章の論理的なつながりぐあい)と合わなければ、前後の文脈に沿った〈書きことば〉に書き直す修正作業は、その文章を提出する前であれば何度でも可能である。

 ところが、私がだれかと会話する場合には、相手の表情を見ながら頭に浮かんだメッセージ(文字数にして40~80字程度)を瞬時に変換した〈話しことば〉を口にしながら、ほとんど同時に、次に話そうとするメッセージ(80~120字程度)を構想しながら、次の〈話しことば〉を口に送り込もうとしている。ここで、〈書きことば〉の制作プロセスの場合と異なるのは、その直前に口をついて出た〈話しことば〉が相手に届く先から、次々に脳の「記憶」エリアから消えていくことである。かつて、授業中に面白話で脱線したまではよかったが、いざ脱線前に戻ろうとしてもその「記憶」が飛んでしまい、「どこまで話したっけ」と学生に尋ねたら、「脱線したままでお願いします」と言われてしまった私の「記憶」は、いまも消えない。

 さて、〈話しことば〉とは口語(口頭言語)、〈書きことば〉とは文語(文字言語)のことである。

 文末が「です。」「ます。」「でした。」「ました。」で終わる「です・ます」調の文体は、読む人がやわらかな丁寧さを感じる。文末が「である。」「だ。」になる「である」調は、堅苦しく改まった感じを受ける。

 また、日本語の文体は、大きく普通体(常体)および丁寧体(敬体)の二種類に分かれる。日本語を母語として育った私たち日本語話者は、日常生活の中で無意識に、この二つの文体をうまく使い分けている。

 「文体」の意味を広辞苑で調べると、「文章のスタイル。語彙・語法・修辞など、いかにもその作者らしい文章表現上の特色」とある。「文体」を理解するポイントは、何よりも書き手の「らしさ」にある。

 〈話しことば〉と〈書きことば〉では、どちらがより書き手(語り手)の「らしさ」が伝わってくるだろうか、同じ著者による〈話しことば〉と〈書きことば〉を味わって、伝わるものを比較してみよう。

☆話しことば(対談)←『教師のためのからだとことば考』(竹内敏晴著、ちくま学芸文庫)
 わたしにとってのことばっていうのは、そういうふうにまず第一に、ほんとうに人が人に働きかけられるかという、一つの、なんて言うのかな、証しであって、こういう話をしてしまえば、結論っていうか、はっきりするわけだけれども、わたしにとっては、ことばっていうのは文章ではなくて、まず第一に話しことばなわけです。                         (同書190ページ)
★書きことば(である調)←『「からだ」と「ことば」のレッスン』(竹内敏晴著、講談社学術文庫)
 からだが動こうとしても、これでは「動くな!」と後ろに引っぱられているみたいだと言う人がある。意思としては話しかけよう、目当ての人とつながろう、としているのだろうが、からだは行かないで、とひきとめている。これでは声は前へ行けないな。まず手を解き放ち、相手の方へ「手を出し」「足を出し」て、からだ全体が動き始めなくては、声が届くはずがない。      (同書32~33ページ)

☆話しことば(聞き書き、語り口尊重)←『木のいのち 木のこころ』(西岡常一著、新潮文庫)
昔はおじいさんが家を建てたらそのとき木を植えましたな。この家は二百年は持つやろ、いま木を植えておいたら二百年後に家を建てるときに、ちょうどいいやろといいましてな。二百年、三百年という時間の感覚がありましたのや。今の人にそんな時間の感覚がありますかいな。  (同書23ページ)
★書きことば(聞き書き、ですます調まとめ)←『法隆寺を支えた木』(西岡常一著、NHKブックス)
 法隆寺の建物は、ほとんどヒノキ材で、主要なところは、すべて樹齢一千年以上のヒノキが使われています。そのヒノキが、もう千三百年を生きてビクともしません。建物の柱など、表面は長い間の風化によって灰色になり、いくらか朽ちて腐蝕したように見えますが、その表面をカンナで二~三ミリも削ってみると、驚くではありませんか、まだヒノキ特有の芳香がただよってきます。 (同書53ページ)

★書きことば(である調)←『内田樹の研究室』2012年6月18日のブログ
自然災害であれ、人間が発する邪悪な思念であれ、それが私たちの生物としての存在を脅かすものであれば、私たちはそれを無意識のうちに感知し、無意識のうちに回避する。
 たしかにそのような力は私たち全員のうちに、萌芽的なかたちで存在する。だが、それを計測機器を用いて計量し、外形的・数値的に「エビデンス」として示すことはできない。(「直感と医療について」)
☆書きことば(ですます調)←『街場のメディア論』(内田樹著、光文社新書)
 マスメディアの凋落の最大の原因は、僕はインターネットよりもむしろマスメディア自身の、マスメディアにかかわっている人たちの、端的に言えばジャーナリストの力が落ちたことにあるんじゃないかと思っています。                              (同書38ページ)

 〈話しことば〉には和語(やまとことば)が息づき、〈書きことば〉では漢語(漢字熟語)が呼吸する。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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