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連載「つたえること・つたわるもの」(135)

アイヌ語、沖縄語、やまとことば。「地名」に込めた大地の「祈り」

連載 2022-04-26

出版ジャーナリスト 原山建郎

 ロシアによるウクライナ侵攻から3カ月目の現在も、いまだに停戦交渉再開への見通しは立っていない。

 そのドサクサに紛れて、4月7日、ロシア下院議会の有力議員が「北海道の全権はロシアにある」として、その根拠を「ロシア人開拓者が交易のために開発、植民地化を行い、利用していた。そこ(北海道)にはアイヌ民族が住んでいた。サハリンやウラジオストク近郊、カムチャッカの南部に住んでいるのと同じ民族で、ロシアの民族のひとつだ」と発言し、そう遠くない将来、ロシアが北海道に侵攻する可能性をほのめかした。

 また、日本の領海である沖縄県の尖閣諸島付近では、中国海警局などの艦船による領海侵犯が常態化しているが、尖閣諸島の領有権のみにとどまらず、「沖縄(琉球王国)もかつては中国の領域(朝貢を行っていた属国)だった」として、中国メディアの一部は「沖縄(琉球)の主権は中国に帰属すべきだ」と主張している。

 日本の北方からの脅威(大陸から渡来したアイヌ人は、ロシア人と同じ系統の民族であると主張するロシア)と、南方からの脅威(琉球はもともと中国の属国であったと主張する中国)は、今回、ロシアによる一方的なウクライナ侵攻が起こった21世紀のいま、少なからず現実味を帯びはじめているようにもみえる。

 『アイヌ語地名と日本列島人が来た道』(筒井功著、河出書房新書、2017年)の解説がとても興味深い。
 ホモ・サピエンス(現生人類)は、いまから二〇万年ほど前のアフリカで誕生した。六万年前に「出(しゅつ)アフリカ」と人類学者が呼ぶアフリカからの拡散が始まり、それがアジアに達したのは五万年前であった。この数字には研究者によって多少の違いはあるが、シナリオそのものは現今の通説となっている。
 ホモ・サピエンスが日本列島に渡ってきたルートは三つある。北からサハリン・北海道ルート、朝鮮半島・対馬ルート、台湾・沖縄ルートである。これも現在、通説とされている。その時期は対馬か沖縄のいずれかが最も早く、三万八〇〇〇年前~二万六〇〇〇年ばかり前のことらしい。いちばん遅かったのは北海道ルートで、二万六〇〇〇年ばかり前のことらしい。

(『アイヌ語地名と日本列島人が来た道』227ページ)

 ロシアは「北海道」を、中国は「沖縄」を、本来は自国の領土だと強弁するが、人類の起源(ホモ・サピエンス)がアフリカでの誕生だとすれば、世界の国々は全てアフリカの「領土」であるということになる。

 しかし、前回のコラム№134の末尾に書いたように、それぞれアイヌ語や沖縄(琉球)語、やまとことば(原縄文語)などのことばで発音され、文字に記された地名には、その大地で暮らす人々を見守ってきた「たましいの物語」がある。地名に込められた物語は「もの(その人の身の上、土地で起こった事象・出来事を)+かたり(ことばというカタチを借りて伝える)」重要な手がかりであり、それは古代の語り部たちが話して聞かせるアイヌや沖縄の「民話」となり、それらを統合した物語はやがて「神話」と呼ばれるようになった。

 去る4月23日午後、観光船「KAZUI(カズワン)」が知床半島沖で遭難した。観光コースの名所、「カシュニの滝」はアイヌ語で「カシ(狩小屋)+ュニ(のある)+イ(ところ)」、もう一つの名所、「カムイワッカの滝」はやはりアイヌ語で「カムイ(神の)+ワッカ(水)」であり、狩猟と漁撈を生業としていたアイヌ人にとって、それぞれ神聖な場所を表す地名である。また、観光船の母港があるウトロ(宇登呂)は、 「ウトゥ(その間を)+チ(我等が)+ク(通行する)シ(所)」に由来し、岩と岩との間に細道を通って集落から浜へ往来するところ。知床半島の知床(シレトコ)は、「シㇼ(大地)+エトㇰ(突き出たところ)」に由来し、土地の突端部分、岬を表す地名である。ここかしこにたくさんのアイヌ神話(民話・伝説)がある。

