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連載「つたえること・つたわるもの」(120)

〈からだ〉をきたえる健康法から〈いのち〉をやしなう養生法へ。

連載 2021-09-14

出版ジャーナリスト 原山建郎

 首都圏に出されていた緊急事態宣言が6回目の延長(9月30日まで)となり、今月(14・28日)予定されていた対面式の講座、「あだち区民大学塾」『ひらがなの魅力をさぐる「やまとことば」』講座(7月の延期分)が中止となった。すでに、7月の本コラム№116(外来コード(漢字)を、自前モード(万葉仮名)に編集する。)で概要を紹介した第1回講座後の質問票への講師コメントは、講座中止のお知らせとともに受講者のもとに郵送すると、同事務局から丁寧なメールが届いた。来年度、リベンジ(再講)を期そう。

 その一方で、昨秋の予定が今春、そして今秋へと1年半も延期された文教大学の社会人教養講座『〈からだ〉をゆるめて〈こころ〉をほぐす』が、オンライン講座で9月16日から始まる。先週末、同大学地域連携センターとオンラインの予行演習を行ったが、ディスプレイ画面の右端に映る受講者に向かって語りかけるスタイルは、これまでの40人規模の空間が実感できないので、いつも以上に気合を入れて臨みたい。

 社会人教養講座には、70~80歳代の受講者もおられたのだが、パソコンでzoom会議に参加するノウハウを持たない方のほうが多いのではないか。高齢者にとってデジタルディバイス(パソコンやスマホでインターネットを利用できる人と、そうでない人による情報量の違いや格差)の壁は厚く、そして高い。

 オンライン講座第1回「見栄を張るこころ、嘘がつけないからだ」は16日に行われるが、はじめに「〈からだ〉をきたえる健康法から〈いのち〉をやしなう養生法へ」について話そうと思う。なぜ、きたえる(健康法)ではなく、やしなう(養生法)なのか、それは、作家の五木寛之さんが『致知』(2012年12月号)のインタビュー「大人の幸福論」で語ったことばがヒントになっている。(※解説、赤字、下線は原山)

 五木 実際、いまは空前の健康ブームといってもいいくらい、マスコミや書店にはいろんな健康法が氾濫しているし、そういうものに踊らされてしまいがちです。けれども本当は健康法の問題じゃない。大事なのは養生だと私は思います。
―― 健康法ではなく、大事なのは養生だと。

 五木 養生というのは、ただ体を維持するというだけでなく、生を養うことです。自分の可能性を十二分に発揮して、人生をしっかりエンジョイするために、自分で自分の体をケアすることなんです。なんとなく古臭いイメージがあるので、健康法とかアンチエイジング(※抗加齢・抗老化)とかいうことのほうが新鮮に感じるんだろうけど、私はいま大事なのは養生だと思いますね。
(『致知』2012年12月号「大人の幸福論」より抜粋)

 たとえば『広辞苑』(新村出編、岩波書店、1955年)、漢字熟語の「健康」を引くと、「身体に悪いところがなく、すこやかなこと。達者。丈夫。壮健」とあり、同じく「養生」は「①生命を養うこと。健康の増進をはかること。衛生を守ること。摂生。②病気・病後の手あてをすること。保養。」とある。

 そして、『字訓』(白川静著、平凡社、1995年)で「すくやか〔健〕」を引くと、「ものに屈しない剛直なようすをいう。「すく」は直。曲折することのない状態をいい、のちに健康の意になった」、また、「やしなふ〔養〕は「はぐくんで育てる。その生長を助けることをいう」と解説されている。

 また、『角川古語辞典』(久松潜一・佐藤謙三編、角川書店、1955年)で「きたふ〔鍛ふ〕」を引くと「①金属を火で熱し、打って硬度を高める。精錬する。②繰り返して習熟させる。修練する。」とあり、①は〈からだ〉(物理的な肉体)を精錬する、②は〈こころ〉(目に見えない働き)を修練するという意味がある。

 五木さんが語った「(※健康な)体(※の状態)を維持する(※=アンチエイジング)というだけでなく、生(※いのち)を養うことです」と、「人生をしっかりエンジョイするために自分で自分の(※いのちの容れ物である)体をケアする(※養う)こと」ということば(※の補足部分は原山)から、全5回を通す講座のモチーフ(主な題材)を「〈からだ〉をきたえる健康法から〈いのち〉をやしなう養生法へ」とした。

 さて、第1回講座は、『往復書簡 いのちのレッスン』(内藤いづみ×米沢慧著、雲母書房、2009年)にあるエピソードから、連続テレビドラマ『風のガーデン』(2008年、フジテレビ系)が遺作となった俳優、緒形拳さんが、すべての収録が終わった2日後の記者会見で語った「病いる」ということばを紹介する。

 同書の共著者(もう一人は在宅ホスピス医の内藤いづみさん)である評論家、米沢慧さんのブログ「いのちことばのレッスン」(2016年5月4日掲載)によると、米沢さんが『自然死への道』(朝日新書、2011年)を上梓して間もなく、東日本大震災が起こった年の夏、一人の読者から届いた感想はがきのなかに「今年も桜をむかえました。夫は病(やま)いる身をまっとうしました」と書かれていたという。

