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連載「つたえること・つたわるもの」137

呼吸するミトコンドリア、光合成する葉緑体、母なる大地の贈り物。

連載 2022-05-24

出版ジャーナリスト 原山建郎

 
 2019年9月21日に発生した山梨キャンプ場女児失踪事件から2年半、キャンプ場から約600メートル離れた涸れ沢で、4月23日、頭蓋骨の一部と見られる骨の一部が見つかり、行方不明になっている女児の骨ではないかと、山梨県警が再捜査を始めた。讀賣新聞の記事(一部抜粋)から、その経過を追ってみる。

山梨県道志村のキャンプ場近くの山中で発見された子供の後頭部とみられる骨の一部について、県警は2日、個人を特定するDNA型が検出されなかったと明らかにした。別の鑑定方法を試して身元を調べる。県警は今後、細胞内のミトコンドリアDNAを鑑定する。十分な試料(※サンプル)が得られれば、個人は特定できないものの、母系の血縁関係が判別できるという。           (5月3日/讀賣新聞)

県警は12日、近くのキャンプ場で2019年に行方不明になった当時小学1年の女児の母親の親族のものとみて矛盾しないと発表した。母系の血縁関係を調べる「ミトコンドリアDNA型鑑定」で判明した。
(5月13日/讀賣新聞)

山梨県道志村のキャンプ場近くの山中で発見された人の右肩甲骨について、県警は14日、このキャンプ場で2019年に行方不明になった当時小学1年の女児のものと断定したと発表した。DNA型鑑定で判明した。県警は、医師の見解などを踏まえ、女児が死亡しているとの見方を示した。   (5月15日/讀賣新聞)

讀賣新聞の記事(県警発表)に書かれた骨の鑑定方法を、時系列にみてみると、◆頭蓋骨の一部と見られる骨からは、個人を特定するDNA型が検出されなかった(5月2日)→◆母系の血縁関係を調べるミトコンドリアDNA鑑定で、女児の母親の親族のものとみて矛盾しない(5月12日)→◆新たに発見された右肩甲骨から、個人を特定するDNA鑑定で、女児のものと判明した(5月14日)という順番になる。

骨の細胞を鑑定するポイントは、①「個人を特定するDNA鑑定」、②「母系の血縁関係を調べるミトコンドリアDNA鑑定」だが、この用語は日本経済新聞の解説コラム「きょうのことば」にも載っていない。新聞・テレビなど大手マスコミは、県警の発表を正確に「つたえた」つもりが、医学的な専門知識にうとい一般読者には「女児のものと断定した」という結論だけは「つたわる」ものの、たとえば誰にも理解できる鑑定のプロセス(どういう方法で調べたのか)については、ほとんど「つたわら」なかったのではないだろうか。

そこで、高校時代に学んだ「生物」の授業ふうに、「細胞核(個人を特定するDNA鑑定)」と「ミトコンドリア(母系の血縁関係を調べるDNA鑑定)」を、できるだけわかりやすく紹介してみよう。ところどころ専門用語が顔を出すが、カッコ内に短い解説を加えるので、それを手がかりにしていただければと思う。

まず、ヒト(人間)のからだを構成する37兆個の体細胞には、細胞1つ1つの中に膜で包まれた核(細胞核)が存在しており、細胞核の中には遺伝情報を持つ DNA やRNA、タンパク質が大量に蓄積されている。細胞核に存在するDNA型(デオキシリボ核酸=ひも状の二重らせん構造をもつ、核酸の一種。両親からもらった遺伝情報の継承と、遺伝情報をもとにからだの構造となるたんぱく質などを作るための設計図)を検査することによって、個人を特定する遺伝子を突き止めることができる。最初の調査では、頭蓋骨の一部から採取した試料(サンプル)だけでは不十分で、個人を特定するDNA鑑定ができなかったが、のちに発見された右肩甲骨の一部から採取した「核DNA(父親と母親から、ほぼ均等に遺伝する)が、両親の核DNA(遺伝情報)と一致したことから、行方不明になっていた女児のものであることが判明したのである。