 ことしは沖縄の本土復帰50年(1972年5月15日)という節目の年で、NHK朝の連続テレビ小説の舞台に「沖縄」をとりあげた『ちむどんどん』が放映されている。タイトルの「ちむどんどん」は、沖縄語の「チム(胆=心胸・心)+ドンドン(心が高鳴る様子を表すオノマトペ)する」から、「胸(心)がドキドキする」となる。また、沖縄語の「チム+グスイ(胆薬)」は、肝臓の薬ではなく、心(胆)に沁みる言葉(薬)の「チム(胆)」である。チム(胆)は「肝に銘ず(強く心に留め、決して忘れない)」の「胆(ハート)」である。

 ちなみに、ドラマの舞台である山原(ヤンバル)村のモデルは、沖縄本島北部の山原地区にある東村(ヒガシソン)、国頭村(クニガミソン)、大宜味村(オホギミソン)あたりらしい。もしかすると、主人公・比嘉暢子の名字「比嘉」が「東」を意味することから、「東村(ヒガシソン)」がそのモデルではなかろうか。

 沖縄語の発音で「東西南北」の方角を、それぞれ東(アガリ)、西(イリ)、南(へー、フェー)、北(ニシ)というが、ドラマのヒロインの名字はおそらく比嘉(ヒガ)という地名からとったものではないだろうか。

 『沖縄地名考』(宮城真治著、沖縄出版、1992年)に、「比嘉(ヒガ)」「東江(アガリエ)」という地名の由来が載っている。引用文中の(※)は現在の地名、漢字のルビはカッコ内にカタカナ表記した。(以下同)

 「比嘉は東方の義」
 (※沖縄県)勝連村(※旧中頭郡・現うるま市に統合)の離島に字(あざ)比嘉(ヒガ)がある。これをヒヂャと読み、浜比嘉と併称されて、比嘉は(※沖縄本島の)東部に位している。ヒヂャは沖縄語で東のことで、もと光を意味し、日本語のぴかぴかが光を修飾するのと同系の語である。東は旭光の発する所であるのに基づくものである。仲里村(※旧仲里村・現久米島町)に字(あざ)比嘉がある。山城(ヤマグスク)と相対し、比嘉は東に、山城は西にある。これも東の義であることが明らかである。/東江(アガリエ)(※名護市)名護町の元の字名でアガリと読み、(中略)沖縄語アガリもまた東の義で、朝日のあがる方である。/(ひがし)村は国頭郡の属村で、大正十二年久志村クシソン、※現名護市東部)より分立したものである。久志村を俗に東原(ヒヂャバラ)もしくは東方(ヒヂャカタ)と称えるに基づいて命名したものである。
(『沖縄地名考』「位置による地名」70~71ページ)

 たとえば、地名の大字(おおあざ)は地域共同体(昔の町名・村名) が単位であるのに対して、字(あざ)や小字(こあざ)は大字よりも小さい田畑のような耕地、山林、採草地など経済的な土地のまとまりを単位としている。したがって、昔の一般庶民は「名字」など持っていなかったから、○○村に住んでいる誰それ、誰それの息子(娘)と呼ぶときに、より詳細な地域名(大字→字・小字)を「名字」代わりに命名したものだったのではないか。それが現在の「姓(名字・苗字)」のルーツであり、先祖代々の土地につけた地名(大地の言霊)に、子孫の健康、繁栄を見守り、いつまでも幸せであるように願う「祈り(思い)」を込めた。