 その一文から、かつて緒形拳さんがテレビの記者会見で、とっさにメモした「病(やま)いる」のことばを読み直し、緒形さんが伝えたかった「病(やま)いる」の意味を、米沢さんは次のように書いている。

 緒形さんは八年ほど前から肝炎をわずらっており、五年前に肝がんに移行。家族以外にはそのことを一切口外せず本人の強い意思で入院治療もしないで、役者として全うしたということです。(中略)たしか、記者会見のなかだったようにおもいますから、新ドラマの役柄で使われる言葉かもしれません。おもわずハッとして、メモしたのです。

 「病(やま)いる」(「病める」ではなく、)
 「病む」や「病める」ではなく、「病い」でもなく「病いる」という表現。
(中略)

 わたしは語源的にこだわったのではなく、「病(やま)いる」を自己表現として、意思的な強いことばとして聴いたのです。俳優緒形拳の死はその言葉と深く関係しているのではないか、そう思えたのです。

(『往復書簡 いのちのレッスン』「病いる――終末期を生きる」57~58P)

 日本では病気になる、病いに罹(かか)ることを「病いを得(え)て」という。2019年の本コラム№73(免許更新の高齢者講習。摩耗するタイヤ、明け渡しのレッスン。)でも書いたが、「病(やま)ひ」は「病(や)む」と「耗(ま)ふ」との合成語で、「やむ(病む)」は「やむ(止む)」、つまり生命活動停滞の意があり、「まふ(耗ふ)」には勢いを失う、動きが静まる意がある。上古代の日本人は、それまでできていたことが、急に、あるいは徐々にできなくなった「やむ(止む)」状態を、「やむ(病む・止む)」+「まふ(耗ふ)」=「やむ・まふ(病ふ)」→「やまひ(病ひ)」ととらえたのである。

 したがって、「病む」とは、狭い意味での「病気になる(具合が悪くなる)」だけでなく、広い意味で「老いる(高齢になって無理が効かなくなる)」状態までも含むことばだと考えることができる。米沢さんは、「病(やま)いる」ということばを、そのまま「老いる」に重ねて、次のように考えている。

 では「病(やま)いる」とは何でしょうか。
「病いる」は「老いる」と同じ響きをもったニュアンスをつたえることばではないか、そうおもいます。ここで「老いる」とは、体が衰えていく、老化していくという意味ではありません。「老いる」とは「老いをいきる」ということばです。老いに抗うとか老いと闘うというのでもありません。


 同じように「病いる」とは、体が病んでいくことではありません。また、患者として病気に抗うとか、がんと闘うということでもありません。誤解をおそれずに言ってみます。病気を健康に受けとめること、つまり「病いをいきる」ということばだったのではと。

 緒形さんはそのような受けとめ方をした人ではないか、そんな思いがしたのです。
(『往復書簡 いのちのレッスン』「病いる――終末期を生きる」58P)

 私はここで、「老いる」を「老いをいきる」からさらに進めて「老いを生き切る」に、「病いる」を「病いをいきる」から、もう一つギアを上げて「病い(の状態のまま)を生き切る」ととらえたい。米沢さんはブログ「いのちことばのレッスン」の中で、健康の王国、病気の王国、寛解の王国について書いている。

 いま医療機関・病院は病人を相手にする機関とはかぎらない。健診から検診へ、早期発見早期治療ということばがあるように、積極的に健康な人を招きいれ、病(disease)探しに余念がない。まさに健康の王国と病気の王国に分ける機関になっている。(中略)

 三つ目の国を「寛解の王国」と呼んでみることができる。病気が落ち着きおだやかになる寛解 remission ということばがある。ここでは、病気の国のことば(医療用語)や患者の国(医療施設)から解放されて、「健康に病気になる」あるいは「病いる身を全うする」居場所に赴くことができるかもしれない。長生きする時代、3人に1人はがんになるといわれる。けれど、がんは死に至る病ではなく、むしろがんとともに生きる王国と見定めることかもしれない。緒形拳の「老いる、病いる」という生き方はその範の一つになったのでは、とおもう。
(ブログ「いのちことばのレッスン」2016年5月4日掲載)

 肉体の〈からだ〉をきたえる「健康法」から、目に見えない〈いのち〉をやしなう「養生法」へ。

【プロフィール】
 原山 建郎(はらやま たつろう)
 出版ジャーナリスト・武蔵野大学仏教文化研究所研究員・日本東方医学会学術委員

 1946年長野県生まれ。1968年早稲田大学第一商学部卒業後、㈱主婦の友社入社。『主婦の友』、『アイ』、『わたしの健康』等の雑誌記者としてキャリアを積み、1984~1990年まで『わたしの健康』(現在は『健康』)編集長。1996~1999年まで取締役(編集・制作担当)。2003年よりフリー・ジャーナリストとして、本格的な執筆・講演および出版プロデュース活動に入る。

 2016年3月まで、武蔵野大学文学部非常勤講師、文教大学情報学部非常勤講師。専門分野はコミュニケーション論、和語でとらえる仏教的身体論など。

 おもな著書に『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫・2001年)、『「米百俵」の精神(こころ)』(主婦の友社・2001年)、『身心やわらか健康法』(光文社カッパブックス・2002年)、『最新・最強のサプリメント大事典』(昭文社・2004年)などがある。

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