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「何を創る、日本の半導体企業」⑨

日本の半導体企業の隆盛

連載 2025-12-22

桑原経営戦略研究所 桑原 靖

 今回は日本の半導体企業の隆盛を探ってみたいと思います。1980年代は筆者にとっても半導体産業に従事し始めた頃であり、今になって振り返ると当時の日本企業は半導体の中心におり、様々な先端分野に取り組むことが出来、積極的且つ大規模に半導体市場に関わった全盛期で、多くの関係者がその頃を懐かしむ事が良く分かる気がします。

 そんな全盛期に至るまでに、日本の半導体企業は1970年代の成長期に、電卓・時計用IC、民生用アナログIC、シリコントランジスタ等を軸足に、16K/64KDRAM、ワンチップマイコン等の開発を進めました。1970年~80年代はテレビやオーディオに代表される民生機器において、日系電機メーカーはその開発力、技術力や生産能力でトップランナーであったことから、世界的な競争力は非常に高く、民生機器市場で世界をリードする地位となっていました。(図1)民生機器ではテレビ、VTR等が好調であった事に加え、新たにCD等の新しいメディア機器が出現しました。この中で大きな需要分野であるカラーテレビは、日本国内での普及率は既に上限にありましたが、輸出を中心に日本の国内生産規模は拡大し、1985年に1700万台と過去最高となりました。VTRは1970年代にはβ方式とVHS方式の2方式がありましたが、1980年代前半にはVHSが優勢となり、松下電器が1982年に15万円を切った普及モデルの発売、1985年には10万円モデルの登場で本格的な普及が始まり、生産は1980年が500万台でしたが、1年後には3100万台に急激な拡大をしました。1982年にはCDプレーヤーが発売され、1984年にはソニーにより5万円を切るポータブルCDプレーヤーが市場に投入された事により普及に拍車が掛りました。加えて、1979年に登場したウォークマンも世界的なブームとなり、新たなオーディオ機器やメディアが本格的な普及期を迎えました。更に、1981年には任天堂がファミコンを発売し、家庭用テレビゲームという新たな市場が立ち上がり、ROMをはじめとする新たな半導体の需要をもたらしました。

 またオフィス機器ではオフコンの普及が当初より盛んであり、1982年には東芝が50万円台の業務用ワープロを発売、業務用FAXやPPC等の機器が導入され、オフィスオートメーション(OA)という新たな概念とともに急速に普及を開始して行きました。更に、産業分野でもシーケンサーやプログラマブルコントローラー等ファクトリーオートメーション(FA)が立ち上がり、通信分野でも1982年、電電公社によるデジタル交換機の運用開始等での交換機のデジタル化、ISDNの普及等に代表されるように通信産業分野でも新たな動きが始まった年代でした。


 1980年代前半は従来のテレビやVTRといった民生機器に加えて、オーディオビジュアル(AV)機器の出現、家庭用ゲーム機器の本格普及、情報分野ではPCの本格導入を元とするOA化も始まり、更に通信・産業分野での新たな動きが生まれ、幅広い分野での半導体需要が拡大した時期となりました。民生・OA・情報通信の各分野の製品を企業内で生産していた日系半導体メーカーは、必然的にそれらの用途でアナログIC、ロジックIC、デスクリートの半導体で高い世界シェアを持つ事となりました。

 このように好調な機器生産に支えられ日本企業への旺盛な半導体需要がもたらされている最中に、1980年のワシントンに於けるセミナーで、HP社が日米6社のDRAM品質データ比較を発表しました。(表1)この評価はHP社で前年に米国製DRAMの供給が間に合わず、日本製DRAMを購入したときの評価結果を公表したものでした。この評価は受入れ不良率と出荷後不良率共に、日本製が米国製の品質を上回るものであり、日本の半導体は米国に遅れていると言われ、日本製半導体に対する安物=低品質としての評価を一変させ、日本製DRAMが米国ユーザーに受け入れられる契機となりました。特に、この時期のDRAMの主要な用途であったコンピュータメインフレーム*1では高い品質管理が要求されており、このニーズに日本製DRAMの品質の高さが求められるようになりました。そして、汎用製品である特質により、一気に米国製から日本製への置き換えが進み、1981年には世界の40%を越えるシェアを日本製DRAMが占めるに至りました。
さらに64KDRAMについては、コンピュータメインフレームに加え、IBMのPC向け需要が大きく寄与し、需要は大きく拡大して行きます。米国のコンピュータ産業でのDRAM採用本格化に伴うDRAM需要の急速な拡大の中で、品質面でも高い評価を得た日本製DRAMは、米国コンピュータメーカーに相次いで採用されます。設計・プロセス技術でも先端に立った日本製DRAMは品質・納期・価格でも高評価を確立し、1981年には64KDRAMで世界No1シェアとなり、1987年に256KDRAMを中心に日系メーカーの世界シェアは80%を越えました。(図2)

 *1:コンピュータメインフレームは企業や政府などの組織で業務処理を行うコンピュータを指す用語で、主に科学技術計算用のスーパーコンピューターや、より小型のミニコンピュータ、オフィスコンピュータ、サーバーなどとは区別されていた


