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連載「つたえること・つたわるもの」(121)

健康のために走り、ダイエットする動物は、人間だけである。

連載 2021-09-28

出版ジャーナリスト 原山建郎
 オンライン講座(9月16日90分間)の第1回「見栄を張るこころ、嘘がつけないからだ」で、はじめに作家・五木寛之さんの持論である「何でもやればできないことはない」というポジティブシンキングだけでなく、「長い人生には、思い通りにならないこともある」というマイナス思考、ネガティブシンキングにも目を向けるべきではないか、と話した。すると、受講者のひとりから、「なぜ、五木寛之さんは、ポジティブシンキングだけでなく、ネガティブシンキングを、とおっしゃったのでしょうか?」という質問があった。

 二十数年前、「ため息健康法レシピ」(深いため息は、生き詰まった〈からだ〉の救い主)を考案した私に、五木さんは「ため息健康法は、がんばらないところがいい」と賛成してくださり、2002年に上梓した『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス)の表紙カバーに推薦文をいただいた。その五木さんが、『大河の一滴』(幻冬舎、1998年)に書いた文章の一部を、第2回講座の附録資料に引用した。

 シェークスピアの『リア王』の登場人物がつぶやくように、「人は泣きながら生まれてくる」のだ。私はこれまでもくり返しそのことを書きつづけてきた。この弱肉強食の修羅の巷、愚かしくも滑稽な劇の演じられるこの世間という円形の舞台に、私たちはみずからの意志でなく、いやおうなしに引き出されるのである。あの赤ん坊の産声は、そのことが恐ろしく不安でならない孤独な人間の叫び声なのだ、と嵐の荒野をさまよう老いたリア王は言う。

 これをネガティブで悲観的な人生観と笑う人もいるかもしれない。しかし、かつてはブッダ(仏陀)の出発点も、「生老病死」の存在としての人間を直視するところからだった。この「生老病死」を人間のありのままの姿とみる立場こそ、史上最大のマイナス思考だといっていい。(中略)いまこそ私たちは、極限のマイナス地点から出発すべきではないのか。人生は苦しみの連続である。人間というものは、地球と自然と人間にとって悪をなす存在である。人は苦しみ、いやおうなしに老い、すべて病を得て、死んでゆく。私たちは泣きながら生まれてきた。そして最後は孤独のうちに死んでゆくのだ。

 そう覚悟した上で、こう考えてみよう。
「泣きながら生まれてきた」人間が、「笑いながら死んでゆく」ことは、はたしてできないものなのだろうか。それはなかなかむずかしいことのような気がする。しかしマイナス思考の極みから出発したゴータマは、少なくとも微笑みながら病で死んだ。その臨終の物語は、彼が自分の上に影を落とす樹々の姿を「世界は素晴らしい」と讃えつつ自然に還っていったことを述べている。最大の否定から最高の肯定へ、マイナス思考のどん底から出発して世を去った人間だったからこそ、二千年のいまも、多くの人びとはブッダの生涯に熱い心を寄せるのではあるまいか。

(『大河の一滴』「人はみな大河の一滴」16~18ページ)

 仏教でいう「苦」とは苦しいと・つらいという意味ではなく、「思い通りにならない」ことをいう。やはり仏教でいう「四苦(思い通りにならない生苦、老苦、病苦、死苦)」を、人間が生きていく上で避けて通れない「苦」であるとそのまま受け止めて、それでも生きていく覚悟が求められると、五木さんはいう。

 これ以上がんばれない、つらく苦しいときに思わずつく大きなため息は、究極のネガティブシンキングだが、そのマイナス思考を逆手にとった「ため息健康法」を、五木さんは評価してくださったのだろうか。

 第1回講座は、「見栄を張る〈こころ〉と嘘がつけない〈からだ〉」というテーマを、頭脳知=〈こころ〉の要求、身体知=〈からだ〉の智恵、という視点で考えた。主なトピック(話題)は3つ。拙著『身心やわらか健康法』第2章「悲鳴を上げるからだ、引きこもるこころ」などを参考に、〈こころ〉が要求する無理難題、〈からだ〉がコントロールする無意識の身体知について、そのポイントをざっと記してみよう。