もうひとつ、同じ細胞の中に数百から数千個の(筋肉や脳など代謝の活発な細胞には多く存在する)ミトコンドリアと呼ばれる細胞小器官は、その1つ1つに独自の細胞核(その中にDNAがある)をもっている。子どもははじめ、両親からミトコンドリアを受け継いでいるのだが、父親からのミトコンドリアは早い段階で死滅するので、結果的には母親からもらったミトコンドリアだけを受け継ぐことになる。したがって、ミトコンドリアのDNA型を検査することで、母系の血縁関係が鑑定できる。つまり、子どものミトコンドリアDNA型はすべて母系遺伝なので、今回発見された骨のミトコンドリアDNA型と母親の細胞のミトコンドリアDNA型が一致したことから、同じ母親からの子ども(血縁関係=兄弟姉妹)であると判明したのである。

〈細胞の発電所〉とも呼ばれるミトコンドリアは、全身を巡る血管から供給される血液の中から、「外呼吸(口や鼻からの呼吸で酸素が含まれた空気を吸い、炭酸ガスと水を吐く)」で肺にとり込まれた酸素と、腸から吸収されたブドウ糖などを使って、その細胞が活動するためのエネルギーを作っている。これは細胞内での呼吸(代謝)という意味で、「内呼吸」あるいは「細胞呼吸」とも呼ばれる。からだを構成する37兆個の体細胞1つ1つに数百から数千個存在するミトコンドリアという〈細胞の発電所〉が、1日24時間、1年365日、昼夜兼行でエネルギーを作り出している。そのおかげで、私たちは、「生きていく」ことができている。

私たち動物の〈いのちの素〉ともいうべきミトコンドリアは、からだを構成する体細胞1つ1つの中で、それぞれ独自のDNAを持ち、ヒトが生きるためのエネルギーを作り続ける、実にありがたい存在である。
もう一つ、植物の細胞の中にも、動物のミトコンドリアと同じように独自のDNA型をもつ葉緑体がある。葉緑体は根から吸い上げた「水」と、大気から吸収した「二酸化炭素」を用いて、「酸素」と「デンプン」を作る「光合成」のはたらきで、植物自身は自ら作った「栄養(エネルギー)」を供給(自給自足)している。

先日、国立遺伝学研究所のホームページで、同研究所教授・宮城島進也さんの「細胞内共生による異種細胞の統合進化機構の解明」を見ていたら、「真核細胞(※細胞の中に細胞核をもつもの)内のエネルギー変換器、ミトコンドリアと葉緑体は、バクテリアが真核細胞内に共生して誕生しました」という言葉があった。ざっくり言うと、いまは細胞の中にある、呼吸をする(※内呼吸・細胞呼吸でエネルギーを作る)ミトコンドリアや光合成する(水と二酸化炭素を取り入れてエネルギーを作る)葉緑体は、かつては動物や植物の細胞の外に存在していて、それぞれが独立して生きていた。もともとは光合成するバクテリア・呼吸をするバクテリアが、それぞれ動物や植物の細胞の中に取り込まれ、細胞の中で共生する「細胞内共生」をする中で、ミトコンドリアや葉緑体になった、という仮説である。これらの生命進化の機構を「細胞内共生説」というらしい。

そしていま、自ら光合成で栄養が作れる「自給他足」の植物とちがって、私たち動物は自ら栄養を作ることができないので、植物が作って蓄えている栄養と他の動物(のタンパク質)を食べて生きる「多給自足」生活を送っている。しかし、よく考えてみると、もともとは自分の細胞(体細胞)の外で生活するバクテリアであった葉緑体やミトコンドリアが、生命進化の過程でじつに「運よく」こちらの細胞の中に飛び込んできたものだ。そのおかげで、私たちは、いや、すべての動植物がこの地球上でわが世の春を楽しめるようになった。

『いのちとリズム』(柳澤桂子著、中公新書、1994年)の中に、「細胞の中に取り込んで共生する」という一文を見つけた。さきに、「(子どもは)母親からもらったミトコンドリアだけを受け継ぐ」と書いたが、母親のミトコンドリアは、そのまた母親のミトコンドリアから……、限りなくその出自をさぐっていくと、この「細胞の中に取り込んで共生する」という、千載一遇の幸運、偶然の必然には、ただただ驚くばかりである。