 ここまでアイヌ語発音が残る北海道・東北北部の地名、沖縄語発音である沖縄諸島の地名を見てきたが、「やまとことば」のルーツ、原初の日本語(原縄文語)の地名も調べてみよう。すでに、本コラム№21(琉球方言、東北方言という「フルコト」、もの・かたり文化。)でもとりあげたが、沖縄語は「やまとことば」を産んだ「原縄文語」の流れを汲む言語である。コラムの一部を再録してみよう。
 『日本語教室』(井上ひさし著、新潮新書、二〇一一年)にある井上説によれば、原初の日本語(原縄文語)は、前期九州縄文語を起点に①九州全域に広まると後期縄文語→九州方言に、②南下して琉球縄文語→琉球諸方言(沖縄・奄美諸島)に、東へ向かった一つは③表日本ルート縄文語→山陽・東海方言を経て関東方言に入り、もう一つは④裏日本ルート縄文語→北陸・東北方言を経てやはり関東方言に影響を与えた、という四つの流れがあるという。ここで注目すべきは、中央からはるかに遠い、琉球諸方言と東北方言、そして出雲方言に「原縄文語」が色濃く残っていることである。
(連載コラム「つたえること・つたわるもの」№21)

 「やまとことば(上古代の日本語)」の音韻(素語)からその成り立ちを研究している野村玄良さんは、自著『日本語の意味の構造』(文芸社、2001年)で、「地名」の素語について述べている。(太字表記は原山)
 地名の「」は「港・船着場・船の渡し場」の意で使われたが「港」の意は津に比べれば新しい使われ方で、本来「ツ」は「穏やかな水域」の意で、波静かな河口の内側にある入り江や、浦なども「ツ・津」と呼んだのである。この「ツ・津」は限られた一定の水域の意である。/佐渡の「両津」の地名は、内側に封鎖された内海と外洋を分ける細長い陸地にこの地名が付けられた。だから「ツ」は明らかに一定の水域を意味している。「高津」は「高潮」の意で、時々水面下になる地点である。/「大津」は大きな港の意もあるが、本来は大きな水面・水域から長じて大きな湖の意で「琵琶湖」を指す言葉である。「津波」は、港だけに来る波ではなく、突然海岸に押し寄せる波長の長い高波で、この「ツ」は巨大な水塊を意味する。/ちなみに「海」は「ウ・∩形」+「ミヅ・水=ミ・霊妙・霊的+ツ・津・液体」で、決して「生み出す」の意はない。山の上や、岬・海岸や島の高みから海を眺めると、水平線は明瞭に∩形に湾曲をしていることが確認出来る。また古来より船で海を渡る人々は、水平線の下から島影や船影がだんだん浮かび上がってくるのを目の当たりにしてきた体験を持っている。海原の果てが湾曲していることは周知の事実だったのである。
(『日本語の意味の構造』181~182ページ)

 」は「狭く突き出た場所」で、人がうつ伏せた「背中(狭い場所の意)」から。海や川にあるのは「瀬」で、田んぼにあるのは「畔・アゼ」。海の瀬は「浅瀬」もあれば「沖津瀬」もある。昔から船が瀬に乗り上げると難破するので恐れられている。「瀬戸際」はこの「瀬」のことである。 
(『日本語の意味の構造』155ページ)

 ・ミサキ」=「ミ・湾曲した突き出た形で、耳形」+「サキ・先」である。岬のあたりは岩礁地帯で船の運行にきわめて危険な地帯であるから、海神の支配を感じ取ったのは海の民である。(中略)海岸から少し飛び出した地形の呼称は「○○鼻」の地名が無数に存在する。鼻も耳も突き出た形であり、人体語を当てて命名されていることは誰にでも分かる。
(『日本語の意味の構造』238ページ)

 「ナニハ・難波」は「ナ・軟弱」+「ニ・泥土」+「ハ・端・へり」=陸地のへりが、泥状になっているところの意。昔は「難波潟・ナニハガタ」と呼ばれたところ。淀川の河口一帯は葦の茂る入り江で、泥状の湿地帯には、いく筋もの水路が複雑に交差するところで、「ナニハヅ・難波津」と呼ばれる入江は船の出入りが多く交易の場所となっていた。
(『日本語の意味の構造』242ページ)

 北海道・東北北部のアイヌ語地名、奄美群島から琉球諸島に息づく沖縄語地名、九州・四国・本州のあらゆる地域に点在するやまとことば(原初の日本語・原縄文語)の「地名」には、その土地に祀られた八百万の神々による「ここに暮らす人々よ、幸(さき)くあれ」という「願い」、大地の「祈り」が込められている。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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