1.「健康のために走る」動物は、人間だけである。
 ここ十数年、「健康のために毎日ジョギングする」「やせるためにはウォーキングがいい」という人が増えている。しかし、健康のために走る動物は、人間(最速の男、ウサイン・ボルトは最高時速44キロメートル)だけである。アフリカのサバンナで、餌となる草食動物を追いかけて疾走するチーター(最高時速110キロメートル)も、食べられては大変と必死で逃げるシマウマ(最高時速60キロメートル)も、どちらも命がけで走っている。逃げるシマウマにしてみれば、「全速力で逃げなければ、食べられてしまう」と頭で考え、その警戒信号が脚に伝えられて走る、のではない。襲いかかるチーターの姿が目に入ったときには、もうからだが勝手に走り出しているのだ。頭で考えるよりも速く、無我夢中で逃げている。

 「運動不足はからだに悪い」と頭で考えて、「健康のために走る」とからだに言い聞かせ、毎日ノルマを課して「無理して」走っていると、からだを壊すことがある。走るという動きは全身運動なので、筋肉だけを鍛えるなどという器用なことはできない。心肺機能にも大きな負担がかかるので、ランニング中に心不全を起こすランナーが多くなり、中高年の間で流行しているウォーキングに異変が起きている。

2.徹底的なケチが身上。〈からだ〉の飢餓モード。
 現代人の肥満の原因は、食べすぎと運動不足の二つだといわれている。どんなに不況の嵐が吹き荒れようとも、ダイエット(痩身)だけはいつの時代も花盛り。しかし、いざ減量のためのダイエット食事療法やエクササイズをやるとなると、かなり思い切った決心と継続という忍耐力が求められる。いったん減量に成功しても、ちょっと油断すると、あっという間にもとに戻ってしまう。

 その理由のひとつは、からだが必要とする栄養素やエネルギーを利用する代謝能力が、ヒトが野生動物であった時代のままであること、つまり「飢餓モード」に設定されていることだ。

 私たちの祖先は、わずかな食物からの効率的なエネルギー獲得と、次の食物にありつくまでの予備食糧(備蓄エネルギー)として、長い進化の過程のなかで「脂肪の蓄積」という知恵を身につけた。ところが、飢餓の心配がない現代人では、とりすぎた栄養分は余すことなく蓄えられ、肥満となってしまう。胃腸は昼夜兼行のフル回転を強いられ、あげくのはてに糖尿病、肝臓病を発症するまで働かされることになる。

3.嘘がつけない〈からだ〉のメッセージを聴く
 (1) 意識下の〈からだ〉コミュニケーション
 身体論の先駆的研究者である市川浩さんは、自著『〈身〉の構造 身体論を超えて』(講談社学術文庫、1993年)の中で、「無意識の身体知=〈からだ〉の智恵」について、次のように書いている。

 ムカデが歩いているのをみて感心したある動物が、「お前さんはどういう風にしてそんなにたくさんある足のはこびを調節しているんだい」とたずねた。

 そんなことを考えたこともなかったムカデが、「俺はどういう風にして歩いているんだろう」と考えたとたんに歩けなくなってしまった、という話があります。

 じっさいわれわれは、歩くという場合、ただ歩こうと思うだけです。歩くには非常に複雑な筋肉の調節が必要です。足を曲げるには、片側の筋肉を縮め、反対側の拮抗筋を適当に伸ばさなければなりません。ついで少しずつ体重を前へ移して、曲げた足を伸ばし……。この調節を一々考えていたら頭がおかしくなります。ムカデではありませんが、恐らく歩けないでしょう。
(中略)

 見るには見ようとすればよく、瞳孔や眼球の調節に心をわずらわせることはありません。話すには話すことを考えればよく、口や舌や声帯の調節に意を用いる必要はありません。身のはたらきのこうした階層構造によって、生存のための基礎的なはたらきは自動作用にゆだねられ、それを前提として意識レヴェルの選択の自由が可能になります。
(『〈身〉の構造 身体論を超えて』「〈身〉の風景」36~37ページ)

 小学校の朝礼で、朝食抜きの子どもが空腹のあまり倒れて、顔面から校庭に激突したという話を聞いたことがある。おそらく、その子どもは「あっ、危ない!」と(頭で)考えて手を出そうとしたが、間に合わなかったのではないか。昔の子どもたち(現在の高齢者)なら、前に倒れる瞬間、とっさに手が出るから、顔面を打つことはない。無意識の身体動作(身体知)が、〈からだ〉を未然にガードしている。

 (2) 腸は小さな脳であるという「腸の超能力」に注目!
 内分泌学者・藤田恒夫さんの著書『腸は考える』(岩波新書、1991年)には、口から肛門までの長い腸管のなかでも、とくに「腸(小腸・大腸)」の超(腸?)能力ぶりが書かれている。