地球ができたばかりの頃は、大気の中には酸素が非常に少なかったと考えられている。やがて藍藻類(※シアノバクテリア:藍色細菌)というクロロフィル(※緑色の色素タンパク質)をもつ細菌が出現する。クロロフィルは太陽のエネルギーを捕獲し、細胞の中でおこなわれる化学反応のエネルギーを供給することができる。藍藻類は、炭酸ガスと水とを外から取り込んで、太陽のエネルギーを使って栄養物を合成する。そして廃棄物として、酸素を放出する。

今から三五億年以上前に、地球に生命が芽生えたとき、最初に出現したのは、原核生物
(※バクテリアなど細胞核をもたない生物。ミトコンドリアや葉緑素などの細胞小器官はほとんど見つけられない)と呼ばれる一群の生物であったと考えられている。それから一七~一八億年の年月が流れ、今から八億年くらい前に、真核生物(※細胞核と呼ばれるミトコンドリアや葉緑素など細胞小器官を有する生物)と呼ばれるやや進化した生物群が出現したらしい。その真核生物の中に、藍藻類(※クロロフィル)を細胞の中に取り込んで共生するものがあらわれたと考えられている。
(『いのちとリズム』1「天体の動きと生物4~5ページ)

これは「植物」の細胞に取り込まれた葉緑体(クロロフィル)のことだが、葉緑体を取り込んで進化した「植物」のはたらき――大気中への酸素の放出作用、オゾン層の形成による紫外線ブロック効果―—が、地球上につづいて現れる「動物」の生命進化に大きな役割を果たすことになった。

このような藍藻類は、真核生物の寄生生物であるが、やがては葉緑体となって、植物細胞の中の小器官の一つとして、代々子孫に伝えられることになる。植物は、炭酸ガスと水を取り込み、葉緑体の助けをかりて光合成をおこなう。ブドウ糖などの栄養物(※エネルギー)をつくって酸素を放出する。

地球上に植物が増えてくると、放出される酸素も増える。酸素原子が二つ結合すると、私たちが呼吸で吸い込んでいる酸素(O2)になるが、三つ結合したものはオゾン(O3)である。オゾンは、地球を取りまく大気圏にオゾン層をつくって、太陽からとどく紫外線を遮断する。紫外線は、細胞の中のDNAに傷をつけるので、生物には強い毒性をもつ。酸素が少なく、太陽からとどく紫外線の強かった初期の地球では、生物は紫外線のとどきにくい水の中で生活しなければならなかった。地球上に酸素が増えて
(※大気圏にオゾン層が形成されると、地球上への紫外線をブロックする)紫外線が少なくなると、生物は陸でも生活できるようになる。最初に陸に上がった動物は、カエルなどの仲間の両生類であるが、それは今から五億年ほど前のことであった。
(『いのちとリズム』1「天体の動きと生物5~6ページ)

なるほど、地球という母なる大地は、生命が地球上に誕生した瞬間から、生命進化35億年という長い歳月をかけて、地球上に存在するあらゆる生きものが、じつに予定調和的に、生き生きと暮らすための〈いのちの素〉を、私たちに、絶え間なく、そして優しいまなざしを添えて、プレゼントしてくれているのだ。

と、ここまで書いたところで、「不可思議」という言葉が心に浮んだ。これは「思議(あれこれ考えを巡らすこと)す(不可)べからず=仏のちから(智慧や誓願)は人智を超えたものであり、あれこれ考えを巡らせるべきでない。人智を超えたものには、もっと謙虚になるべきである」という意味の仏教用語である。この言葉は、ここまで、ミトコンドリアや葉緑体が、私たちの細胞の中に飛び込んできた「生命進化の不思議」を、あれこれ「思議」してきたことへの、座禅における「警策」、つまり「痛棒」の一閃であろうか。

「つべこべ言うな! ミトコンドリアさん、ありがとう。葉緑体さん、ありがとう。そのひと言、だけでよい!」 
ブッダの「一喝」。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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