今年のフラワーカーペットを見て、困ってしまった。綺麗なのだが、どうにも心が動かない。

今年のブリュッセルのフラワーカーペットは、日本とベルギーの外交関係樹立160周年を記念して、日本がテーマになっている。題材は葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」。日本人アーティスト、ヒロ杉山氏が北斎の世界を現代的に再構成し、グランプラスに70万本以上の花を使った巨大な作品が現れた。

ガイドをしている私にとっても、これは実に話しやすい題材である。北斎といえば、19世紀後半のヨーロッパを席巻したジャポニスム、さらにはベルギーのアール・ヌーヴォーへと話を広げることができる。だから楽しみにしていたのだが、実際に見てみると「綺麗だな」で終わってしまった。何故なのだろう。

フラワーカーペットを何度も見ているから、慣れてしまったのかもしれない。私が初めて見たのは1996年だから、もう30年も前になる。それとも、フラワーカーペットの主役がベゴニアからダリアへ変わり、色彩が鮮やかになったからだろうか。今年の作品を見ていると、私には何だか「使える色は全部使ってやろう」という感じがしてしまった。あまりに整っていて、どこかデジタル臭がする。

こんなことを書いたら作者に怒られるかもしれないと思ったのだが、杉山氏の制作意図を読んでみて驚いた。氏はこの作品で「過去と未来」「アナログとデジタル」「日本文化と現代美術」を結びつけようとしたという。なるほど、私はちゃんと「デジタル」を感じ取っていたのかもしれない。

もっとも、もう一つ大きな理由がある。そもそも私は、切り花があまり好きではない。

大変申し訳ないのだが、コンサートで花束をいただいても困ってしまう。もちろん、その気持ちはとても嬉しい。でも家に持って帰って飾るかというと、飾らない。結局、花の好きな人にあげてしまう。

ところが自然に咲いている花には、ハッとさせられることがある。どうも私は、人間が綺麗に整えたものより、少しくらい不揃いでも、そこに自然に存在しているものの方が好きらしい。

これは音楽でも同じかもしれない。今のピアニストは本当に上手い。指は動くし、何でも弾ける。演奏も完璧で「凄いな」と思う。でも、「凄い」と「感動する」は同じではない。

もちろん、だからといって「ミスをしても音楽が良ければいい」と思っているわけではない。演奏家である以上、ミスはしたくないし、できる限り良い演奏をしたい。ただ、完璧であることと、人の心を動かすことは、どうも別の話らしい。

そう考えると、慣れだけが原因でもなさそうだ。ベルギーへ来たばかりの頃、音楽院のあるモンスの街を電車の窓から初めて見た時には、御伽の国のように思えた。ところが何度も通うようになると、その感動も少しずつ薄れていった。

慣れとは怖いものである。

それなのに、30年近く見ても飽きない景色がある。ブリュッセルの芸術の丘から見える、市庁舎の塔である。

ガイドをするずっと前から、私はあの景色が好きだった。何故なのか、自分でもよく分からなかった。でもあの場所に立って市庁舎の塔を見ると、初めてベルギーへ来た頃のことを思い出す。そして不思議なことに、「また頑張ろう」という気持ちになる。

今回、北斎のフラワーカーペットを眺めながら、ようやく少し分かったような気がした。日本人が富士山を見て「日本」を感じるように、私にとってあの市庁舎の塔は「ベルギー」なのかもしれない。

今年のフラワーカーペットには、北斎の大きな波の向こうに富士山が描かれている。

そして、そのすぐ近くには私にとっての「富士山」が立っている。