 こうして品質の重視、積極的な投資による価格競争力の向上と、安定した供給力を確立した日本の半導体メーカーの戦略は、日本の半導体のステータスを大幅に向上させ、DRAMで米国メーカーを上回る確固たる地位を築きました。DRAMにおいて日米メーカーのシェア逆転が明確になり、米国「Intel」「Motorola」「AMD」「NSC」「MOSTEC」等従来のDRAMの覇者であった米系メーカーの撤退など、日系メーカーの台頭が顕在化して米国半導体業界の危機感が高まり、一連の日米半導体摩擦問題につながって行きます。

 1980年初頭世界の半導体市場は約3.5兆円、しかし、日本のシェアは1980年で未だ25%程で米国の半分以下でした。(図3)1983年前後の米国の景気拡大や第2次VTRブーム等を契機に、日本の半導体メーカーは生産を飛躍的に伸ばして行きました。この時期、日本の半導体を支えたのは、国内で従来の民生機器に加え、情報分野、OA分野等での新たな需要が増加した時期にあたること、さらに64MDRAMで日系メーカーの高信頼性も好走し、圧倒的なシェアを獲得し世界の供給基地となったことが大きな要因でした。更に256KDRAMでも米系メーカーに対し先行して製品化することにより、更に日系メーカーのステータスは向上しました。こうして、1983年には日本の半導体生産はついに1兆円を超え、1984年には空前の半導体好況で前年比150%を超える大幅な成長を遂げました。1985年に販売高21億ドルで「NEC」が世界ランキングNo.1となり、トップ10に日本メーカー4社が入りました。翌年には半導体メーカー別売上でもトップ3は「NEC」「東芝」「日立」となり、更に他の3社がトップ10に入り、6社が日系メーカーとなりました。(表2)1991年までNo.1の座を保った「NEC」の販売高は49億ドルと6年前の倍以上に達しました。第6回で取り上げた通り1990年台はじめまでトップ10に日本メーカーが6社入っていましたが、それ以降徐々に日本企業はトップ10から姿を消して行きます。


 この頃の半導体需要はシリコンサイクルと呼ばれる約4年周期で好不況を繰り返す周期がありました。(図4)筆者が半導体産業に従事し始めた1984年は、好況のまっただ中で、日本半導体企業はどれだけ全力で生産しても需要を満足させることが出来ず、当時全盛期であった汎用半導体64KDRAM製品等では生産した製品をどこに納入するのか、マイコン等の専用半導体では生産ラインをどこ割り振るのかと言った、アロケーション(割り当て)と呼ばれる完全な売り手市場でした。その時期は前述の通り、販売高も急速に拡大したこともあり、設備投資に対しても非常に積極的で、日本企業Top3各社は1,000億円を越えるもの(対生産額約30%)でしたが、その後のシリコンサイクルの後退期では、各社1/3から半分になってしまいました。


 前号までに説明しましたが、半導体の需要は使用される製品の好不況に大きく左右されます。その意味では、日本の半導体企業の隆盛の背景にも同様の事が言えます。まず、その一つがTVやVTRと言った民生機器と言えます。この民生市場は市場自体が大きくなっただけではなく、日本の民生企業が世界をリードしていました。民生機器の各企業も、半導体を使用するのに際して、日本語でコミュニケーション出来る日本企業にする事により、細部に渡り細かな点まで円滑に運ぶ事ができました。当時の「NEC」「東芝」「日立」といった主要な日本の半導体企業は総合電機メーカーで、企業内で民生だけではなくOA・情報の機器も生産している事も有った為、日本半導体企業のシェアは大きくなりました。それに加えて、汎用半導体DRAMを多く使用するコンピュータメインフレーム及びそれに続くパソコンの市場の拡大もあり、この分野では日本のDRAMは世界の80%以上のシェアを占めるまでになっていたので、まさに半導体需要の半分以上を支える全盛期を迎える事になりました。勿論、これらの需要を満たす為には生産能力の強化が必要となりますが、この時期の日本半導体企業は設備投資にも積極的で、1,000億円を超える設備投資を実現する企業も複数ありました。この投資金額は、半導体事業を傘下に持つ総合電機メーカーとしては、半導体以外の製品事業と比較して信じられない大きな投資額で、清水の舞台から飛び降りる決意で実現して行きました。この様にして日本の半導体企業の隆盛はもたらされていたと思われます。

【プロフィール】
桑原経営戦略研究所 桑原 靖

 1984年に山口大学経済学部卒業後、㈱三菱電機に入社。主に半導体の海外営業営業に携わる。
2003年に㈱日立製作所と両社の半導体部門を会社分割して設立した、新会社ルネサステクノロジに転籍する。転籍後は、主に会社統合のプロジェクト(基幹システム=ERP)を担当。2010年にNECエレクトロニクス㈱を経営統合して設立されたルネサスエレクトロニクス㈱では、統合プロジェクトや中国半導体販売会社の経営企画なども担当。㈱三菱電機でのドイツ駐在、ルネサスエレクトロニクス㈱での中国駐在を含め、米国及びインドでの長期滞在等の多くの海外経験を持つ。2022年4月末でルネサスエレクトロニクス㈱を退職。

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