出版ジャーナリスト 原山建郎

 昨年末、アフガニスタンの路上で凶弾に倒れた中村哲医師が私たちに遺した〈いのち〉のことば――「100の診療所より一本の用水路」を本コラムに書いたところ、友人からたくさんのメールが寄せられた。

 「偉大な人を失って、とても残念だ。これから先、アフガニスタン復興支援がどうなるかが心配」、「私には中村医師のような活動はとてもできない。何もできずにいる自分が恥ずかしい」など、中村医師の死を悼むことばに添えて、今後のアフガニスタン復興支援への不安、自らの非力を恥じることばがつづられていた。

 しかし、前回のコラムで、マザー・テレサのカルカッタでの活動に感激した上智大学の学生が「自分もカルカッタへ行って働きたい」と申し出ると、マザーが「日本にも日本のカルカッタがあるはずです。そのような気持ちのある方はどうか日本のカルカッタで働いてください」と応じたエピソードにもあるように、中村医師における「私のカルカッタ」は、「アフガニスタン」での用水路建設だったのではないだろうか。

 なぜ、私がそう思ったかというと、先週土曜日(25日)、福岡市の西南学院大学で中村医師の「お別れの会」が行われ、そのニュースを伝える翌日の地元紙(西日本新聞ウェブサイト)の記事に、「それぞれが自分の持ち場で行動することが、平和につながるんだ」と書かれたことばを見つけたからである。

 それぞれが自分の持ち場で行動することが、平和につながるんだ――。25日に福岡市早良区の西南学院大で行われた中村哲さんのお別れ会には約5千人の参列者が詰めかけた。「献花だけでも」「どうしても来たかった」。会場に入ることができない人も少なくなかったが、一人一人が中村さんへの思いを胸に、静かに祈りを捧げていた。
『西日本新聞』(2020年1月26日)朝刊

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