 「腸の運動」というのは、腸の壁をつくる平滑筋が縮んだりゆるんだりしてうごめくことで、「蠕動」(ミミズのような虫の動きの意)とよばれる。(中略)食物の塊が腸の内面を刺激すると、必ず口に近いがわの腸壁が収縮し、肛門がわのそれがゆるんで、食物塊を肛門に向かって運搬しようとする。腸の運動のこのような規則性は、イギリスの生理学者W・M・ベイリスとE・H・スターリングによって一九〇一年に発見されたもので、「腸管の法則」という立派な名がついている。(中略)

 ここで大事なことは、いま述べてきた腸の賢い働きが、脳と脊髄(中枢神経系)から独立しても営まれているということである。脳が別のことに気をとられていても、ぐっすり眠っていても、麻酔をかけられていても、腸は間違いのない働きを続けてくれる。熟睡していたために胃酸が下りてきたことに腸が気づかなかったら大変だ。腸に穴があいてしまう。眠る前に悪いものを食べたのを、腸がみつけてくれなければ、これも一巻の終わりである。(中略)

 腸は実に賢い器官で、脳の命令や調節とは無関係に、内容物の化学的、機械的情報を検出して適切な対応をとり続ける。生体が生き続ける限り、寝ても覚めても……。「腸は小さな脳である」という言葉は、腸の機能についての、こういう認識から生まれたわけである。
(『腸は考える』「腸は小さな脳である」7~8ページ)

 「腸の超(腸?)能力」といえば、500種類以上、約100兆個も棲んでいる腸内細菌がもたらす「腸管免疫」がある。全身の免疫細胞の約70%が集まっているともいわれる腸内では、たくさんの免疫細胞が感染症防御のために免疫を活性化させる働きを担っている。最近の医学ニュースには、新型コロナウイルス感染症に罹患する人と、そうでない人の差は、「腸管免疫」の主役、ビフィズス菌や乳酸菌など善玉菌優位の腸内細菌叢(腸内フローラ)であるか否かにかかっている、という研究報告があった。

 (3)〈からだ〉の中の夜と昼――からだの生理学的なリズム
 『からだの中の夜と昼』(千葉喜彦著、中公新書、1996年)では、人間の「生物(からだ)時計」について、環境サイクルとの「外的同調」、生理機能との「内的同調」が解説されている。

 一日のリズムは、活動・休息にだけみられるのではなく、ありとあらゆる(といっても過言ではないと思う)生理機能のうえにあらわれる。たとえば、副腎皮質ホルモン(※たとえば目覚めのホルモンとも言われる「コルチゾール」は血圧を高め、からだを闘争または逃避行動に備えさせる)の放出活動は朝起きてから一、二時間後にピークになるし、脳下垂体からの成長ホルモン放出は夜というぐあいに、各種のホルモンの放出時間が決まっている。(中略)外から直接測定が可能なものについていえば、体温はもとより、脈拍、血圧なども一日のだいたい決まった時刻に最高あるいは最低になる。

 生物時計の支配がからだのすみずみにまで及び、そのことによって多くの生理機能の周期が統一され、互いの時間関係が確立する。体温は午後早く、二時から四時ぐらいで最高になり、その後少しずつ下がって明け方が最低となる。目が覚めるのはその直後、やがて床からぬけだし、間もなく副腎皮質からのホルモン放出が盛んになる、というわけである。(中略)

 環境サイクルとの同調は外的同調、生理機能の同調は内的同調である。人のからだは、外的にも内的にも同調した時間的有機体であり、全体として時々刻々規則的に変わっていく
(『からだの中の夜と昼』第八章「人の時計」117~118ページ)

 近年、「自然との共生」という標語がよく用いられるが、「自然」と「人間(人類)」を対立概念でとらえる考え方には、かなり違和感がある。「地球温暖化」の原因は、「人間」が「自然」から収奪した化石燃料による大気中のCO2(温室効果ガス)大量放出によるもので、その対策はカーボンニュートラル(植物や植物由来の燃料を燃焼してCO2が発生しても、その植物は成長過程でCO2を吸収しており、ライフサイクル全体でみると大気中のCO2を増加させず、CO2排出量の収支は実質ゼロになる」という考え方)だというが、それは「人間」が「自然」からの収奪を少し手加減しようと申し出る、いわば「取引交渉」のようなものだ。

 私たちの〈からだ〉は、〈からだ〉のなかに「夜」と「昼」のリズム(生体時計)を併せもつ「自然」そのものである。〈からだ〉という「内なる自然」が発する、かすかな身体知のメッセージに、素直な〈こころ〉の耳を傾けて、楽しく愉快に生きていきたいものである。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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