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連載「つたえること・つたわるもの」(31)

VR(仮想現実)、外界感覚遮断、ディスコミュニケーション。

連載 2017-12-26

出版ジャーナリスト 原山建郎

 「ながら(歩き)スマホ」の事故が絶えない。

 トラックや乗用車での「【運転しながら】スマホ」による追突事故・左折時の歩行者巻き込み事故、電車のプラットホーム上の「【歩きながら】スマホ」による線路への転落事故、また、ショッピングセンターなどの雑踏での「【歩きながら】スマホ」による転倒(自傷)・衝突(他傷)事故も少なくない。

 警察庁の発表(2017年7月24日)によれば、運転中の「ながらスマホ」による2016年の交通事故は1999件(画像目的使用927件、その他動作使用866件、通話目的使用159件、ハンズフリー使用47件)、そのうち死亡事故は27件だった。昨年10月の「ながらスマホ」運転事故では、「ポケモンGO(スマホゲーム)をしていて、前を見ていなかった」トラックの運転手が、小学四年生の男子児童のいのちを奪った。

 二十日ほど前(12月7日)、電動アシスト自転車のハンドルに両手を添えた状態で、左手にスマホ、左耳にイヤホン、右手に飲み物を持って運転していた女子大学生が、77歳の女性と衝突した。被害者は転倒して頭を打ち、2日後に死亡した。衝突直前までスマホを操作し、ポケットにしまおうとした瞬間に、衝突事故を起こした。女子大学生は警察の調べに対して、「ぶつかるまで気づかなかった」と話しているという。

 つまり、加害者となった女子大学生の頭の中は、スマホ操作のことだけでいっぱいで、外界の刺激(見る・聞く・触れる・嗅ぐ・味わう)がすべて遮断され、「気づいた」ときには「ぶつかっていた」のである。

 私はここで「ながら(歩き)スマホ」の是非を議論するつもりはない。スマホの画面を介して「ヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)」を体験する、さまざまなゲーム感覚が、「ディスコミュニケーション(対人コミュニケーション不全)」をもたらしているのではないか……、そのことを危惧しているのである。

 たとえば、先週、東京・新宿の歌舞伎町を歩いていたら、かつて新宿ミラノ座という映画館があった跡地に、VR ZONE(ヴァーチャル・リアリティ施設)の看板が目に入った。何でも「人力飛行機で空を飛ぶスリル」「恐竜に襲われる恐怖」「野生の魚を釣り上げるリアルな感触」をはじめ、「ドラゴンボール」「エヴァンゲリオン」などコミック作品の世界をリアルに体感できるVR遊園地だとか。VRの3D空間では、「わたし」は思いのままに行動できるし、たとえ絶体絶命のシーンであっても、これはゲーム世界の疑似体験だから、現実の「わたし」は死なない。「わたし」という主人公は、何度だって生き返ることができる。

 かつて、新宿ミラノ座が健在だったころ、20歳代半ば、雑誌記者だった私は、「真夜中のカーボーイ」(ジョン・ボイト、ダスティン・ホフマン出演)や「スケアクロウ」(ジーン・ハックマン、アル・パチーノ出演)など、アメリカン・ニューシネマにハマっていた時代を思い出す。編集部の先輩から「よい映画は、少なくとも三回は観るものだ」と言われたが、主人公であるジョン・ボイトたちの素晴らしい演技を通して、人生の哀歓、悲嘆、希望の数々を「わたし」の心で「体感」し、何度もそれを「反芻」することができた。

 また、作家の遠藤周作番記者を命ぜられた「わたし」は、たとえば『わたしが・棄てた・女』の森田ミツやミツを棄てた吉岡努に、『沈黙』では棄教したロドリゴ神父やキチジローに「わたし」自身を重ね合わせ、「神は愛の行為しかなさらない」という遠藤の祈りを理解しようと、何度もそのページをめくった。

 それから半世紀あまり、AI(人工知能)の飛躍的進歩によって、各家庭に一台だった固定電話(黒電話)は、携帯電話の普及により個電(個人単位の電話)となり、さらにスマホの登場でビデオ(対面動画)通話だけでなく、スマホ(ビデオ)ゲームが楽しめる時代になった。「わたし」という主人公の時代である。

 数年前、大学の授業で「遠藤周作の小説を読んだことがある人は手を挙げて」と尋ねると、130人以上出席している日文(日本語日本文学科)の学生のうち、2人か3人くらいが遠慮がちに手を挙げた。

 『沈黙』や『深い河 ディープ・リバー』など、おもな遠藤の小説やエッセイは電子書籍化されており、キンドルなどの電子書籍端末はもちろん、スマホのディスプレイ画面でも漢字のルビはさすがに読みにくいが、その気になれば読むこと自体は可能だ。それでも、日文の学生が遠藤作品を読まないというのは、単行本や文庫で小説を「読む」よりは、スマホでライトノベルを「見る」方を選ぶ時代になったのかもしれない。

 ある人は、「スマホはいつでもどこでも連絡できる、最強のコミュニケーション手段だ」という。また、ある人は、「インターネットを介したメールやライン、チャットやインスタグラムなどで、世界中の人々と同時に交流することができる」という。しかし、メールやライン、チャットやインスタグラムは、「わたし」と現場(リアル)の間に、合成画像や合成文字で編集されたVR(ヴァーチャル・リアリティ)が介在する。

 スマホという個人情報端末が描き出す、文字通り臨場感あふれる画像や、まるで肉声のような言葉のやりとりに惹きつけられた「わたし」は、仮想現実におけるゲームプレイヤーの「わたし」に変身する。

 わが家から最寄りの駅まで、徒歩で15分の距離だが、車なら5分とかからない。ゆっくり歩いて行くときには、道端の草花を愛でたり、犬を連れた散歩中の人とあいさつを交わす余裕もあるが、車のときは車窓をよぎる一瞬の残像となる。前者はゆったりとした「とき」の中で、自然との出会いもふくめて、周囲とのコミュニケーションがいくらでも可能である。しかし、後者が一瞬にして駆け抜ける、限りなくゼロに近い「とき」には、車内や前方の風景以外とのコミュニケーションは、原則として禁止だ。運転以外の要素に気をとられないよう、ディスコミュニケーション(周囲とは関わらない)モードが求められる。

 電車のロングシートは原則的には7人掛けだが、車内が混みあってきても、6人あるいは5人で座っていることも少なくない。その様子を観察すると、ほとんどの乗客がスマホでメールを打ったり、スマホゲームに興じたり、イヤホンで音楽を聴いたりしている。途中で乗ってきた年配の乗客に席を譲るのは、たいていの場合、スマホを持たない年配の乗客だったりする。スマホを操作する乗客の多くが、「わたし」だけの世界に没入し、「あなた(周囲)とはコミュニケーションしたくない」と意思表示しているように見える。

 これもまた、「ながらスマホ」によるディスコミュニケーション(コミュニケーション拒絶)なのである。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう) 
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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